139:皈依の因縁

2000年8月に母は急性肝炎に罹り、この大病によって殊勝なる因縁につながり、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェおに逢いでき、仏法の開示と御仏のご加護を受けることができたのです。初めてリンチェンドルジェ・リンポチェにお逢いした時は、母の病状が急を呈し、昏睡状態で、私も家族も母の生死について非常に執着していたので、大変な苦痛に悲しんで、ただただ母が死なないように生き返って欲しいと、母の傍で「頑張って、早く昏睡から覚めて」とばかり願っていました。そのとき、リンチェンドルジェ・リンポチェは私達に「そんなに生と死に執着しないように、もしお母さんに大いなる福報があれば生命は自然に長らえます、死は人生で必ず通る道です。しかしあなた方の執着は往々にして病気の母親に一層の苦痛をもたらすばかりです。当の病人が真に苦しみを受けているわけで、生と死はすべて因果です。私達はこれらの執着を放下して、病人に更なる苦痛を与えないようにしましょう」と開示くださいました。当時私の心の苦しみと執着は言葉にはなりませんでしたが、今ではリンチェンドルジェ・リンポチェのこの開示に対して非常に感激しております。リンチェンドルジェ・リンポチェのお慈悲と開示は私にとってとても大きなご加護となりました。あの時、リンチェンドルジェ・リンポチェは私に甘露丸を一粒下さって、これはとても貴重なものですよと念を押されて、きっとお母さんに飲ませなさい。この甘露丸はとても貴重なので、お母さんに飲ませないなら、リンチェンドルジェ・リンポチェはこれをあげませんとおっしゃいました。私は善根のない人間で、甘露丸の貴重なことも知りませんでしたが、その時は母に飲ませるとお答えしました。でもその日病院に帰ってから、この貴重な甘露丸を母の口に入れる勇気がなくて、取り出したのですがまた自分のポケットへしまってしまいました。

次の日、諸仏菩薩の御慈悲で、母は大いなる福報があって器官を提供してくれるドナーがありました。実に有り難い報せです。母は昏睡五日目で、血清を三回も換えています。血清を換えるのは五回までで、つまりあと二日で母は往生するところでした。次の日の朝、母は早速肝臓移植の手術を受けました。肝臓移植手術は24時間もかかる大手術で、成功率も芳しくはありません。母は急性肝炎で昏睡状態の患者で、今までに昏睡状態の病人にこのような手術をしたことはなく、手術が成功するかどうか、覚醒するかどうかまったく分りませんでした。手術はまる一日かかり、手術が終わってから私はリンチェンドルジェ・リンポチェに、母に甘露丸を飲ませなかったことを報告しました。リンチェンドルジェ・リンポチェは、私を親不孝者とお叱りになりました。というのは甘露丸を母に飲ませることは、母の手術をスムーズに進行させ、また母が回復するのを早めたのです。子供として、無知のために母の福報を消耗させたことは今も深く懺悔しており、自分に善根が全くなく親不孝であったことを懺悔しています。

第二回目にリンチェンドルジェ・リンポチェにお逢いしに行って、病院へ来ていただいて母を加持してくださいとお願いしました。当時母は手術後まだ昏睡状態でしたので、私はリンチェンドルジェ・リンポチェにお助けを求めたのです。リンチェンドルジェ・リンポチェは「子供は自分の母親を助けることができます。それに子供が母に代わって法会に参加し続けることは、母親にとって大変な助けになります。また子供が本当に親孝行するには仏法を学ぶことです」と開示くださいました。またリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深くも病院へ母の加持に来てくださることを約束してくださいました。母は昏睡状態から三ヶ月経って、かすかに意識が回復し、半年後には意識ははっきりし、体も回復して、現在ではほとんど完全に回復いたしました。

あの頃から、私は引き続き施身法法会に参加しております。半年後、因縁によって申し込んで皈依いたしました。当時、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示を私は今も心に刻んでいます。皈依の期間に私は諸仏菩薩とリンチェンドルジェ・リンポチェのお慈悲及び人生無常、四重の恩に報いるということを深く体得いたしました。リンチェンドルジェ・リンポチェと父母の恩に・・・。私がただひたすらに怠ることなくみ仏の道を学ぶ努力を続けることこそが、本当の恩に報いることなのです。

林詠玟 2009年1月3日

2009 年 07 月 19 日 更新