145:リンチェンドルジェ・リンポチェの広く深き恩恵
リンチェンドルジェ・リンポチェは施身法、ポワ法でそれぞれ往生した家族を超度してくださいました:父、祖父、そして母方の曾祖母です。リンチェンドルジェ・リンポチェが私達に与えてくださった様々な利益及び恩徳は、大海のように広く深いものです。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝いたします!
2001年の8月に父が亡くなった後、私は毎晩悪夢を見るようになり、よく深夜に夢のために冷や汗をかきながら目覚めることがありました。目覚めたあとは動悸がして再び寝直すこともできず、その恐れは深夜静まりかえった中で、或いは床に就いた時、動悸はますます速くなり、何ともいえぬ怖さを感じて、晩の睡眠不足のため、翌日の勉強に大変な影響を及ぼしました。私はしきりに悪夢を見るし、祖母は息子を失った大きな悲しみから、日夜涙で過ごしていました。家族全体が極度の哀しみと痛みの中で日々を過ごしていました。この様な状況は、当時一年間も続きました。
そして2002年、ある日母は私に、最近大修行者を紹介していただき、この大修行に頼んで私の父を超度してもらうと言い出しました。そして私は母と一緒にこの大修行、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェのもとへ赴いたのです。
私達は寶吉祥へ赴きました。リンチェンドルジェ・リンポチェは親切且つ優しく私達に「何か御用ですか」と聞かれました。そこで私はリンチェンドルジェ・リンポチェに、自分が毎晩悪夢を見ることを話したのです。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈しみ溢れた態度でどんな悪夢を見ているかをお聞きになり、私はその中の三つの夢を説明いたしました。後に、リンチェンドルジェ・リンポチェは私のために一々夢を解説してくださり、死亡と無常を開示してくださいました。最後に、金剛杵を私の頭上に置き呪文を唱えご加持してくださり、私達が帰る前に、私はリンチェンドルジェ・リンポチェに父親が往生したことを伺いました。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く私に、施身法法会へ参加するよう開示してくださいました。リンチェンドルジェ・リンポチェにお逢いして家へ帰った日の晩は、一年ぶりに安心して寝る事が出来て、悪夢の無い晩となりました。
その後、施身法法会に参加する回数が増える毎に、私が悪夢を見る回数は減少し、最後には見なくなりました。後で考えて見ると、当時既に2,3年も緑内障のため高眼圧(一番ひどい時は、両方の眼圧は27-28といった高さ)に罹っていたのも、法会へ参加して少し経つと薬を使わないで治りました。体の健康状態はますます良くなり、家中の雰囲気は更に和やかになりました。特に祖母と家中のみんなの悲しみは、曇った雲が晴れるように消え去ったのです。この一切はリンチェンドルジェ・リンポチェが私達に与えてくださいました殊勝利益とご加持であります。リンチェンドルジェ・リンポチェは法会中にご開示くださり、若し往生された人が居て超度されれば、家の者はあまり悲しむことはなくなり、只思い続けるのみであるとおっしゃいました。父が往生して間もない間、毎晩私は阿弥陀仏経を父の為に唱えていました。しかし、唱えれば唱えるほど莫大な恐怖感を覚えるばかりでしたが、今は私はなんと幸運であるのでしょう—徳を得て超度能力がある大修行者に巡り合うことが出来、リンチェンドルジェ・リンポチェが私達をお助けになってくださるとは!一家でリンチェンドルジェ・リンポチェのご恩を蒙り、そして気楽に生活できるようになったのです。
2006年7月、祖父が突然夜明けに家の中で亡くなりました。祖父が亡くなった時の身体は、固くなっており、口は大きく開け、両眼はかすかに開いていて、細い手の拳を握りしめていました。その当時私は焦って早速電話を宝石店へかけ、リンチェンドルジェ・リンポチェに、祖父のためにポワ法を修めることを願いました。宝石店の兄弟子は、リンチェンドルジェ・リンポチェが息子に頼みなさいとおっしゃていると言いました。祖父は急に往生したので、家の人は連続八時間ものお経を唱えることを、すぐ受け入れることが出来ず、早く遺体を冷凍室へ送り込むべきだと考えたので、この間祖父はとても大きな苦痛を受けたのです。午後になって、私と上の叔父、下の叔父そして従兄弟姉妹と一緒に宝石店へ行き、リンチェンドルジェ・リンポチェが祖父をお助けくださるようお願いしました。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示してくださいました。祖父は阿弥陀浄土へ辿りつく資格はもっていないともおっしゃったのです。祖父の姓名と干支をお聞きになった後、慈悲深く祖父のために呪文を唱えご加持なさってくださったのです。そして、私達には、祖父の後には多数の衆生が後を追っているとご開示なさいました。祖父の生前は熱心で色々人のために働きかけるのが好きで、グルメが大好きな人だったので、さっき彼のために呪文を唱え加持したのは、祖父を保護して三悪道に陥らないためであるとおっしゃいました。又、施身法法会で祖父を超度するので、親戚一同参加するようにと開示されました。祖父は生前確かに喘息を治すため、民間の治療法を信じて殺業を犯しました。リンチェンドルジェ・リンポチェのご加持による救済があったので、三悪道に陥らなくて済んだのです。今回の事件で、私は平日家の者に上師の功徳を讃えることなく、教えを守らなく、観修無常を深く懺悔いたしました。同時に、リンチェンドルジェ・リンポチェが衆生皆を救済する心、その恩に感謝いたしました。
私達が皈依する前、リンチェンドルジェ・リンポチェは自ら医院に赴き昏睡状態の母方の曾祖母を加持してくださいました。そして、特別に二回も長寿佛の法を修めてくださって、母方の曾祖母のために六年も寿命を延ばしてくださいました。2008年12月に母方の曾祖母が往生した時、彼女のためにポワ法を行って、彼女を西方極楽世界阿弥陀仏浄土へ超度してくださいました。ポワ法が成功した後、母方の曾祖母の梵穴(百会のツボ)は暖かく仄かに汗が滲み出していて、全身柔らかく、皮膚は弾性があり光沢までありました。容態は安穏でまるで眠っているようで、眉を顰めていたのも消えて、火葬した後、頭蓋骨に整然とした小さな円い穴がありました。親戚の皆、南部から北へ駆けつけた親戚達は、悲しみ痛む情緒は無く、それどころか母方の曾祖母のために嬉しく思ったほどです。この類の瑞相(詳しくは「上師の悲願」を参照してください)は、ますます私に上師を信じる心を強めました。そのほか、私の祖母、母親(詳しくは「怨念が解ける」を参照してください)そして私自分個人の問題について、リンチェンドルジェ・リンポチェは絶えず大きな手助けとご加持をしてくださり、私達の執念を見破り、私達自身では見えない問題の欠点を指摘なさり、一層加持くださり私達をお助けになり、累世の悪い習慣を修正し、私達に仏法を学ぶ糧を累積させてくださいました。リンチェンドルジェ・リンポチェは千を数える弟子が居て、あらゆる教法で一人一人の弟子と有縁の衆生を辛労を厭わずに済度してくださり、自分の苦労を問わず一心に衆生の利益のためにのみのお方です。
人生は得難いものであり、仏法は聞き難いもので、上師には逢いにくいものです。
この末法の時代、御仏そのもののリンチェンドルジェ・リンポチェに出会えましたことは、実に衆生の大福報であります。この福報を惜しみ、ご縁を惜しみ、心底からリンチェンドルジェ・リンポチェのお身体がご健康であることを祈り、法輪常に転じ続けますようにとお祈りいたします!
楊欣樺 敬上
2009年1月
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2017 年 04 月 04 日 更新