142:リンチェンドルジェ・リンポチェが私達夫婦をお救いくださった経緯
2005年10月に子宮内膜症のために人生で始めての手術をしました。手術で、右の卵巣は萎縮して機能していなく、子宮後屈で、その外にも子宮筋腫の病気があり、自分は重度の不妊症患者であることが解りました。夫の李昆錦とは結婚して五年あまり、ずっと順調には妊娠できないでいましたが、手術後に医師から、試験管による人工授精でも成功率は非常に低いと知らされて、すっかり気が滅入ってしまいました。
ずっと妊娠しなくて、その上夫婦ともに平日は仕事が忙しく、夫は朝七時前に出勤し、夜帰宅するのは十時、時には真夜中まで残業があります。私はというと、塾の授業があって、毎日九時半に帰宅し、時には休日も授業があり、夫婦の会話も少なくて、仕事の内容を話すこともほとんどありませんでした。そのために家族間で疑心が生じてきて、最後には自分も怒りと疑心が起き、もともと平静だった生活が、個人的な疑心から家族と夫と騒ぎ立てて、私ももう少しで鬱病に罹りそうで、家庭破壊の淵に立たされました。
2006年5月、私は不定期爆弾を抱えているような情緒で、一秒前までは正常だったのに、次には自分で悲哀に沈み、時には悪言を放ち、自分の情緒をコントロールできなくて、仕事を何ヶ月も休んでしまい、夫もはらはらしながら日々を過ごしていました。ある友達が私の状況を知り、熱心にリンチェンドルジェ‧リンポチェが衆生を済度された事跡を教えてくれました。当日夫に伝え、二人で話し合ってから、台北はへリンチェンリンチェンドルジェ・リンポチェにお会いしに行くと決めました。
リンチェンドルジェ・リンポチェにお逢いした時に、私に逢いに来た原因をお尋ねになったので、私は自分の身体の状態を話し、恥ずかしながら婚姻状況も話しました。お慈悲深いリンチェンドルジェ・リンポチェはすぐに、祖先が殺業を犯したのであなたは今生で身体の具合が悪いのですとおっしゃって、五つのこと(菜食、漢方薬を飲むこと、御仏を拝むこと、供養、布施、因果を信じること)を行えば、懐妊しますと開示してくださいました。当時私はこれを大切に思わず、この御開示を真に聞いていなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェを一般の占い師のように見做して、ただ聞いたのみでした。
その年の七月、以前に切除した子宮内膜症が再発して、また小手術をして切り取りました。その後で試験管受精に失敗して、切り取った子宮内膜症がまた生じて、このときに初めてリンチェンドルジェ・リンポチェが開示してくださった五つのことを思い出して、十月になって再びリンチェンドルジェ・リンポチェにお逢いしました。リンチェンドルジェ・リンポチェにお逢いすることが決まる前に、菜食することを試しましたが意志不足でした。リンチェンドルジェ・リンポチェは私にすぐ「菜食にしましたか?」といって、慈悲の眼差しで見つめられたので、心の底から慙愧に耐えませんでした。リンチェンドルジェ・リンポチェのご加持があってので、家族が菜食に反対する声も次第に小さくなり、しかもそれからは肉食への誘惑も感じなくなりました。当時私はリンチェンドルジェ・リンポチェに婚姻の事を話しませんでしたが、リンチェンドルジェ・リンポチェは私の色んな問題を知っておられて、またもやお慈悲深い開示とご加持を賜って、私は遂に心中の鎖を解き放つことができました。リンチェンドルジェ・リンポチェは私の心を救ってくださっただけでなく、身体の病気の苦しみも救ってくださったのです。
2007年1月28日、有り難いことに、リンチェンドルジェ・リンポチェは私達夫婦を正式に弟子にしてくださり、皈依した後は、毎週日曜日には法会に参加し、夫婦ともにとても実質的になりましたし、身体の状態もかなり改善しました。二ヵ月後に産婦人科で、子宮内膜症の状態を検査してもらうと、大きくなっていないばかりか、縮んでいるそうで、また右側の卵巣もゆっくり機能回復しているということでした。八月に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはネパールに於いての閉関を円満に終えられ、弟子達は当地まで行ってお迎えしました。上師リンチェンドルジェ・リンポチェはご苦労も厭わず、常に衆生と弟子達のことを御心に掛けてくださり、しかも隊列がお迎えする間も弟子達にご加持をしてくださいました。そして私はこの度の行程の中で、意外にも自分が妊娠していることを知り、夫婦で驚きまた喜び合いました。台湾へ帰ってからこの知らせを親戚や友人達に告げると、みんな不思議に思いましたがこの知らせは両方の親をこの上なく喜ばせました。今年三月に私は胎位が不正常だったために早産一ヶ月となり、帝王切開する前に、上師リンチェンドルジェ・リンポチェのご加持を受けて、手術は非常にスムーズにゆき、女児を出産し、2390グラムだけでしたが、上師の庇護とご加持のもとで、赤ちゃんの各器官はすべて正常で、出生一週間後には、上師リンチェンドルジェ・リンポチェに命名していただきました。これら一切のことは、上師リンチェンドルジェ・リンポチェのお慈悲深いご加持の御蔭と感謝いたします。
尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、ご自身の福報功徳で衆生を益し、弟子達の世話やご加持を休まれたことはありません。上師リンチェンドルジェ・リンポチェが各種の方式を利用なさり、弟子達が迅速に福報を積み業障を取り除くチャンスを与えてくださいます。もし上師がいらっしゃらなかったら、私達の家庭はすでに崩壊していました。もし上師が心を砕いて教え諭してくださらなかったら、私は苦痛の深淵に陥って抜け出ることが出来なかったでしょう。弟子の私の悪習を一つ一つ明るみに出してくださる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェことに感謝いたします。また弟子の私達にこの世で正法を聞くことが出来るようにしてくださり衆生への傷害を減少させてくださったことに感謝いたします。
徐意涵、李昆錦 2008/12/29
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2018 年 09 月 16 日 更新