147:金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ及び諸仏菩薩に感謝
尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ及び諸仏菩薩、皆様、兄弟子の皆様:
私は2006年に黄兄弟子のご紹介で寶吉祥へ赴きリンチェンドルジェ・リンポチェのお助けを乞いました。当時私は妊娠九週間で、出血と血の塊があり、医者もこの度の妊娠に疑いを持っていました。当時、リンチェンドルジェ・リンポチェは只私に手を出しなさいとおっしゃいまして、しばらく感応なさり、この子供は保つことができないと告げてくださいました。私は単に子供を保ちたかったので、リンチェンドルジェ・リンポチェにお助けを願いました。リンチェンドルジェ・リンポチェは私をご加持くださった後、子供を保つことができるかどうかは、私にも分からないとおっしゃり、家へ帰って八日間菜食にしなさいとご開示され、以後もう来るなとおっしゃいました。
家に帰ると、出血はその時止みましたが、やはり時々出血しました。医者は私に入院して胎児を保つ準備をするようにと言いました。23週間目の時、私は腹痛がするので早速病院へ行き検査すると、医者はもう破水しているので、早産する可能性があるとおっしゃいました。入院して二日後、赤ちゃんは早産して、ICUの中、47日間で往生しました。赤ちゃんは眠りに着いたようで、顔はりんごのように柔らかく奇麗でした。冷凍室の中に2日入り、3日目に火葬する前、私達は、赤ちゃんの一番奇麗な肌色を維持できますようにと化粧師の方に願いました。化粧師は私達に化粧の必要はないと告げました。それは、赤ちゃんが冷凍室から出て午後まで、依然として元の様子を保っているからとの事でした。
早産児は普通酸欠になりやすく、一般早産児が往生した時、体は黒ずむものです。ICUに居た時、一人の母親が私に、彼女の息子が往生した時、体は全体が黒ずみ、とてもみっともなく痛ましかったと教えてくださいました。その後私と夫は外国へ行き、七月に帰国した時、兄弟子が電話をくださって、私が出産したのかどうかを聞き、当時私は経験したことを彼女に話しました。彼女は9月9日の阿弥陀仏無遮大超度法会に参加するかどうか誘ってくださったのです。その時私はただ赤ちゃんのために何ができるのかばかり考えて居りましたがどうしていいか分からず、無力感にとらわれていました。私は夫に参加するように説得し、(同じ年に私達は顕教が行った超度法会に参加したのです)9月9日には、赤ちゃんが浄土へ行けることを願い、又機会を与えてもらいたい、もう一回私の赤ちゃんに生まれ変わって欲しいと願いました。
10月の末、兄弟子は私に赤ちゃんの当時の状況を聞き、リンチェンドルジェ・リンポチェのご加持がある故、赤ちゃんは福報があり、安らかに往生できたのだとおっしゃり、私達にリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝するよう勧めてくださいました。私達が寶吉祥宝石店へ行く前日、私は妊娠したことに気づいたのです。私は再び今度は赤ちゃんを保つことができるようにリンチェンドルジェ・リンポチェにお助けを求めました。当時リンチェンドルジェ・リンポチェは私達に絶えず法会へ参加して、菜食にするよう開示してくださいました。その時私は少々躊躇いがありましたが、リンチェンドルジェ・リンポチェは親切に屈み優しく私に、多数の女弟子は菜食していますが、赤ちゃんは皆健康であり、心配することはないと教えてくださいました。私は赤ちゃんを保つことができるなら菜食してもかまわないと考えました。
その後私達は毎回の法会に参加し、中断することはありませんでした。以前私は妊娠すると、黄疸指数が高くなり、いろいろな検査を行いましたが、肝臓と胆嚢の功能は一切正常でした。医者は倍率と原因不明で解釈するしかなく、これらは私が知りたい答えではありませんでした。この度、以前のように、出産検査で成すべきことはやり、羊水穿刺もやりました。しかし、報告では、月曜日に病院に行き医者と討論しなさいとのことで、私はとても滅入ってしまいました。日曜日の法会で、兄弟子が羊水穿刺を行うなと言ってくださいましたが、私はその場で涙が溢れ出て、既に行ったことを告げ、そして報告では異常が出たことを告げました。兄弟子は慰めてくれ、道場にいる兄弟子で、妊娠の時に赤ちゃんが知能障害だと認定されましたが、出産後赤ちゃんはとても元気だったと教えてくださいました。又他の何人かの兄弟子は重度なサラセミア、妊娠不能、白血病......などの持病があることを知らされました。(内心では、細胞、遺伝因子......などでそんなことありえないと思っていましたが)私は突然目覚めたのです。そうだ、どうして私は自分にこんなに自信がないのかと。法会のあと私は夫に水曜日に医者に面会しに行こうと提案し、火曜日はリンチェンドルジェ・リンポチェに開示していただこうと言いました。夫は反対でした。彼に言わせると、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の福報で衆生をお助けなさっているとのことで、一個人の私利でリンチェンドルジェ・リンポチェを消耗するのはいけないと考えたのです。赤ちゃんに病気があってもそれを受け入れるべきで、それは私達自分の業というもので、自分で堪えることだと言いました。確かにそうでした。何故私はそんなことまで忘れてしまったのでしょう!私は再び夫に、赤ちゃんに問題がなくても、私は不可解な問題を抱えていると言い、やはりリンチェンドルジェ・リンポチェにご開示を求めました。リンチェンドルジェ・リンポチェは殺生をしてはならないとおっしゃり、私達に、帰って地蔵経を唱え衆生へ回向するように教えてくださいました。その後、私の黄疸指数は高くなり、私達は又リンチェンドルジェ・リンポチェにご開示を願いに行きました。リンチェンドルジェ・リンポチェは私達によく六字大明呪を唱えて衆生に回向しなさいとご開示なさいました。それ以後、私の黄疸指数は定着し、それ以上高くなりませんでした。しかし医者は今回の現象について倍率で解釈し、出産検査の後に三十週目から胎児を保つための準備をしなさいと命じました。しかし、言えば今回は皆リンチェンドルジェ・リンポチェのご加持があって、私は妊娠の過程を無事に過ごすことができたのです。
出産前、産婦人科の医者は私に帝王切開を勧めました。(以前分娩誘発のため、帝王切開を行ったから、自然出産の時、子宮の破裂の恐れがあり危険にさらすことになるからです)私達は寶吉祥へ行ってリンチェンドルジェ・リンポチェに開示を願いに行くと、リンチェンドルジェ・リンポチェは、それならば帝王切開しなさいとご指示くださいました。しかし、手術前に、一度寶吉祥へ来なさいとおっしゃったのです。出産の二日前、私は寶吉祥でリンチェンドルジェ・リンポチェに逢い、リンチェンドルジェ・リンポチェは一粒の甘露丸を私に飲ませてくださいました
出産の時麻酔師の計算ミスで、産婦人科の医者が執刀した瞬間、私は痛みの故に叫び声を出しました。産婦人科の医者が「こんなことになるとは!」と言ったのは聞こえましたが、私は早くもリンチェンドルジェ・リンポチェの法写真を観想し、そして麻酔のマスクを覆われ睡眠状態になりました。10時間後私はようやく目覚めたのです。(夫が、私は10時間眠っていたのだと教えてくれました)私は始めて赤ちゃんを見た時、心の底から仏菩薩がこんなに健康な赤ちゃんを授けてくださったことに感謝しました。小児科の検査を受け、赤ちゃんは一切正常であるとのことでした。
今回の妊娠出産の過程で、私は尊き金剛法師リンチェンドルジェ・リンポチェの衆生へのご慈悲と平等心について深く理解を得ました。衆生が完全にリンチェンドルジェ・リンポチェの教えに従い、実際そのとうり事を成し、徹底的に自分を変えて行き、毎日自分が成した過ちを懺悔していれば、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェと仏菩薩はお助けくださり、願をかなえてくれるのです。だから、今後私はリンチェンドルジェ・リンポチェの教えのもとで修行を積み、浄土へ行けることを目指し、輪廻に陥らないようにしようと決めました。衆生が私のように苦から離れ、楽を得ることが出来ますように。
尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝いたします!
諸仏菩薩に感謝いたします!
弟子 勞尹明 頂禮 (2008年12月18日)
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2016 年 04 月 24 日 更新