141:暗闇の中の一灯

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに頂礼いたします。経典に「人身は得難く、仏法は聞き難く、上師には逢い難い」と説かれていますが、なんと幸運にも、この世にて三者すべてに出逢うことができ、その上に真に修業され証しを大成なされたリンチェンドルジェ・リンポチェの門下に皈依することができて、諸仏菩薩の恩徳に感謝いたします! 上師に感謝いたします!

思えば2001年に初めて寶吉祥を訪れたのは、私が大学二年生のときで、大学受験を終えたばかりのときに、事故に出遭った私は人生に対して茫然たる彷徨の気持ちを持っていました。学生生活は単純で、勉強しては試験を受け、高校を終えると大学入試というようでしたが、将来の人生はどうなるのでしょうか? 誰がどの方向へ進めばいいかを教えてくれるのでしょうか?人生という道をどのように進めばいいのでしょうか?その時中学校の時の親友の縁故によって、私はリンチェンドルジェ・リンポチェにお逢いする機会を得ました。初めてお逢いしたときに、リンチェンドルジェ・リンポチェに私の母親の身体の状態をお尋ねしましたら、リンチェンドルジェ・リンポチェは、しばらく入定なさり、私の母は色んなところに障害がありますということで、一部は母がかつて言っていたこともありましたが、私の知らない事もありました。リンチェンドルジェ・リンポチェは。私に兄弟姉妹はいますかとお聞きになりましたので、いませんと答えますと、リンチェンドルジェ・リンポチェは、お母さんは流産したのに、それをよく超度していないとおっしゃいました。帰宅して母に聞くと、やはり母は流産したことがあり、身体の障害もリンチェンドルジェ・リンポチェがおっしゃるとおりだったので、私も母もリンチェンドルジェ・リンポチェの大いなる能力に驚きました。

後に大学の休みに、台北へ帰ってリンチェンドルジェ・リンポチェの日曜日の法会に参加する機会がやってきました。初めて聞くリンチェンドルジェ・リンポチェの開示と仏法に、心中は法喜に満ちて、仏法とはこんなにも活き活きとして生活に即したものであり、生活のあらゆる点、家庭であれ、仕事、感情など私達の身に発生するあらゆる事柄に運用できるものだったのかと思いました。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示くださる仏法は深遠なことを分り易くお話なさるので、以前の私が仏法に対する不正確な概念を取り除いてくださいました。仏法とは仏学の名詞のみではなく、また法会に参加するときにお経を唱えて学ぶだけでなく、リンチェンドルジェ・リンポチェは「修行は自分の行為を改めることなのです」と開示してくださいました。リンチェンドルジェ・リンポチェの仏法の得難く殊勝なる事に感嘆と感謝の念で、いくつかの法会に参加させていただき、私と母は機会を得て上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依いたしました。

金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの仏法は、暗黒の中の一灯のように、弟子に人生の方向を示してくださいます。リンチェンドルジェ・リンポチェの仏法がなければ、この一生はどうしていいか、どこへ行けばいいのか分りませんでした。リンチェンドルジェ・リンポチェのお導きがなければ、自分で悪業を造っていても分りませんでした。リンチェンドルジェ・リンポチェのご加持がなければ、貪欲、怒り、愚かな悪念に満ちて毎日六道を輪廻していたことでしょう。

リンチェンドルジェ・リンポチェの教えは殊勝で、衆生を助ける大いなる能力と大いなる慈悲心だけでなく、皈依した弟子には心をめぐらせて各種の教え方で導いてくださいます。リンチェンドルジェ・リンポチェの笑いも怒りもすべて仏法で、私達は今まで積んできた悪習を改めて、輪廻の苦海から離脱したいと望んでいます。正法によって衆生を助け、厳しく持戒なさる大いなる成就者であられるリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依できましたことは、弟子にとって歴代の福報であり、この善縁を大切にして、仏法を学ぶことに努力し生死の輪廻を解脱いたします。金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがこの世に常住してくださり、法輪が常に廻り、仏法の事業が興隆しますようにとお祈りいたします。
                    

弟子 周孟蘋 謹んで書き上げます

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2018 年 09 月 15 日 更新