120:深い恩に報いるのは難しい
1998年1月、台中の家から電話があり、父親が道端で転んで、病院へ送られ治療していると聞きました。私は急いで当時新生南路にあった宝石店へ行き、リンチェンドルジェ・リンポチェに指示を請いました。リンチェンドルジェ・リンポチェは私に大丈夫だと言って甘露丸を授け、父に飲ませるように言いました。私が台中の病院に行ってみると、父は弱っているものの、大きな問題はない思い、安心して台北へ戻り出勤しました。心では父が良くなったら台北に引き取ろうと思っていました。それからほぼ一週間余り経った夜七時、姉からの電話で、父に夕食を食べさせていた時、父が突然何度か息を吐いたかと思うと、頭を垂れて息を引き取ったと言われました。
私は、妻と二人の子どもを連れて直ぐに当時民生東路にあった道場へ行き、リンチェンドルジェ・リンポチェに父にポワ法を行って欲しいとお願いしに行きました。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは不在で、私は仕方なくメモを残し、台中へ急いで戻りました。
夜中の二時、私たちは台中の家に戻りました。父が息を引き取ってから既に七時間が経っていて、妹は私にリンチェンドルジェ・リンポチェは既に父にポア法を修法したので、父の梵穴を触ってみるようにと言いました。当時私は愚昧で緊張もしていましたので、父の頭に何の温度も感じませんでした。その後、父の足の裏と温度を比べてみると、父の梵穴の温度は足裏と比べて明らかに温度が高いことがわかり、父は既にリンチェンドルジェ・リンポチェの大能力のお陰で阿弥陀仏浄土へ往生したと固く信じ、安心を得ることができました。その時、父の様子は眠っているようなので、家族はひどく悲しまなくてすみました。
出棺時、葬儀の人が父を納棺した後、父の遺体が柔らかいので、これは、きっと、あなたたち家族が親孝行だったのでしょうと言いました。それを聞いて、私はとても恥ずかしい気持ちでいっぱいでした。私たちは父に何もしてあげることが出来なかったのです。それはすべてリンチェンドルジェ・リンポチェの大福報のお陰によって父は生死を解脱できたのです。
その日、父の火葬が終わった後、父の頭蓋骨が完全で且つ真っ白であり、更には中間に約十元玉硬貨の円い孔が開いているに気づきました。数々の話から、父は上師リンチェンドルジェ・リンポチェの素晴らしいポワ法済度を受けたことがわかりました。
その後、リンチェンドルジェ・リンポチェは、私に、以前私に父は何でもないと言ったのは私が直ぐに緊張しやすい性格なので敢えて本当の事を言って苦しませることはないと思ったからだとおっしゃいました。リンチェンドルジェ・リンポチェの細やかな弟子に対する思いやりは、すべてがいつもこのようです。
私は、1999年に既にリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依していて、家族はずっと穏やかで平穏でした。これはリンチェンドルジェ・リンポチェの加持に依るもので私たちは何の心配をすることもなく安心して仏教を学ぶ事が出来ました。しかし、長年ずっと、「人身は得難く、仏法は聴聞し難く、上師は邂逅し難い」の警句を悟ることが出来ず、更にはリンチェンドルジェ・リンポチェの円満な修行と証を体得することが出来ず、リンチェンドルジェ・リンポチェ門下の素晴らしい因縁を大切することがわからず、独りよがりで、因果を信じず、次々と間違いを起こし、そして次々と破戒をしていました。
2007年5月、リンチェンドルジェ・リンポチェがネパールへ行き、三ヶ月間、閉関されていた時、妻が舌と口が不本意に動いてしまうという奇病に罹りました。口の中には二個の傷口があり、それが非常な痛みを伴いました。話をすることも食べることも困難で、夜は眠れず、ベッドで寝返りを打つばかりで、生きることも死ぬことも出来ない状態で、医者は検査をしてくれましたが、原因がわかりませんでした。当時、頼るところもなく、生きる意欲も失せて、ただ、リンチェンドルジェ・リンポチェに頼ることしかできず、リンチェンドルジェ・リンポチェの福報で妻を助け、彼女の症状を軽くし、苦しみを減らして欲しいと願うばかりでした。2008年8月31日、阿弥陀仏万人済度大法会の後、妻の病状ははっきりと改善されました。今、妻の舌は以前ほど不本意な動きをしなくなり、口の中の傷口も既に治り、夜も眠れるようになりました。私はリンチェンドルジェ・リンポチェの大慈悲と不思議な大能力に深く感謝致します。
私は、長年リンチェンドルジェ・リンポチェに着いて仏教を学んできましたが、弟子として備えなければならない徳行を行えていません。私が自分の罪の深さを深く体得したので、やっと自分の最も親しい人にこのような果報が起こったのだと思います。リンチェンドルジェ・リンポチェは私たちを絶えず助けてくださり、私たち家族に対して比較にならないほどの恩恵を授かり、どのように恩返しをすればいいのかわからず、不肖な弟子の様々な行為と比較して恥ずかしくて穴があったら入りたいくらいであり、悔やまれることばかりです。
ずっと以前、リンチェンドルジェ・リンポチェが廣欽老和尚の加持を受けていた時から、教派のテンジン・ニマ・リンポチェは自らリンチェンドルジェ・リンポチェを弟子と認め、 ドラブ・ワン・リンポチェは公開の場で褒め称えています。四加行を習得し、ポワ法を学ぶための苦しい精進,そして密咒藏に参加した時、法王のリンチェンドルジェ・リンポチェに対する特別な処遇からもわかるように、リンチェンドルジェ・リンポチェは以前各世の修行で大福報を備えた善知識で、ただ私は福報が浅く、気が強く独りよがりであり、このような円満な功徳と素晴らしい教法を備えた大修行者が目の前にいる事も知らず…、この方は、私達が世々代々出逢う事が難しい尊い上師なのです。リンチェンドルジェ・リンポチェは、不思議な大能力を持っていて、ずっと衆生を助ける事を絶えず行っており、法王は何度も公開の場でリンチェンドルジェ・リンポチェの教派に対する貢献を褒め称えています。リンチェンドルジェ・リンポチェ門下で仏教を学ぶ事が出来る私たちは何と幸運なのでしょう。残された歳月の中、この有難い因縁を深く大切にして行きたいと思いますので、リンチェンドルジェ・リンポチェが私たちに対して絶えず教えと諭を与えてくださいますよう、お願い致します。
周錦城 2008年12月17日
2009 年 04 月 09 日 更新