097:金剛上師の功徳を讃える
呉慧萍と申します。2001年10月21日金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して以来、七年が経ちました。
2007年12月31日に陣痛が始まったため、台北の中山病院に入院し、三人目の子供の出産を待っていましたが、なかなか順調には進みませんでした。
2008年1月1日の朝、陣痛が長時間続いたので、医者は自然分娩は無理なので、今回も帝王切開を勧められました(一人目も二人目も帝王切開でした)。娘の魏雯娟は朝8時 くらいに無事生まれ、一旦はもう大丈夫だと思ったのですが、その日の午後大量出血を起こしてしまいました。医者からは子宮が十分に収縮しないために出血が 止まらないと診断され、家族へももう一度手術する可能性が高いと伝えました。私は楊永孚医師に、「金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェには開示しても らったか」と聞かれました。リンチェンドルジェ・リンポチェはこのことを知った後、「子宮を守れなければ、医師の言う通りにしなさい」と、開示してくださ いました。
その後オペ室での手術が開始されましたが、血管が見つからないため出血が止まらず、ショック状態に陥りました。そこで主治医の楊永孚先生が主人を呼び、子宮を摘出するかどうかについて尋ねました。主人は緊急事態につき仕方なく摘出手術に同意しました。手術には4~5時間を要し、最終的に私は一命を取り留めました。
翌朝目覚めましたが、体が弱っており気分がとても悪かったです。医師は昨夜の状況を説明し、一命を取り留められたのは不幸中の幸いであると述べました。そのとき私はまず、金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの事が頭に浮かびました。本当に彼のおかげでした。
一週間くらい休んだ後、医師より「もうすぐ退院できますよ」と伝えられました。しかし退院する前日に、腎臓の中に水がたまっていることが判明し、腎臓超音波検査を受けたところ、「急性腎不全になる可能性が高いため、しばらく病院で治療を受けたほうがいい」と告知されました。早くても二週間、遅ければ数ヶ月間もかかる可能性があると告げられ、がっかりすると同時に不安な気持ちになりました。
両親と主人である魏 立倫はこれを聞いたのち、病院から外出許可をもらい、金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁するため、私を吉祥珠寶店まで連れて行きました。リン チェンドルジェ・リンポチェはとても慈悲のある心で父に開示をしてくださいました。それによると、私の家はレストランを経営していて、無数の命を奪ったた めにこの様な事になってしまったとの事でした。父は彼の開示を聞いた後、泣きながら心から懺悔し彼の助けを求めました。
リンチェンドル ジェ・リンポチェは、「今回の事は、過去にたくさんの蛤を食べた上、何年間も仏法を学んでいたにも関わらず、懺悔の心が全くないため、業障を取り除くため に起きた」と開示してくださいました。そして彼は仏法の慈悲の力で、私と衆生を助けました。私は病院に戻り、その後ずっと彼が開示してくださった内容と、 仏の教えに従わなかったことで今度の事件になってしまった事を繰り返し考えました。救ってくださったのはリンチェンドルジェ・リンポチェでした。本当に感 謝しています。おかげで今は身も心もすっきりしました。主治医の楊永孚先生はよく見てくれました。私の命が救われたのは、金剛上師リンチェンドルジェ・リ ンポチェの慈悲の力のおかげであること、また彼が大きな力を持っている修行者である事も理解しております。楊医師は「慧萍さん、あなたは医学的に解明でき ない奇跡を見せてくれました」と語っていました。
私はもう一度楊先生に「これは全て金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲の力のおかげです」と言いました。
1月22日に退院しましたが、医師からは「旧正月のあと、一回病院に戻って再診断しなければならない」と告知されました。
入院から退院まで は、何度か法会に参加し、また旧暦新年の法会にも行きました。その後旧正月が終わり、私は再診断のため中山病院に行きました。その時の血液検査の結果は、 少し貧血気味ではあったもののそれ以外は正常でした。私はもう一度金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲の力に感謝しました。彼が助けてくださら なかったら、私の命も救われていなかったでしょう。弟子たちは常に彼に感謝すべきです。前世の因縁がなかったら、こんなに立派な修行者に皈依することもないでしょう。弟子たちは常に、周りの人々にも必要なときにリンチェンドルジェ・リンポチェの助けを得られるよう、金剛上師の功徳を讃え、彼の開示に従って仏法を普段の生活に応用すべきだと思います。
吳慧萍
2009 年 01 月 21 日 更新