093:衆生済度の事跡
金剛上師、リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して御仏の道を学んで五年経ちましたが、この五年間に一つのことを見てきました。その一つの事とは、リンチェンドルジェ・リンポチェは、止ることなく、倦むことなく、悔いることなく衆生をお助けになっていることです。
私と家族は皈依して弟子となり、自然にリンチェンドルジェ・リンポチェの教えとご加護をいただいています。
生活では、リンチェンドルジェ・リンポチェは釈迦牟尼と、リンチェンドルジェ・リンポチェの上師であられるチベット仏教直貢噶舉教派第37世、チェツァン法王の御教えに従い、私共が輪廻の煩悩から解脱したいなら、自分の行いを改めることで、衆生に煩悩を起こさせたり、衆生を傷つけないようにと絶えず導いてくださいます。
病気で苦しむとき、リンチェンドルジェ・リンポチェは、私達に懺悔をするようにと諭し、回避してはなりません、これは因果業報の現れなのですとおっしゃり、死に臨むと、リンチェンドルジェ・リンポチェは私達に、生死は佛菩薩にお預けして、この世に居るときには衆生によくし、修行に励み、死ぬときは衆生に良くしていたならお行きなさい!わたくしが加持いたしますからとおっしゃいます。
感謝は人としての基本的条件ですが、弟子の一人として、上師のご恩に報いることが少ないのを嘆きつつも、まずは寶吉祥仏法センターのホームページの一隅を借りて、私自身が実際に体験した、リンチェンドルジェ・リンポチェの真実の事跡を皆様に語り、十方大徳も因縁が有って、リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲を受けられることを心より期待しております。
二年前に、父は肝臓癌でこの世を去りました。思えば父が亡くなる前日ですが、父は昏睡し、危篤状態で、私と妻は兄弟子にどうしたらいいのでしょうと相談しました。兄弟子はすぐさまアチ護法を心から念じて、父が福報を得る事ができるようにリンチェンドルジェ・リンポチェにポワ法をお願いしなさいと教えてくださいました。
父は生前リンチェンドルジェ・リンポチェに一度お会いしており、その時リンチェンドルジェ・リンポチェは「恐れることはありません。リンチェンドルジェ・リンポチェが手伝ってあげます」と開示してくださいました。事実、リンチェンドルジェ・リンポチェはその時から父をご加持してくださっていたのです。
数時間後、父は往生しました。兄弟子が電話で、「リンチェンドルジェ・リンポチェはポワ法を修められました、あなたのお父さんが上師の前に現れ、心に掛かっている事を話したそうです」と言われました。
その中で、父の五百万元を兄と私に分けたいと言ったそうです。この話を聞いて、私は興奮しました。それは遺産が貰えるからではなくて、紛れもなく私の父がリンチェンドルジェ・リンポチェの有り難くも得がたい「ポワ法」を受ける事が出来たからなのです!
なぜ私がそう思うのかと言いますと、父が入院する数日前に、父は兄と私がドリンクを一杯買って二人で飲んでいるのを見て、「もう一杯買ってきなさい。私は五百万あるから」と言いました。私が答える前に、母が傍で「嘘ばかり!どこに五百万がありますか」と気色ばんで言うと、父はプイとして「フン」といっただけで母を相手にしませんでした。
間違いなく、それは父です!二時間後、父は臨終前に口を開け、一息吸い込むと軽く閉じました。顔は冷たくなりましたが、頭頂には温熱が残り、顔の肝斑は消え、唇をやや挙げて、瞼は固く閉じて、ちょうど眠りについたかのようで、顔には苦痛の表情が少しも見られませんでした。
八時間後に、葬儀社の人が遺体に壽衣を着せ替えようとしましたが、父の四肢が自在に曲げられるので、通常の遺体とは大変異なると驚いていました。家族の気持ちも平静で、悲しみ嘆くことはありませんでした。
それはリンチェンドルジェ・リンポチェがいつも開示なさっている、「ポワ法」を得た亡者の身体には瑞相が現れるということを知っていたからです。父の生死を、ちょうど目の前で父の壽衣が脱ぎ着されるように、私達は平静に受け入れられたのです。
数日後に、父は不明の感染と水腫で入院したのであって、癌のためではなかったのだと突然気付きました。父は亡くなる日まで肝臓癌のために痛み苦しんだことはなかったのです。父はリンチェンドルジェ・リンポチェのお蔭で、亡くなる前に、病気の苦しみ痛みを最低にしていただき、また三悪道に陥ることもなく、浄土に往生できたのです!感謝いたします、リンチェンドルジェ・リンポチェ!
このほか、リンチェンドルジェ・リンポチェは、逸仙路の宝石店でいつも衆生に接見し、信者のために加持してくださり助けてくださっています。道場の多くの兄弟子は皆この因縁によって果報を受けて皈依し、リンチェンドルジェ・リンポチェのもとで御仏の道を学んでいることを知っています。
私はよく時間を利用してこの店でボランティアをやり、身体障害者或は病気の信者が店に出入りするのを手伝っていますので、その因縁でリンチェンドルジェ・リンポチェが衆生をお助けくださるのをよく見ています。リンチェンドルジェ・リンポチェは前述の止ることなく、倦むことなく、悔いることなく衆生をお助けになっています。
ここに一、二の例を挙げてみたいと思います。未だ皈依していない若い女性が、リンチェンドルジェ・リンポチェに、自分の身体が健康になるように加持をお願いしました。リンチェンドルジェ・リンポチェは優しく笑いながら何も言わずに、金剛杵を女性の頭の上に置いて、咒を唱えはじめましたが、突然に停止して「あなたのお父さまは?」とお聞きになりました。(リンチェンドルジュ・リンポテェは何もお聞きにならずに、彼女の父親のことを聞かれたのです)
女性は「私はもう七ヶ月も父と会っていません」と答えますと、リンチェンドルジェ・リンポチェは「お父さまはあなたに会いたがっていますよ!」とおっしゃいました。女性は「私の父は高雄にいるのです」と答えました。
リンチェンドルジェ・リンポチェは少し怒った様子で「私はアメリカにでも居るのかと思いましたよ!」とおっしゃいました。女性が言いにくそうにしていると、リンチェンドルジェ・リンポチェは「仏法は親孝行ではない人を手伝いません。あなたがお父さんに会いに行かないなら、私に会いに来なくていいです!」とおっしゃいました。これが私達のリンチェンドルジェ・リンポチェなのです!
私は傍らで両手を固く握り、本当にそこへ跪いてその若い女性と一緒に感謝したいと思いました。その女性が帰るときは、顔中に感激が現れていました。父と娘の恩怨は、この若い女性が店へ入ってから出る間に、良い方向へと改められ始めたのです。
しばらくして、一対の夫婦が法座のリンチェンドルジェ・リンポチェの前に恭しく跪いて、夫人の父親の為に加持をお願いしました。話では、父親が脳出血で倒れ、病院で昏睡状態だということでした。リンチェンドルジェ・リンポチェは病人の姓名と干支を聞かれた後、数珠を持って唱えておられましたが、それを止めて小さな声で「お父さんは何か仕事をなさっていますか?」とお尋ねになりました。「父は公務員を引退して、何も仕事はしていません」と夫人が答えました。
リンチェンドルジェ・リンポチェは咒を唱え続け、それからまた止めて、「お父さんは彼岸へ行かれますが、仕事のことを気に掛けて悩んでおられます」とおっしゃいました。(リンチェンドルジェ・リンポチェは気に掛けておられる様子でした)
女性は訝しそうに「父は少しの貯金があるだけです」と言って、急に「あ!思い出しました。大陸に、祖父が一軒の家を父に残してくれたのです」と話を継ぎました。
リンチェンドルジェ・リンポチェは「それだよ!」とおっしゃって、椅子に凭れて、「お父さんには大陸に兄弟がいますか」とお尋ねになりました。夫人は「はい、私の叔父さんがいます」と答えました。
リンチェンドルジェ・リンポチェは「その家の附近に仏塔がありませんか」とお尋ねになり、夫人「あります、あります」と答えますと、「叔父さんとその家族に毎日仏塔を廻るようにお願いしなさい。それはあなたのお父さんに代わって、仏塔を廻る功徳を衆生に回向することを意味するのです。私もお父さんを手伝いましょう!」とおっしゃいました。これが私達のリンチェンドルジェ・リンポチェなのです。
盧國揚
2009 年 03 月 25 日 更新