125:リンチェンドルジェ・リンポチェは親子の命の恩人
妻は結婚後4回妊娠しましたが、胞状奇胎と流産のため、身体と心は傷ついてしまいました。私たちは神頼みや占いの方法等で答えを求めましたが、祖先に問題があるとのことで、それはもう聞き流すだけで、気にも留めていませんでした。
妻は叔母の紹介で宝石店に行き、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに跡継ぎの問題でお伺いを立てたところ、上師は子供は夫婦2人のことだからと、主人と一緒に来るよう言付けました。
翌日2人でリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁を求めました。上師の開示によると私たちの祖先の殺業が重すぎるとのことで、私に手を差し出すように言われ、そして暖かい手掌で私の健康を検視し、それから、寶吉祥漢方診療所で調整療養するよう開示されました。でも私は、いつもの如く聞き流していました。
2007年7月なると、妻が妊娠しました。以前のように初期に出血が始まりました。検査によると、子宮内の筋腫は胚胎より大きく、医者はあっさりとした口調で、様子を見ましょう!とまるでチャンスがないような口ぶりで、流産予防の薬を処方し、できるだけ横になって休んでいるよう言い付けました。
妻は一粒の薬も飲まないばかりか、相変わらず仕事も続けていました。それに加え、毎日宝石店に頂礼に行き、すべてはリンチェンドルジェ・リンポチェしか手助けできないことが、妻にははっきりわかっていました。そしてその時、妻はラダック法会参加の申し込みをすでに済ませ、医者にインド行きを告げます。医者は、インドに行くことが重要か、子供を生むことが重要かを反問しましたが、妻はそれに答え、「この問題については考えたことがありませんが、でもインドへは必ず行きます。」
私は妻に妊娠していることと、インド行きは双方の両親に秘密にするよう頼まれ、すべてはインドから帰国後話すことにしました。
インドのラダックに向かう前の晩、妻に心配かどうか尋ねられました。心から深く信じているので、リンチェンドルジェ・リンポチェが居れば何の問題もないはずです。
出発当日は台風の襲来に遭い、飛行便がキャンセルになるかもしれないと思われましたが、妻の胸のうちには、必ず飛行機は飛び立ち、台風は飛行後に来るとの成算がありました。
思いがけず、飛び立つ前は不思議な程の好天で、雨は一滴も降らず、桃園の空は雲ひとつない青空でした。飛行機が飛び立った後、台風は台湾に来襲したばかりでなく、被害も少なくありませんでした。
帰国後、インドで再度出血し、リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲の加持で出血が止まり、無事に家に帰れた事を妻に打ち明けられました。リンチェンドルジェ・リンポチェは母子の命の恩人ですから、お礼に行かなければと思い立ちました。
妻と2人で宝石店に出向き、リンポチェに加持と援助の謝意を述べたところ、リンポチェはその場で開示して一言「現実的!」一瞬私の頭の中は空っぽになり、その場を離れた後も脳裏にその言葉が焼きついていました。その後、自分の日常生活上の人に対する対応処置に特に注意していると、リンポチェの一言が私の問題点を指摘していたことに気が付きました。
ずっと心の中で、法会参加の許可を得たいと考えていましたが、なぜ法会に参加したいかとリンチェンドルジェ・リンポチェ質問され、仏法を勉強してみたいと答えました。リンポチェはすぐさま、家に帰ってからもっとよく考えるよう諭されました。
その後、私の福徳並びに決心不足のため、6回伺いましたが、リンポチェは宝石店に来店されていません。数回後やっと拝謁が許され、その上法会参加にも承諾が得られました。
リンチェンドルジェ・リンポチェの仏法開示を聞いた後、私はリンポチェに皈依することを決意し、直ちに申し込みを願い出ると、リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲により承諾されました。
2008年4月無事に息子が生まれ、三日後名付けていただき、生後満1ヶ月後、即夫婦で息子を連れて、上師に帰依を願い出ました。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深い加持と開示に心から感謝いたします。
弟子 韓克忠 2008/12/20
2009 年 07 月 19 日 更新