119:上師へ感恩、上師を褒め称える

2005年12月中旬、父は突然原因不明の感染を起こし、症状は風邪を引いた時のように高熱が退かず、血糖値が異常に高く、不幸にも細菌が脊髄に侵入して感染した結果、中枢神経を破壊して頚椎以下が麻痺してしまいました。緊急手術を行いましたが、状況はよくならず、どうしようもない状況の下、私たちは病院に対して気管支切開手術に同意し、父は呼吸器の助けを借りて呼吸しなければならず、呼吸看護センターに於いて、自主呼吸の手当てと訓練をしました。

父の入院期間、私たちはずっと父の回復を願い、少なくとも呼吸器が外せる事を望みました。私たちは絶え間なく各方面に当たり助けを探し求め、奇跡が起きるのを待ちましたが、時は刻一刻と過ぎていくばかりで、父の命が少しずつ消えていく中、意識ははっきりするが自身で身動きできない父を眺め、父の受ける痛みと苦しみに対し、息子であり娘である私たちは何の手立てもできず、こうして天意と人力が戦う辛い八ヶ月の月日が流れていきました。

2006年8月中旬、姉の同僚からの紹介で、或る大きな能力を持った修行者がずっと衆生に利益を齎している事を知りました。姉と我は逸仙路へ向かい、尊いリンチェンドルジェ・リンポチェに会いたい旨を伝え、リンチェンドルジェ・リンポチェに父を助けて下さるようお願いしました。父の名前と干支を聞いた後、リンチェンドルジェ・リンポチェはしばらくの間入定して直ぐに私たちに開示され、すべては因果の業に依るもので、父は前世及び今世で多くの衆生を傷つけてきた事に因り、更に父は鶏を殺したことがあるので、気管支を切るという報いを得ることになったとおっしゃいました。初めて会ったリンチェンドルジェ・リンポチェに対して、姉と私は目の前のこの大修行者に対して未だ最大の敬う心と懺悔の心が沸き起こりませんでした。もちろん数々の加持をした後、リンチェンドルジェ・リンポチェは私たちに、最も孝行心の厚い人は仏教を学ぶ人です。もしもお父様を助けたいなら、仏教を学ぼうと決心しなければなりません、因果を信じなければなりません、敬う心と懺悔の心で仏教を学ばなければなりません、と開示し、リンチェンドルジェ・リンポチェは私たちに帰って自分の犯した罪を考え直し、考え至ったのならまた来なさいと言われ、その時、姉と私は突然頭が空っぽになり、逸仙路の宝石店を後にしました。

仏菩薩の加持に感謝致します。一週間後、姉と私は再びリンチェンドルジェ・リンポチェの前に跪き、リンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔しました。リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲は、病院にいる父に長時間加持をして下さり、私たちに父を代表して法会と施身法会に参加し、父に代わって福報を溜めるように指示されました。リンチェンドルジェ・リンポチェはまた私たちのお願いである父の病院へ行って加持を行う事を了承してくださり、父は嘗て自分が最も困難な時でも友人を助けてきたので、このように素晴らしい因縁によってリンチェンドルジェ・リンポチェに会うことが出来た事を開示されました。私たちはリンチェンドルジェ・リンポチェの恩徳に心から感謝し、この時、姉と私は感恩と喜びを胸に宝石店を離れることができました。

2006年9月中旬、リンチェンドルジェ・リンポチェは自ら病院に来られて金剛杵を父の頭に置き、長い間加持をしてくださいました。その後、病室の外で父の心中の蟠りを開示し、私たちに父が心の蟠りを捨てるように伝えなさいとおっしゃいました。2006年9月21日未明、病院から訃報が届き、私たちが病院に駆けつけた時、父は安らかに寝ているようでした。因縁が満ち足りず、父はリンチェンドルジェ・リンポチェの素晴らしいポワ法の済度を得ることができませんでしたが、私たちはリンチェンドルジェ・リンポチェの施身法会内で最も素晴らしい済度を得ることができたと堅く信じています。なぜなら、大祥兄弟子の御母堂がリンチェンドルジェ・リンポチェのポア法の済度を受けた後の火葬後の写真の様子を見たからです。父の火葬後、頭蓋骨には紫紅色の舍利花が現れ、私たちは父が長期薬を飲んでいたからだと思いましたが、大祥兄弟子が見せてくださった写真を見てはっきりと悟りました。

これらすべて、尊いリンチェンドルジェ・リンポチェの大慈大悲の衆生済度の御恩に感謝致します。父は三悪道に入り込まずにすみました。上師へ感恩、諸仏菩薩へ感恩、阿弥陀仏。

寶吉祥佛法センター弟子 繆文德
2008年12月13日

2009 年 04 月 09 日 更新