118:感恩

父は、一生仏教との接触がなく、仏陀の名前を念じたこともありませんでした。尊い金剛上師 リンチェンドルジェ・リンポチェの御恩に感謝します。父が素晴らしいポワ法によって浄土へ往生できたことは不可思議な奇跡だと思います。もしも上師の大慈大悲がなければ、父はこのような福報を得ることができたでしょうか?

父は往生する前の二年間、当時91歳でしたが、肺炎を患い、一ヶ月病院に入院しました。風前の灯のような年寄りにとって、肺炎は致命的なものです。その時、尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはちょうど閉関中で、私はただ、毎日父にリンチェンドルジェ・リンポチェのお写真を見せ、父にリンチェンドルジェ・リンポチェを思いなさい、リンチェンドルジェ・リンポチェが助けてくれますとずっと父に話しかけていました。感恩、上師さま。父は一ヵ月後退院し、その時、上師も出関されました。出関すると、リンチェンドルジェ・リンポチェは疲れも恐れず、少しもためらうことなく我が家へ来て父を加持し、更に父の病床の設置方向について指導されました。心からの感恩を捧げます。父の病状はそれから安定し、健康を回復し、それから二年間平穏に日々を過ごすことができました。そして私は二年余計に孝行をすることが出来ました。私はこの二年間、父の健康を心配することなく、夫の商売の手助けを安心してすることが出来ました。

父は、2006年二月に往生しました。尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはご自身の福報を犠牲にして慈悲と無私忘我の心で父にポワ法を施して下さいました。30分も経たないうちに父の頭頂は熱くなり、顔色は沈んだ暗い色から明るくなり、体は不思議にも柔らかくなりました。これはすべてポワ法を施した瑞相なのです。更に私を驚かせたのは修法と同時に、尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが父の最期の気がかりは中国大陸の故郷の家の修繕の事だと判り、私と弟の困惑を解いてくれました。父は往生する前、度々私たちに「家の修理の具合はどうだ?」と聞いていました。私と弟はいつも意味が判らず、「何処の家のこと?」と尋ねると父は何も答えないので、私たちはずっと悩んでいたのです。こんなに悩んでいたのがうそのように上師の答えで解けました。上師が修法を終えて私たちに話して下さったことで、その謎が解けたのです。その後、尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは私たちにどのように家を修理するかということも指導して下さいました。私たちは本当に感恩、感恩、そして感恩です。もしも上師が慈悲の修法をしなければ、父の気がかりはわからず仕舞いで、私たちは親不孝な子どもになるところでした!

父が往生する一、二日前、尊い金剛上師 リンチェンドルジェ・リンポチェは続けて四、五回のポワ法を行っていて、修法はとても大変なもので、体力を使い果たし、上師の心脈がほとんど止まるほどなのだと聞き、感動するばかりです。尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの恩德の広さ、絶えず私たちと家族を助けて下さり、無私無我に一切を捧げだし、この恩德は、私のような愚昧な弟子が書く拙文では万に一つも表せるものではありません。

寶吉祥弟子 楊安堤 敬書2006年3月

2009 年 04 月 09 日 更新