123:尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を捧げます
2005年の旧正月前、祖母が重病で危篤状態に陥り、集中治療室に入れられ、医者にも楽観できない状態だと言われました。祖母はさまざまな病気に纏わりつかれて既に十数年、糖尿病、心臓病、地中海型貧血、重症な喘息、転んで両足骨折の為歩行不能、躁鬱症、拒食症により30数キロにまで痩せてしまい、最後には糖尿病による腎不全で透析をしていました。これらの病で、彼女の後半の人生は、頻繁な病院の往復と、大量の薬物による苦痛の中で過ぎました。
その集中治療室へ見舞った後、ある因縁がきっかけで寶吉祥宝石店に伺い、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁しました。当時、祖母の名前と干支が書かれた紙切れを手にしていただけですが、リンチェンドルジェ・リンポチェは座禅を組むと祖母の状況がわかり、黙ってそれ以上何も言わず、すぐ紙切れに向かい真言を唱えながら加持を長く続けてくださいました。その場を離れる際、祖母に代わり毎週日曜日の法会に参加できるよう願い出たところ、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く承諾下さいました。2006年6月にはリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依し、門下に入れて頂き、更に感謝しております。
まるで奇跡のように祖母は1週間後普通病棟に移ることができ、約一ヶ月後には退院しました。実のところ、退院後、祖母の病や精神状態は私が10年間見たことがない程に好転し、定期的な透析、輸血、少量の薬の服用だけに減り、うるさく怒りっぽい性格も直り、透析による四肢の水腫もほとんど見られず、喘息の回数もかなり減り、食欲でさえ時には自分から欲しがる程良くなりました。心の中で、もし医学でこのような状況を解決できるのなら、なぜこの10数年間祖母の病気は好転しないばかりか、日に日に深刻になったのでしょうか?祖母の命は、大修行者が自らの命を顧みず、自分の福徳を衆生に施したおかげで助かったのです。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な加持に、心より感謝申し上げます。
2007年7月末、祖母は自宅で亡くなりました。祖父は祖母に病院の救急措置を受けさせるよう固執し、譲りません。その日の午後、知らせを聞いて病院に駆けつけたところ、祖母の顔色は明らかに非常に悪く、頬はこけ、更に救急処理による祖母の苦痛が感じ取れました。祖母を家に連れ戻した後、私はリンチェンドルジェ・リンポチェの日頃の教えに従い、祖母の側で六字大明咒を唱えました。翌日の正午、宝石店に行き、リンチェンドルジェ・リンポチェのお写真に向かい敬虔な頂礼をし、リンチェンドルジェ・リンポチェ(当時ネパール聖地で閉関中)が祖母の為に済度加持して下さるよう祈願しました。短い2時間ばかりの往復でしたが、家に着いた時、不思議な瑞象が見られました。祖母はもともと頬がこけ血の気のない顔色をしていましたが、安らかな紅い滑らかな顔つきで、まるで新しく肉が再生されたようでした。私はそっと祖母の梵穴を触ってみましたが、そこは温かく、冷熱が合さってできる水粒まで見られました。(当時祖母の身体は息を引き取ってから24時間も経っており、全身は冷たくなっていました。)
母と伯母たちが祖母の最後の身支度を整えている時、祖母の関節は柔軟で、身体に死斑はまったくありませんでした。当時尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが、祖母の為にすでに済度加持してくださったことが、私にははっきりわかりました。一ヵ月後遺体は火葬され、頭の頂上の梵穴に一つ整然とした丸い孔が見られました。これはリンチェンドルジェ・リンポチェが常にお説きになられる済度成功の瑞象です。祖母の生前から亡くなるまでの過程で賜ったリンチェンドルジェ・リンポチェの大慈悲の殊勝な加持とご加護に重ねて感謝を捧げます。
2008年3月10日月曜日の早朝、祖母の逝去から7ヵ月後、祖父も続いて亡くなりました。その晩病院に到着した時、祖父にはすでに生命の兆しがなく、眼球が突起し瞼は閉じることが出来ませんでした。私はすぐさまリンチェンドルジェ・リンポチェのお写真を祖父の頭の側に置き、必ずリンチェンドルジェ・リンポチェの法名をずっと覚えていて、リンチェンドルジェ・リンポチェのご様子(祖父は生前リンチェンドルジェ・リンポチェのお写真を一度拝見したことがあります)を観想するよう祖父の耳元で囁きました。5分後、殊勝な景象が現れました。祖父の瞼が閉じられたのです。
当時、リンチェンドルジェ・リンポチェの大慈悲の力はどこいても衆生を助けて下さることを大変印象深く感じました。翌日の午後、再度宝石店に伺い、誠心誠意リンチェンドルジェ・リンポチに祖父の済度を請い願いました。思い出せば、その時一言「祖父は早朝に亡くなりました」と申し上げただけでした。リンチェンドルジェ・リンポチェはそれを聞くとすぐその週の施身法での祖父の済度を承諾されました。そして慈悲深く供養をお受け下さいました。今でも脳裏に度々この状況が浮び、リンチェンドルジェ・リンポチェが、苦難にあっている衆生を見捨てず、衆生に最大のご助力・ご加護をされたことに、私は深く感動し、その都度涙が零れます。祖父は火葬後、頭頂梵穴に規則的な丸い孔が見られました。火葬場の従業員は、祖父の骨を拾う時、骨が雪のように白くきれいなことを讃嘆し続け、ここしばらく見た事がなかったと言っていました。これらすべてリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な加持のお蔭です。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに心から感謝申し上げます。
帰依してから2年余り、家族が受けたリンチェンドルジェ・リンポチェのご加護を自ら体験する以外、寶吉祥仏法センターでもリンチェンドルジェ・リンポチェの多数の救済実例を見させて頂きました。不治の病、往生、事の大小にかかわらず、リンチェンドルジェ・リンポチェのご助力があればすべて円満な結果が得られます。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の生涯を通じて仏法の偉大さを示され、仏法を日常の生活の中で実際に応用して、どのようにすれば確実に自分の言行を改善できるかを、苦労をいとわず、たゆまず教え悟らせて下さっています。常々思うのですが、一生でこのような大修行者について仏法を学ぶことができ本当に幸運であり、そして因縁、福徳により、仏法の殊勝さと偉大を感じさせて下さり、リンチェンドルジェ・リンポチェには心より感謝を申し上げます。「人身は得難く、仏法は聴聞し難く、上師は巡り会い難し」、重ねて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにお礼を申し上げ、リンチェンドルジェ・リンポチェ常住の御在世を心から願っております。本当にありがとうございました!
郭儒謙 2008年12月21日
2009 年 05 月 23 日 更新