117:上師への感恩
尊いリンチェンドルジェ・リンポチェに初めてお会いした時、リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐ私の心の悩みに答えを下さいました。当時、父が往生して何年も経っていましたが、リンチェンドルジェ・リンポチェは私に「貴女のお父様はあまり具合がよくないので、法会に参加しなさい」と言いました。当時、母は体重が急激に落ち、医師に検査してもらいましたが、原因がわかりませんでした。リンチェンドルジェ・リンポチェは、母は肺の一方が冷たく、一方が熱いでした。更に私に骨の突起があるので、これからも肉を食べ続ければ三十歳には歩くことが出来なくなると言われました。当時、私は腰痛がひどく、眠れないほどだったのです。現在、私は三十七歳ですが、母の体は健康で、私も自由に歩いています。これもすべては尊いリンチェンドルジェ・リンポチェ加持のお陰であり、御恩に感謝致します。
私は大学時代、仏教研究会に参加していましたが、卒業後、ずっとどこか決まった場所で仏教を学びたいと思っていました。その時の私は法会に参列しようと思い、台北市に近い仏教道場の行事暦を求め、いつが法会なのかを調べ、そして参加しました。ある日、済度法会に参加した時、済度したい名前を書くには五百元が必要と書いてありました。心の中で、それならばお金のない人は法会に参加できないではないか、それに私は大功徳主でもなく、そこの法師に近づくことは出来ないと思いました。いつも法会が終わって一人で家に帰る途上、仏教を学ぶ道は孤独だと思い、心の中では答えを出せない疑問がいくつも沸き起こっていました。
しかし、尊い リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した後、当時各週二回の法会がありましたが、リンチェンドルジェ・リンポチェはいつも苦労を厭わず、絶え間なく法会を行って、衆生を利益し、生活の中で何か問題が起こると、いつでも宝石店へ行って上師に会うことが出来ました。サーズ(SARS)が流行した時、地震が発生した時、私は他の人々のように驚いて理性を失ったり、未来に恐怖したりすることはありませんでした。なぜなら私はリンチェンドルジェ・リンポチェがいつでも私たちを見守っていてくれて私たちに因果を深く信じ、縁に従って過すことを教え導いて下さるからです。
今も多くの人が以前の私のように法会に参加するために東奔西走して訪ね歩いていることでしょう。私は今、毎回の法会の機会を大切にしています。兄弟子の皆さまのお陰で、私の仏教を学ぶ道は孤独ではありません。そして何より尊いリンチェンドルジェ・リンポチェに衆生への慈悲と加持に感謝致します。
陳佳慧 2008年12月 撰
2009 年 04 月 09 日 更新