111:不可思議な仏法の因縁とリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲の大能力

尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御恩に感謝致します。上師を褒め称える機会を弟子に与えて下さった事に対し、上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝致します。

縁起

2004年9月末の或る土曜日、ひとつには法会に参加したいと思っており、更に高校教師である母は長年教鞭を取った苦労が体に表れており、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持を希望していたため、友人の紹介で父と母を連れて逸仙路へリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁を求めました。

初めてお会いした時のリンチェンドルジェ・リンポチェには、はっきりと自覚できない尊敬と畏敬を感じましたが、心は喜びで満たされました。父母と共にリンチェンドルジェ・リンポチェに法会に参加することは幸せなことだと伝えたいと思っていました。しかし、私が口を開くや否や、リンチェンドルジェ・リンポチェは突然私に「なぜ法会に参加したいのですか?」と尋ねたのです。当時の私はまだ仏菩薩を祈りの対象としてしか考えていない心でしたので、リンチェンドルジェ・リンポチェに、一年半前、母方の祖母が事故で亡くなったことで母がひどく傷ついた経過を簡単に報告しました。リンチェンドルジェ・リンポチェは、直ぐに慈悲の心で祖母の干支と名前を尋ねられ、祖母が往生した時、済度されていないことを直ぐに私たちに開示して下さいました。祖母は私たちを待ち、間もなく一年半になるという今日この時、すべての因縁が満たされリンチェンドルジェ・リンポチェにお会いすることができ、そしてリンチェンドルジェ・リンポチェの助けを得ることができたのです。当時、リンチェンドルジェ・リンポチェは合わせて、祖母は(母方の)叔父と叔母が心配でならないということを開示されました。叔父はずっと祖母の心配の種でしたが、なぜ当時すべてが順調な叔母まで心配だと言ったのでしょうか?私たちはずっと悩みましたが、当時一心に法会に参加したい思いで、その疑問を重ねて尋ねませんでした。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲の心で私たち三人を祖母の済度のためにと施身法法会に参加させて下さることとなり、このようにして私の仏教を学ぶ因縁が始まりました。その後、私は同年12月5日、正式に皈依し、ディクン・カギュ教派宝吉祥仏法センターの弟子になりました。

不思議な仏法の因縁とリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲の大能力

2007年11月22日の夜、私が帰宅した時、急に母からの電話があり、叔母の夫である叔父が家で心臓発作になり救急車で病院に運ばれた事を知りました。その知らせを聞いた私は直ぐにリンチェンドルジェ・リンポチェと仏菩薩の画像の前で頂礼し、リンチェンドルジェ・リンポチェと仏菩薩の加持をお願いしました。そしてリンチェンドルジェ・リンポチェが弟子たちに下さった甘露丸を持って病院へ急ぎました。病院に到着して半開きの救急室を覗くと、心拍器が大きな音を立てて動いていて、私は叔父が助かったのだと思い安心し、そして看護師さんに甘露丸を舌下に入れてくれるようにお願いしました。ところが看護師さんは叔父が病院に着いた時既に心拍はなかったこと、今はただ最後の形式的な救急措置をしているだけだと私に言いました。私は私を可愛がってくれた叔母が地面に泣き崩れるのを見ながら、少しも動かない叔父を見ていました。耳制御式の心臟加圧装置は叔父を加圧するため口から血が溢れ出て来ています。リンチェンドルジェ・リンポチェはいつも法座の上で、人が往生した後は非常に苦しいもので、どんな音も体に触れる物もすべて亡くなる者にとっては、まるで天が崩れ、地が裂けるように強烈なものだとおっしゃっていました。しかし、若輩者の私はただただリンチェンドルジェ・リンポチェが叔父に加持をして下さる事を観想するだけでした。それから一時間半が過ぎ、叔母はやっと医療スタッフに救急措置を停止するように頼みました。叔父は救急措置によって顔つきが悪かったのですが、すべての機器が外され、片付けられてから15分も経たないうちにまるで寝ているかのような穏やかな顔に変わったのに私は気づきました。私は叔父が既にリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を受けることができたのだとわかりました。この事は祖母が亡くなったことに継ぐもので、再び深い人生の無常、発生するすべては抵抗しがたいことを体感しました。

叔父が亡くなってから数日後の土曜日、私は叔父の子供―つまり私の従弟妹に寶吉祥仏法センターの公式ホームページを開いて、リンチェンドルジェ・リンポチェの日常やリンチェンドルジェ・リンポチェがいつも衆生を気にかけている慈悲の心と大きな能力、そして衆生済度の事蹟を紹介してみました。彼らがサイトの情報を理解することによって敬う心と懺悔の心を持ち、リンチェンドルジェ・リンポチェにお父さんを助けてもらう事を求めてほしいと思ったからです。彼らは直ぐに一緒に逸仙路の宝石店へ行き頂礼する事を了承しました。しかし、その日、リンチェンドルジェ・リンポチェはいらっしゃいませんでした。そして私は母に頼んで叔母と叔父を説き伏せてもらい、翌々週の火曜日、一家で一緒にリンチェンドルジェ・リンポチェの謁見の時間に向かいました。ただ、水曜日になってやっと因縁が満たされリンチェンドルジェ・リンポチェに会うことができました。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈父のように異なる方法で叔母一家の最も鍵となる苦しみを開示され、叔父の神識を守り、間もなく行われる施身法では叔父を済度し、叔父が来世で善を行って往生でき、人として仏法を学べるようにすることに応えてくださいました。また叔母と子供たちには体に注意して学業に取り組むように慈悲深く諭しました。この他、金剛杵を持ち叔父を続けて加持されました。因縁の幸運であるこの一幕を見ていた私はリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲と大きな知恵に深く深く感恩し、驚き感嘆しました。

後日、12月下旬、叔父の葬儀が行われました。私が最後に見た叔父は、棺の中に横たわり一ヶ月間の冷凍保存を経ていましたが、顔つきは穏やかで変わりなく、頬はふっくらとして白く透き通りとてもきれいでした。火葬後のお骨にはピンク色の斑模様が現れていました。これは以前道場の兄弟子が賞賛するリンチェンドルジェ・リンポチェが家族の往生を助けて下さったときに表れると聞いた瑞象写真と同じで、すべての象徴は仏法の偉大さとリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲の大きな能力を表していました。

上師リンチェンドルジェ・リンポチェに無限の感恩

大切な人を失い、家庭はまだ落ち着かず、叔母も辛さから抜け出すにはまだ時間がかかるものですが、現在、元々キリスト教を信仰していた従妹は人生と学業での問題にぶつかった時、直ぐにリンチェンドルジェ・リンポチェを思い出して会いたいと願いました。休暇で台北に戻ると、自分で宝石店へ行って頂礼しました。リンチェンドルジェ・リンポチェは異なる方法で縁のあった衆生を目にかけ、弟子と弟子の家族、親友にも因縁果報による人生の無常を体感させていて、私は仏法の不可思議な力をこの目で見ることができました。このように往生した祖母と叔父が済度できたことに対し、リンチェンドルジェ・リンポチェに感恩。途切れることなく母を加持してくださること、そして叔父と叔母一家が仏法によって深い助けを与えてくださることに対して、リンチェンドルジェ・リンポチェに感恩。

尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感恩!弟子の私と周囲の親友への加持と心をかけて下さっていることに対し、弟子の私に世間法で拠所とする典範を与えて下さっただけでなく、更に弟子の私に対してこんなにも貴重で稀な因縁福報を下さいました。リンチェンドルジェ・リンポチェが仏陀の正しい法を説いているのを聞くことができることは幸せなことです。心を込めて深く弟子を教え導き、厳しく監視し、弟子が累世の悪習を改めるように強く求め、弟子の生きる世々代々を変えてくださいました。リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子のために払った辛労を悟ることができず、またいつも自己を戒めながら法に依って行うことができなければ、衆生に対して申し訳なく、また人として無駄に生きるというものです。

尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感恩!

尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの健康と長寿を祈り、仏法が円満に栄えることをお祈り致します。

弟子 徐韻婷 敬虔な心でお礼を申しあげます

2009 年 03 月 22 日 更新