135:母の臨終前に殊勝な加持を授け助力して下さったリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝致します。

高齢の母の臨終前に殊勝な加持を授け助力して下さった大慈大悲の尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御恩に感謝致します。

2005年7月、私の母は長い間、糖尿病、高血圧、高脂血症に加えて、83歲の高齢により酷い器官退化を併発し、自分で呼吸できず、肺水腫、心臟病等の多くの症状が引き起こされて病院の集中治療室で治療を受けていました。

母はベッドに横たわり、周囲を各種の生命維持の為の輔助医療機器や点滴に囲まれ、緊急治療後の机の上には使用済みの強心薬の注射筒が一杯なのを見て、私を含める家族は心配で居ても立ってもいられませんでした。一枚一枚の危篤通知書、夜半の病院からの緊急電話、及び母の苦しみに溢れる眼差しと涙に対し、子女である私達は何の助けも出来ず、母の悲しみを増やす事を恐れ、陰で涙を流すだけでした。

幸い、その時、母の主治医である謝主任が、主任の上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見し、母に加持と助力を与えてもらうよう勧めて下さったので、早速、妹と私は宝石店に赴き、リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を請いました。私達がリンチェンドルジェ・リンポチェの御前に恭敬心を以って跪いた時、リンポチェは慈悲の眼差しで私達を見られ、親しみを込めて「何の御用ですか?」とお尋ねになりました。私達は涙を流しながら母の状況を話し、リンチェンドルジェ・リンポチェに母の病痛を軽減して下さることを祈りました。

リンチェンドルジェ・リンポチェは母の名前と干支を尋ねられた後、明日の晚8時に病院の集中治療室に行き母に加持を授けると仰いました。翌日の夜、リンチェンドルジェ・リンポチェは時間通りに病院に到着され母の為に加持して下さいました。加持後、私達は母の苦しみが軽減され、神識がはっきしたことを知り、ホッと一息付きました。再度、寶吉祥宝石店へ行き、リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を述べると、上師は、母は非常に我慢しており、自分の現在の体の状況をはっきり理解していると仰いました。母の殺生業は重く、私達の為に多くの衆生の生命を傷付けて、美味しい物を食べさせてくれました。母が良くなったなら、それは私達に仏教を学ぶ時間をくれたということでしょう。リンチェンドルジェ・リンポチェは私達に日曜日の法会への参加申し込みをさせました。私達が初めて法会に参加した時、ある法友が、リンチェンドルジェ・リンポチェから託された「金剛舞」のDVDを持って来て、リンポチェからの贈り物であり、もし母が良くなり帰宅したら見せてあげるようにとの言付けがありました。その後数週間、謝主任は、リンチェンドルジェ・リンポチェが継続的に母の病状を気遣っておられることを伝えて来ました。また、私達は、120余歲の老リンポチェの貴重な甘露水を受け取り母に飲ませました。

7月30日(土曜日)昼、私が集中治療室の母の見舞いを終えて帰宅した時、病院が母の他界を知らせて来ました。急いで病院へ行くと、母は穏やかで落ち着いた面持ちで横たわっていました。その時、謝主任が電話で、母の臨終には瑞相があるから、尊貴なる金剛上師 リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を述べに行きなさい言われました。宝石店に着き、事前予約していませんでしたが、6時過ぎにリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見することができ、涙を溜めて母の面持ちに瑞相が現れて他界したことと、リンチェンドルジェ・リンポチェ活仏の加持と救済に感謝を致しました。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈しみを込めて、「私はあなたの母と知り合いになりました。彼女も私を知っています。彼女は三宝を信じず、殺生業も重いですが、三悪道に堕ちないことを私は保証します。施身法に参加申し込みをして、子女は母の側を離れず亡き者の為に8時間、懇懇と仏の御名を唱えなさい。」私は病院に戻ると、弟と共にこの通りに行いました。

8月12日、私は殊勝な施身法会に参加しました。法会進行中、リンチェンドルジェ・リンポチェは私達に多くの教示を与えられ、母が金剛上師の救済を受けているように感じました。リンチェンドルジェ・リンポチェが皆を率いて六字大明咒を唱えている時、涙を止めることができず零れ落ちました。8月中旬、ある晩の8時過ぎ、私が退勤後に帰宅し、入浴を終えて出て来ると、客間全体に濃厚な仏壇の香りが漂っていました。私達の家には仏壇はなく、通常はお線香を供養することはなかったのに、どうして部屋全体がその香りになったのか驚きと感謝で一杯になりました。

その後、私は信徒の身分で継続的に日曜日の法会に参加しました。胸中何れの困難や疑問があったとしても、リンチェンドルジェ・リンポチェは法会の際に教示を与え、解決して下さいます。母は8月下旬に入棺され、遺体が冷蔵室から取り出された時、その面持ちは依然として平静で落ち着いた様子で寝ているようでした。左の鼻の穴から多少白紅色の液体が流れていました。弟は、母の遺体を運んだ時、他界した時よりずっと軽くなっていることを感じました(皈依後知ったことですが、これらは「瑞相」でした)。葬式は8月30日に順調に執り行われました。妹と私は、幸いにも、更に9月4日の法会に参加が叶い、リンチェンドルジェ・リンポチェ主催の5000人の殊勝な【阿弥陀仏無遮大済度法会】に参加しました。

大慈大悲の尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに頂礼し、病苦の為に他界した母と私達全員に加持と助力を授けて下さったリンポチェに感謝致します。リンチェンドルジェ・リンポチェは、苦難のある信徒に対して見返りを求めない一切の助力を授けます。リンチェンドルジェ・リンポチェこそが活仏でありましょう。

皈依弟子 袁蓓蒂 敬書

2009 年 07 月 19 日 更新