122:尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが祖父を救い善道に往生させて下さったご恩に感謝を捧げます
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに頂礼致します
2005年の冬、ずっと壮健な祖父が、突然原因不明で、高熱が引かず、血糖値の異常…等の症状があり、病院に送られ、2回の緊急手術をしたのにもかかわらず、やはり病状には何の助けにもならず、最後は不幸にも細菌感染で、頚部以下の半身不随になりました。手術の数週間後、医師は何度も祖父の気管切開を求めましたので、私達も病院の気管切開手術に同意しました。私達の無知が原因で、祖父には呼吸器に頼らなければ呼吸できないようにさせてしまい、更に苦痛を与えてしまいました。また数ヵ月後、介護と自主呼吸のトレーニングを受けるために呼吸看護センターへ移転させられ、最後は小規模の病院で長期の介護が必要になりました。祖父が入院しているこの期間、私達は絶えず神頼みや占いにすがり、奇跡が起きるのを期待しました。しかし時間の経過に従って、祖父の苦痛はますます増えるばかりでした。
2006年8月中に、叔母の同僚の紹介により、大能力、大慈悲心を備え、一切の衆生を助けることができる大修行者を知ることができました。そこで、父と叔母は宝石店まで金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁に行きました。初めて伺った時、信心不足の為、重々と開示を受けました。父と叔母はリンチェンドルジェ・リンポチェから、家庭会議を開き、リンチェンドルジェ・リンポチェの助けが本当に必要であれば、また来るようにとのことでした。一週間後、父と叔母は再度宝石店に伺いました。その時は、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く、真言を唱えながら加持してくださり、更には病院での祖父の加持に承諾され、そして祖父の代わりに、父と叔母には法会の参加を求めました。
数週間後、小雨がしとしと降る早朝、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは直々来院され、重病の祖父に加持されました。リンチェンドルジェ・リンポチェは、祖父の病気は過去世や今生で多数の衆生を傷つけた為、この様な病気になり、そして過去に鶏を殺したので、気管切開の果報を得てしまった、またリンチェンドルジェ・リンポチェの助けを得られたのは、祖父が一番大変な時、何の見返りも求めず、人助けをしたからだと開示されました。更に、祖父の胸の内に亡くなった曾祖母のことがとても気に掛かっていて、その気持ちを解きさえすれば、その他一切リンチェンドルジェ・リンポチェが代わりに処理すると、祖父に伝えるよう父と叔母に開示されました。
リンチェンドルジェ・リンポチェが祖父を加持された後、祖父の病気は次第に好転し、もともと臀部にある壊死した床擦れも次第に肉が再生され、また祖父の心もだんだん落ち着いてきました。祖父は亡くなる数週間前、間もなくお迎えが来るが、怖いとも思わないし、かえって十分平静で、穏やか感じがすると話しました。祖父はすべての看護の人に感謝し、目下の者にも祝福与え、更には祖母に対して、生涯あまり面倒を看ず、大変苦労をさせてしまったと懺悔しました。
祖父は亡くなる数日前、彼が食べるお粥はもう持ってこないように、果物だけで良いと言付けました。それに父に彼の頭を剃髪するよう頼みました。逝去の一日前(9/21)の夜、祖父は父に髭を剃るよう頼み、そして早めに帰宅するよう告げました。2006年9月22日早朝、病院から祖父が逝去したとの知らせが来ましたが、その時私たちは何の悲しみもわかず、ただ急いで病院へ行かなくてはいけないと感じただけでした。病院に着いて祖父に会った時、顔つきは穏やかでまるですやすや眠っているようでした。因縁不足の為、祖父が往生した時すぐにはリンチェンドルジェ・リンポチェの拝謁が叶いませんでした。その次の週やっと謁見でき、リンチェンドルジェ・リンポチェは、慈悲深く祖父の済度を承諾して下さいました。祖父の火葬後、祖父の頭蓋骨にはっきりとした赤紫色のあざを見つけましたが、当時無知な我達は、それがリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な済度後に発生する瑞象とは知らず、祖父が長期にわたって服用していた薬の後遺症だとばかり思っていました。兄弟子の火葬後の写真を見てやっと悟ったわけです。
尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲による済度で、祖父が悪道におちず、善道に往生でき、そのご恩に誠に感謝しております。リンチェンドルジェ・リンポチェの限りなく尽きることのない恩沢に、弟子の私には永遠に報いる術がありません。
上師法体の安泰、仏法事業の円満、常住の御在世、常時法論の転ずることを祈願します。
寶吉祥仏法センター 弟子 繆宗翰 2008/12/20
2009 年 05 月 23 日 更新