150:上師リンチェンドルジェ・リンポチェが母と我が家を救ったご恩に感謝
確か、2004年10月、母は当時仕事が忙しく、ずっと胃の調子が悪い為、病院へ行き検査しました。本来はちょっとした胃の病気だと思っていたのですが、医者は、母の胃には腫瘍があり、すぐ入院して切除しなければいけないと、私たちに告げました。この突然の知らせは、私達にとって晴天の霹靂で、とても受け入れられず、その日母がしくしく泣いて、怖がっている様子は、いつまでも忘れられません。我が家は、この知らせで惨憺たる状況に陥ってしまいました。
当時、叔母の仕事の関係で、大修行者が衆生を助けてくれると知り、すぐ私たちにリンチェンドルジェ・リンポチェに会えば、助けを祈願できると教えてくれました。母はこの知らせを聞き、すぐ逸仙路に行き、リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁を求めました。当時リンチェンドルジェ・リンポチェは母に教示し、母の周囲には魚貝類の衆生がいると説明し、現在の母親は因果の花が咲く段階で、施身法の参加を許可するが、手術するかしないかは、私たちが決定するよう説きました。
しかし、私達は当時因果について理解していませんし、懺悔もせず、信心も足りず、しかもあせって、母が手術をすれば良くなると期待して、母に手術をさせました。今になっても、自分勝手な考え方で、母にこんなつらい思いをさせたと、私は非常に後悔し、懺悔しています。またこの様に、母が手術したからと言っても良くならず、かえってどんどんひどくなり、そして拡散が非常に早く、母がますます苦しみ、物が食べられないのを見て、私の心は刀で切り刻まれているようでした。そこでリンチェンドルジェ・リンポチェのところへ、病院での母の加持を祈願しに行きました。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く応えてくださり、何時加持に行くかを告げ、その当日リンチェンドルジェ・リンポチェは、母の身体についている衆生と母の加持を行いました。私たちには、あきらめるようにと説き、母親の肉体は救えないが、痛みが無いよう手助けできる、と告げ、息子として母親の代わりに法会に参加し、母親の苦しみを減らしてあげるよう説きました。母が病気の段階で、リンチェンドルジェ・リンポチェの法会に続けて参加し、人生の無常と愛と別離は、もともと人生でめぐり会うべきことだと、すこしずつ会得できました。リンチェンドルジェ・リンポチェのご加護と、兄弟子方の関心と協力で、我が家の苦しい思いが段々減っていき、母の身体もそれほど痛まなくなりました。
リンチェンドルジェ・リンポチェは、母がいくら長くても旧正月明けまでしか生きられず、私たちに心の準備をするように告げました。病院から危篤の通知が入り、そこでリンチェンドルジェ・リンポチェのところへ車で駆けつけ、母が苦しまず、安心して行けるよう、祈願しました。リンチェンドルジェ・リンポチェは大能力と大慈悲で、母が何時この世を去るかを告知し、更には甘露丸を下さり、それから母の心中には、姉の恋愛問題が気掛かりになっていると告げ、姉が直接母に話して、安心させるようにと説きました。私達は、リンチェンドルジェ・リンポチェの教示を受けた後、すぐ病院に戻り、リンチェンドルジェ・リンポチェの教示に従って行い、それを終えた後、喘ぎが止まない母の呼吸は次第に遅くなり、血圧も段々低くなり、母が家で死にたいとの希望があり、急いで母を家に連れて帰ると、着いたとたん母は亡くなりました。母が亡くなった翌日が、施身法の日で、母はリンチェンドルジェ・リンポチェと済度とご加護を頂きました。リンチェンドルジェ・リンポチェの加持と、仏様、菩薩様のご助力のお蔭で、母の葬儀はスムーズに冷静に執り行うことができました。
リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した後、リンチェンドルジェ・リンポチェの済度の事跡と衆生に対する関心に、とても感動させられました。上師リンチェンドルジェ・リンポチェは実生活の中で、仏法を実践され、身を持って私たちに模範を示され、上師の重要さと仏法の貴重さを気付かせてくれました。またこれらは、私たちにも必ず実践できるはずだと教えます。リンチェンドルジェ・リンポチェは「人身は得難く、仏法は聴聞し難く、上師には遇いがたし」と説きます。仏様、菩薩様、上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教訓とご配慮に感謝し、また尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが伝える正しい教えを聞くことができた幸せに感恩し、ここでリンチェンドルジェ・リンポチェの福体の安泰と末永い在世、更には多くの衆生がリンチェンドルジェ・リンポチェ並びに仏法の助けを得られますよう祈願いたします。
寶吉祥弟子 徐嘉浩 2009.1.02
2009 年 06 月 14 日 更新