112:弟子の苦楽はすべて上師の慈悲と加持によるものである
弟子の苦楽はすべて上師の慈悲と加持によるものである
玫芬兄弟子は乳癌を患い、既に脳、頚椎及び尾骶骨にまで転移していました。そのため、全身が痛み、めまい、歩行がふらつく状態で、最も痛みがつらそうだったのは、臀部の尾てい骨の痛みでした。玫芬さんはほとんどの時間をベッドで過ごしていましのたが、ベッドに寝ていてもやはり痛みは消えなかったのです。事実、玫芬兄弟子は接関前既に台湾大学付属病院で痛みをコントロールする治療を始めて一週間余りが過ぎていて、更に接関の前日、玫芬兄弟子は台湾大学付属病院から退院したところだったのです。私は玫芬兄弟子がモルヒネの痛み止めシール(病院麻酔管制薬品)の大判(5 mg)を合計5枚及び小判(2.5mg)一枚が腹部いっぱいに貼ってあるのを見ました。
私は病院勤めをして十数年になりますが、今まで見た中で痛みが激しい患者さんや末期癌の患者さんでも普通は小判を一枚もしくは大判を一枚貼ってあるのを見ただけで、もしかすると、緊急時には痛み止め注射をして痛みをコントロールしていたのかもしれません。癌末期の痛みはとてもコントロールできるものではないとは言え、これほど多くのモルヒネを使用する患者は今まで見たことがありませんでした。玫芬さんの痛みは軽くすることができないもので、だからこそ、こんなにも大量のモルヒネ痛み止めシールが必要なのだとわかりました。つまり、病院を離れることは玫芬さんにとってできるはずのないことで、ましてや台湾を離れてタイへ行き、そこで乗り換えてネパールへ行くなどできるのでしょうか?
事実、ベッドを離れた玫芬兄弟子は大変痛がり、更に癌細胞が脳、脊髄へ転移している関係で、歩く様子は歩けば歩くほど遅くなり、そしてフラフラと安定しなくなります。ベッドから離れる行為は彼女にとって大変な危険で、今すぐにでも転びそうでした。更に出発前、玫芬兄弟子は車椅子に座ることもできませんでした。彼女が言うには車椅子に座ると痛くてたまらないのだそうです。また毎週法会に参加する時も、玫芬兄弟子は私たちと同じように座布団に座るのですが、手で臀部尾骶骨の痛む箇所を圧迫しないように支えていました。
考えてみると、彼女の体にはこんなにもたくさんの痛み止めシールが貼られているのにも関わらず、ゆったりと座ることすらできないのは、彼女が受ける痛みがこんなにも巨大であるという事で私にはその痛みを想像することすらできません。しかし、玫芬兄弟子、そして私たち寶吉祥の弟子たちすべては非常に幸せで大福報があります。なぜなら私たちは仏様のように慈悲深い上師リンチェンドルチェ・リンポチェに皈依しているからです。上師リンチェンドルチェ・リンポチェは、嘗て弟子のすべての苦痛と喜びは上師の慈悲と加持であると言っていた言葉を深く信じています。以下は私がネパールで接関の時に見たことを各位兄弟子、友人と共有したいと思います。
玫芬さんの体はひどい痛みとめまい、歩行不安定という状況の他に、モルヒネシールの副作用により、腸の蠕動運動が減り、そのため玫芬さんはひどい腹部膨張と排便困難になっていて、これら病気が接関の時に皆に迷惑をかけるのではないかと心配していました。それでも兄弟子たちは彼女に「 リンチェンドルジェ.リンチェンの閉関完了のお迎えしたい?もし貴女が本当に心から接関をしたいなら、それですべての問題は解決できるものよ」と尋ねました。それで彼女は『接関するかどうか、自分で決めるの?』玫芬兄弟子ははっきりとこう答えました「接関に行きます。」
元々、玫芬さんは尾骶骨箇所の痛みがひどく車椅子にも座れないほどでした。しかし、彼女が接関すると決心してから、間もなく車椅子の座布団を高くすれば座ることができ、更に尾骶骨箇所も痛くない事を発見しました。更に良いことに退院の一日前、彼女は台湾大学付属病院の補助具センターで特殊材質の座パッドなら座った時に心地よいことも発見したのです。これらはすべて上師の慈悲と加持及び護法の助けのお陰です。上師リンチェンドルチェ・リンポチェがいつも途切れることなく弟子のために善い縁と機会を作ってくださることに感謝致します。弟子はただ自信を持ってこの善い縁をつかもうとさえすれば、自然に上師リンチェンドルチェ・リンポチェ及び護法の格別な庇護を得ることができます。
2007年8月1日、飛行機で台湾からタイへ飛び、2日はタイからネパールまで飛行機で行き、ネパールに着いて直ぐに二時間の曲がりくねり平らでない道を通って山間部の旅館まで行きます。これは玫芬さんにとって非常に辛いことなのですが、この2日間の行程で、彼女は寝ることも食べることもできました。玫芬さんは大部分の時間を寝ていたのですが、食事の時には起きることができました。確かにお腹は張っていたのですが、食欲は良好で機上ではほとんど出されたものを食べることができました。8月2日の夜、ネパールの山間部の旅館で休む玫芬さんはよく眠ることができました。8月3日の朝、辛い痛みが始まりましたが、トイレの時にはベッドを降りることができました。6時、寶吉祥の弟子たちは空港へ尊き上師リンチェンドルチェ・リンポチェと法王を出迎えに出発しました。途中左へ右へとくねる山道が玫芬さんを非常に苦しめ、この日、彼女は食べることも寝ることもできず、ただずっと痛みを感じていました。しかし、私は傍でずっと彼女を見て感動していました。玫芬さんが非常に辛いことは見ていてわかるのですが、私は上師リンチェンドルチェ・リンポチェが彼女に慈悲と加持を行っている事を感じ取っていたからです。リンチェンドルチェ・リンポチェが玫芬兄弟子の痛みを転重軽受させました。事実、玫芬さんにとってこの行程はまったく不可能な任務であり、重病でベッドに横たわって体中に痛み止めシールを貼ることでしか、痛みを軽くすることができない癌末期患者なのに、どうしてベッドを離れることなどできるでしょうか?さらにはどうして国を離れることなどできるでしょうか?ましてや曲がりくねる山道などどうして行けるでしょうか?
前2日間(2007年8月1日~2日)、上師リンチェンドルチェ・リンポチェと護法の慈悲による加持で玫芬兄弟子は充分に休息することができ、体力と栄養を養う事ができました。だからこそ、三日目のこの山道に立ち向かうことができたのです。どうしてこの日なのでしょうか?なぜなら、この日、寶吉祥の弟子たちは尊き上師リンチェンドルチェ・リンポチェをお迎えし、寶吉祥の弟子たちはもう直ぐ、長らくお会いできなかったリンチェンドルチェ・リンポチェに会えるからです。玫芬さんは間もなくリンチェンドルチェ・リンポチェの加持を受けることができるでしょう。だから私はこんなにも感動しているのです。弟子たちを常に目にかけ、保護して下さるリンチェンドルチェ・リンポチェ及び護法のご恩に感謝します。朝9時過ぎ接関団体は空港に到着して尊き上師リンチェンドルチェ・リンポチェをお迎えしました。リンチェンドルチェ・リンポチェは車内走行の中から、一人ひとりの弟子のために加持してくださいました。玫芬兄弟子は車椅子に座って歩道にいるため、前に出ることができず、車は既に彼女を追い越していました。しかし、リンチェンドルチェ・リンポチェは慈悲の心で、運転手に『ちょっと待って!』と言って傍らにいる女性兄弟子たちに玫芬さんをリンチェンドルチェ・リンポチェの方へ連れてこさせ、彼女は上師仏の加持を得ることができたのです。
尊き上師リンチェンドルチェ・リンポチェは、今回の閉関修行でひどく痩せておいででした。しかし、 リンチェンドルチェ・リンポチェは出関すると直ぐに多くの教派に関することや衆生利益のための事務で忙しくなり、まったく休んだり食事をしたりする時間などないのです。しかし、リンチェンドルチェ・リンポチェは、8月3日夜、玫芬兄弟子が病気の痛みとホームシック、また一日中何も食べず、ベッドに横になることもできないと知ると、直ぐに兄弟子たちと共に私たち年寄りの宿に赴き、玫芬さんと私が泊まっている部屋で玫芬兄弟子に加持を行い、お話をして下さいました。リンチェンドルチェ・リンポチェが加持をしてくださった後、玫芬兄弟子は体全体の不具合がたちまち改善し、リンチェンドルチェ・リンポチェが部屋を離れた後、玫芬兄弟子は助けを借りながらベッドを降りてトイレへ行けるようになりました。上師リンチェンドルチェ・リンポチェの慈悲及び加持のご恩に感謝します。
玫芬兄弟子は、大きな懺悔の心を発しネパールを離れて台湾へ帰る前、リンチェンドルチェ・リンポチェにもう一度会い、リンチェンドルチェ・リンポチェに供養をしたいと願いました。リンチェンドルチェ・リンポチェはひどく忙しいのにも関わらず、玫芬兄弟子の願いを叶えてくださいました。 リンチェンドルチェ・リンポチェが玫芬さんを見る時の笑顔は非常に慈悲と寛容に溢れていて、まるで「貴女は遂にここまで来ましたね。私はずっと貴女を待っていたのですよ」と言っているようでした。更に,玫芬さんにずっと加持をしてくださいました。玫芬兄弟子はリンチェンドルチェ・リンポチェに「リンチェンドルチェ・リンポチェお願いします、私の主人と子供たちが仏の助けを得ることができますように。リンチェンドルチェ・リンポチェ、お願いします、主人と子供たちが上師リンチェンドルチェ・リンポチェに従って仏教を学ぶことができますように。」とお願いしました。リンチェンドルチェ・リンポチェは喜び、直ぐに彼女の願いを許しました。玫芬兄弟子は最後に泣きながらリンチェンドルチェ・リンポチェにお願いし、「もしも私に僅かばかりでも福報があるならば、私が往生する時、上師リンチェンドルチェ・リンポチェにポワ法の修法をお願いしてもいいでしょうか。」といいました。リンチェンドルチェ・リンポチェは同じく即座に彼女に向かって「わかりました。」と願いを許してくださいました。
リンチェンドルチェ・リンポチェはいつも「懺悔とは、自分が行ったすべての事に対して責任を負い、改め、そして二度と同じ間違いを起こさないということだ。」と開示されます。だから私たちが逆境に遭った時、怖がってはいけないのです。私たちが病気に苦しむ時、悲痛に暮れてはいけないのです。上師リンチェンドルチェ・リンポチェの教えをいつも覚えておいて、私たちの身に降りかかるすべてに対して勇敢に立ち向かい、受け入れる事を学ばなければなりません。なぜなら弟子のすべての苦楽は上師の慈悲と加持なのです。また上師リンチェンドルチェ・リンポチェ及び衆生に対して感恩と大きな懺悔の心を発し、更に衆生が仏法の助けを得られますように。阿弥陀仏!
陳素貞 2007年8月4日謹んで書き上げます 2008年12月17日
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2018 年 08 月 12 日 更新