104:私はポア法の素晴らしさを目にした

多くの皆さんと同じように、私は成長の過程で仏の教えに触れることはありませんでした。台湾には多くの所謂仏教徒がおりますし、何よりも私の母は顕教の信徒であり、十数年来菜食に徹し念仏を唱える生活をしていたのですが、私の場合は機縁に恵まれなかったのでしょうか、今までずっと仏法を学ぶか否かの問題は、考えた事も有りませんでした。かつての私は、仏教というものは人々に善き行いを説くという面で、とても良い教えなのだろうと漠然と思っていただけでした。今から随分と前の1998年のことでした。私もやっと機縁に恵まれたのでしょう、その年に我らが尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお会いする光栄に浴することができたのでした。その時以来、私は本当の仏法を学び始めたのでした。そして、仏の教えの偉大さに目を見開かされ、私が前世から積み重ねてきた悪しき習慣から徐々に抜け出すことができたのでした。寶吉祥仏法センターに参加し始めて以来、私は毎週の法会と勉強会への参加の機会を見過ごすことはありませんでした。

私が寶吉祥仏法センターに参加して3か月程経ったある日、私の夫の祖母が、再び病院の集中治療室に運ばれました。祖母は80余歳という高齢で、すでに長く病の床に伏せていましたし、何度か集中治療室に運ばれたこともありました。そして、今回の入院で、我らが尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに加持していただくという機縁に恵まれたのでした。リンチェンドルジェ・リンポチェは、私たちの求めに応じて、慈悲深くも病院まで足をお運び下さり、祖母に加持して下さったのでした。加持の後、リンチェンドルジェ・リンポチェは私たちに、祖母は長い間病の床に伏し、ろくに起き上がることもできなかった為大きな苦痛を味わっていると仰せになりました。また、祖母の体には沢山の鶏の霊魂が重く圧し掛かるように取り憑いているということ、そして、祖母はある一人の若者の身を非常に案じている、ということも仰せになりました。それを聞いて私の夫は、それは祖母の長男のことでしょうか、と聞きました。祖母の長男は太平洋戦争中に南洋諸島に出征したきり再び戻ることはなかったのでした。リンチェンドルジェ・リンポチェはその通りだと仰せになり、続けて、祖母の寿命はあと半月も持たないであろうこと、私の夫が祖母の名代として施身法の法会に参加し、祖母が前世で借りを作った相手を済度し、祖母の苦痛を軽減させるよう努める必要があると仰せになりました。

施身法法会の当日、私は突然急性胃腸に似た症状に見舞われました。絶え間ない嘔吐と下痢に見舞われ、外出も儘ならない状態になってしまいました。その法会は夫にとって初めての法会であり、夫の信仰心もそれほど深くはなかったので、私の状況を見て「法会はまた別の日に行くということにしてはどうか」と言い出しました。しかし、私は断固として、もしも夫が法会に行かないのならば、自分が病気をおしてでも施身法の法会に出席すると言いました。不思議なことに、夫が法会に参加する為に家を出てから間もなく、私の胃腸の不調は嘘のように消えてしまったのでした。施身法の三日後の夜明け方5時ごろ、祖母は静かに息を引き取りました。当時、私は寶吉祥仏法センターに通うようになってからまだ日が浅かったこともあって、すぐにリンチェンドルジェ・リンポチェにポア法の修法をお願いすることができると知ってはいましたが、祖母が亡くなった時刻が早かったこと、リンチェンドルジェ・リンポチェが台湾にいらっしゃらなかったことなどから、午前10時まで寶吉祥仏法センターに電話することを控えていました。リンチェンドルジェ・リンポチェはこのことをお聞きになると、大変慈悲深いご様子で、何故すぐに電話をしてこなかったのかとお咎めになりました。そして、その場に居合わせている親戚一同共々すぐに死者の傍らに戻って、リンチェンドルジェ・リンポチェがポア法を修法している間中ずっと六字大明呪を唱え続けるようにと仰せになりました。その時、私以外の者は祖母の諸事の準備の為に皆出払っていましたので、私とインドネシア人の使用人の二人しかおりませんでした。私は彼女に、私と共に念仏を唱えてくれるように頼みました。その後、彼女は私の子供に弁当を届けるために中座したので、私は祖母の遺体を安置した病室に一人取り残されることになりました。その時、集中治療室には他の病人がおらず、外は薄暗く大雨が降っていました。しかし、私の心は考えられないくらい平静でした。私の気持ちは、言葉では言い表せないくらいの感慨と上師への感謝の念に溢れていました。小さい頃から一人では決して眠りにつけなかったような私にとってみれば、このことは本当に驚きでした。それまでの私は、気味の悪い話や怖い話などとても聞けたものではなかったのですが、このことがあってから、そのようなことも一切無くなりました。一時間後、リンチェンドルジェ・リンポチェが仰せになっていた時刻になったので、リンポチェが指示されていたように、私たちは死者の頭頂部の梵穴に触れて様子を確かめてみました。もしも、そこが軟らかく熱を帯びているならば、死者の済度は成就したことを意味していました。祖母の頭頂部に触れてみたところ、軟らかく熱を帯びていました。本当に不思議なことだと思いました。傍にいた使用人でさえ、祖母に触れた後驚きとともに、どうして軟らかく熱を持っているのでしょうか、と聞いてきた程でした。私はその時、リンチェンドルジェ・リンポチェと御仏の慈悲のお力は、相手を選ばず時空を超えて効果を及ぼすということを感動と共に実感したのでした。

ポア法による済度を受けた後、祖母の顔は血色を帯び始め、まるで微笑して眠っているかのような表情が見て取れました。全身は軟らかく、死後二日目に遺体を棺桶に入れる時までその状態は持続していました。葬儀社の人までもが、今までに目にしたなかで一番安らかな表情をした遺体だということを言い、福々しい様子の祖母に触れていました。その時、祖母の遺体は死後ずっと集中治療室に安置されており、二日目になって霊安室の棺に安置されたのでした。私達は、その病院と何か特別な関係があった訳ではありませんでしたし、一般的に病院側はこのような時に融通をきかせてくれないものですが、祖母がリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝なるポア法によって済度されてからは、万事諸々は全てうまく運び、何の障害もありませんでした。

リンチェンドルジェ・リンポチェには本当に感謝しています。因縁福報を私にもたらして下さったと同時に、仏法の素晴らしさと上師空性のお慈悲を私に実感させて下さいました。末法の世の混沌とした情勢のなかで、このような如法修行の上師にお会いすることは本当に容易なことではありません。私達は皆過去世から積み重ねられた因縁や福報を大切にするべきです。また、如法修行の上師と出会うことによってしか、前世から積み重ねられた悪しき業を断ち切り、輪廻六道の苦海から逃れる術はないのでしょう。普く衆生が皆、私のように因縁福報に恵まれ、リンチェンドルジェ・リンポチェにお会いすることができるよう願って止みません。そして、リンチェンドルジェ・リンポチェが末永くご健在で、仏法の力によって多くの人々に利益されることを祈念いたします。南無阿弥陀仏。

賴冠云

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2015 年 12 月 08 日 更新