114:明燈

私は、2002年、娘の同級生のお母さんである麗惠からチェツァン法王が主法する葉衣仏母無病大法会への参加を紹介されました。当日、およそ一万人が法に参加する素晴らしさの他、チェツァン法王とリンチェンドルジェ・リンポチェが衆生利益のために労苦を厭わない無我の偉大さに感動が収まりませんでした。これが私の初めてのチベット仏教との接触でした。

二度目は2003年に教育大学で行われた法会で、リンチェンドルジェ・リンポチェが主法でした。その時は雪齢が電話で私に参加するように誘ったもので、電話で話す中で、彼女は一方の素晴らしい上師リンチェンドルジェ・リンポチェがいらっしゃると言ったのです。不思議なことに私はこの話を聞いた時、なぜだかリンチェンドルジェ・リンポチェに会いたい気持ちを彼女に強く表明していました。しかし、その時は因縁が満たされず、事は成りませんでした。

数ヵ月後の或る晩、夫が突然体の半分の頭から手足まですべてが痺れていると私に言いました。私はそれを聴いて心配でしたが、一刻の猶予もならないと思い、翌日夫に付き添って国泰病院へ検査に行き、レントゲンを撮りました。医師は薬を出しましたが、夫は自分の病状に役に立つと思えないと言って薬を飲みませんでした。一週間経ってレントゲン写真を見て、医者は何もないといいましたが、私たちは安心できず、夫の会社の社長に頼んで、台湾大学病院の富裕層や高級官僚を診るという名医を紹介してもらい、再検査を受けることにしました。その日、雪齢が私に電話をかけてきて寶吉祥宝石店へ供養に行くので私もいっしょに行かないかと聞きました。私が今、病院にいるので、別の時間にしてもらえないかと言うと、彼女がどうしたの?と尋ねるので、私は夫が病気で…というと、彼女は私の話を聞くなり私よりも緊張してそれならば、直ぐにでもリンチェンドルジェ・リンポチェにお願いして助けてもらうのがいいと言います。そして、私は彼女について寶吉祥宝石店へ伺いました。リンチェンドルジェ・リンポチェを初めて見た時、高貴な気を発しているのを感じ、物腰が普通の人とは違いながら親しみやすさを感じ、少しも偉そうな態度はありませんでした。リンチェンドルジェ・リンポチェは大変親切で、私にどんな要件ですかと尋ね、私が夫の事をリンチェンドルジェ・リンポチェに話すと、リンチェンドルジェ・リンポチェは夫の名前と干支を私に尋ね、直ぐに観想に入り、しばらくすると、ご主人の脳の血管に何か詰まっているので、直ぐに修法加持をしたと私に言いました。そして医者に診て貰ったかどうかを尋ね、まだ問題があるのならまた来てくださいと言いました。リンチェンドルジェ・リンポチェは、更に自ら私の健康に気をかけて下さり、私に加持をしてくれました。私は何か力強いエネルギーが体内に投入されたように感じ、寶吉祥宝石店を離れた後も、その感じはしばらく残っていました。その間、私は別にリンチェンドルジェ・リンポチェに人生の課題について教えを請い、リンチェンドルジェ・リンポチェはただ一言二言開示されただけなのに、それは私にとって頭ごなし大喝されたようで、震えが納まらないほどのものでした。その後、検査結果を聞きに行くと、医師は脳神経が衰弱していると言いました。私はそれを聞くなり、可笑しくなり、心でこれはリンチェンドルジェ・リンポチェが助けてくださったのだとはっきりとわかりました。そこで、雪齢に頼んで再び寶吉祥宝石店へ行き、リンチェンドルジェ・リンポチェにお礼を伝えました。その後、リンチェンドルジェ・リンポチェのお許しを得て、私は施身法及び共同修行法会に継続して参加し、当年11月に皈依しました。

私は、暗闇の中に一つの明燈を見つけたように感じ、彷徨っていた心に拠り所を得ることができたことでもう迷うことはありません。以前、夢の中で、一人の慈悲深い長者が群衆を連れ自転車で進んで行くのですが、その中の何人かがグループから外れて地下トンネルへ行ってしまいます。私は自分にこの長者の後にしっかりついて決して離れてはいけないと言い聞かせます。また、別の夢ではリンチェンドルジェ・リンポチェが法座の上から、満面の笑顔で私に一輪の水晶の蓮花を下さり、私は喜んで受け取ります。ああ!リンチェンドルジェ・リンポチェは以前、夢の中のその人は実は護法で弟子が仏教をしっかりと学ぶ心を固めさせるために加持されたと開示されていました。私は幸いなことにリンチェンドルジェ・リンポチェ門下に皈依して正法を学ぶことになりました。より多くの人が大きな福報によってリンチェンドルジェ・リンポチェの助けを得ることができ、更に輪廻の苦海から解脱できる事を願います。

賴昭蓉 忝筆 2008.12.18

2009 年 04 月 09 日 更新