092:我が生まれ変わり
尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感恩:
上師との縁は私の母が逝去した2007年1月に始まります。熱心な妙琪兄弟子は私を伴ってリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を申し込み、リンチェンドルジェ・リンポチェに母の済度を願ってくださいました。リンチェンドルジェ・リンポチェはとても慈悲深く承諾してくださり、菜食をするようお諭しになりました。そこで施身法会に参加しました。法会後5日目(旧暦の正月三日)、夢の中で、白昼母がとても上品な和服を着て、私に母も法会で仏法を聞いていたと告げました。そしてリンポチェにお礼をするように言付けました。私は手を伸ばし母の手をとるとあたたかく柔らかでした。潜在意識の中で母は逝去したばかりであることを知っていたので、彼女に長時間出てきてはいけない、早く戻るように促しました。この時にとても白くて兜を被った二人のアメリカ人が現れ、母を守りながら離れて行きました。驚いて目を覚ますと、ちょうど朝の9:50分でした。私は母がよい所に行ったことを知りました。そしてリンポチェは母の願いを叶えてくださいました。母は生前、死ぬときには日本の和服を着たいと願っていました。しかし私は母のために和服を用意していなかったのです。しかも夢の中では、以前に逝去した身内たちは全員が暗黒世界を背景にしていたのに、ただ母だけは白昼の景色に中にいたのです。
私は「リンチェンドルジェ・リンポチェだけがこのような能力を持っている!」ことを身をもって経験しました。母の執着心を捨てさせ、しかも母の願を満たしてくださったのです。仏菩薩の力です!感恩!感恩!感恩!
そこでリンチェンドルジェ・リンポチェに夢の世界の様子を話し、同時にお供養をしました。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは私のお金は肉の臭いがすると言って、受けとってはくださいませんでした!瞬時にして仏恩に報いることは難しいと自覚しました。しかし、どうして恩を忘れることができましょうか!その夜、私はこの後、一生菜食をすることを決定したのです。
そして皈依しようと思いました。しかし、以下の状況がそれを妨げたのです。1990年10月に娘を生み、産後のひだちが悪く、満1か月後も6脈すべて力なく、そのときの私は1粒の米も1雫の水も口に入れることがでず、食べるとすぐに戻してしまいました。毎日明け方の3、4時には言うに言えないほど全身気分が悪く、眠ることもできませんでした。全身おかしな気分で空しく、力は少しもなく、まるで枯木のようでした。西洋医学の医者は、心拍不全だと言い;漢方医は脈拍が感じられないと言い、どのように薬を服用したら好いか分かりませんでした。一日中このように漢方医、西洋医、西洋医、漢方医と渡り歩き、朝、昼、晩ずっと医者を煩わせました。医者は私に煩わされながらも、施しようがないので、他の有名な人に頼んで下さいと言われました。本当に苦しみのあまり死を願いナイフで体を切り付けようと思ったこともありました。(10数年後に、母はその当時私が死んでしまうのではないかと思ったと話してくれました。)私は禁止されている心臓病の薬を飲んで、やっと少しずつ良くなってきました!
引き続き1992年7月に息子を生みました。出産後産婦人科で脈拍はずっと正常に戻らず、半年間薬のお世話になりました。医者はどうして脈拍がずっと上がらないのか不思議がりました。処方箋を検討すると言って、当時その薬の価格は一袋1万元もしました。こうして私の脈拍は半年ほどたって正常になってきました。このような虚弱体質だったので、医者は私にもう子供を生んではいけないと言いました。もし生むと本当にすぐ死んでしまいますよ言ったのです。医者は私に処方箋を60歳まで取っておくように、60歳になったらもう一度来なさいと言いました。ああ私の人生は終わったも同然でした!
私の五臓六腑はただ「風前の灯火」あるいは「生きる屍」で形容できました。このようにずっと不健康でした。健康保険では、よい漢方薬が買えず、十数年来自費で高級朝鮮人参を購入してきました。この間中断したことありませんでした。
9月にリンチェンドルジェ・リンポチェに報告し、リンチェンドルジェ・リンポチェの漢方診療所で5月から8月まで見てもらい、体の状態がずっと良くなって来ました。感謝。リンポチェに皈依することを願いました。(この当時、体は良くなったと思っていたのですが、実は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは私の状態は決してよくなっていないことをご存知だったのです。)
10月初めなると、顔中に豆のような湿疹ができ、豚の頭のように腫れたので、リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁を申し込みました。
顔に発疹ができてから引き続き10本の指に水泡ができ始めました。全ての指は潰爛し両腕まで広がりました。この病状はずっと改善されず、さらに深刻に蔓延し、より大きい区域に広がりました。医師は私のカルテをリンポチェに見せました。リンチェンドルジェ・リンポチェは私の主要病状は脾臓に水分がたまるのだ言いました。リンチェンドルジェ・リンポチェは医師にこの病気は長引くが必ずよくなる。ただしそんなに早くはないので、辛抱が肝心だと私に伝えるように言われました。ちょうどそのとき、やっと自覚しました!そうです!私が診療所へ通ったのは出産後の養生をしっかりしなかった為ですが、リンポチェにそう言われると、やっと小さいときからずっと苦痛にさいなまれてきたことを思い出しました。母は私が生まれたとき、母乳が少なく、体はとても痩せていて小さく弱く、いつも風邪を引き、病気がちだったし、ほかの兄弟姉妹より健康は劣っていたと話していました。学生時代も体育の授業に出ることは少なく、球技もできなかったことを思い出しました。手には1年中あかぎれ状態の湿疹ができ赤く裂け、父に痛いよと泣いて訴えっていました。痛いよう!あちこちのお医者さんに診てもらいましたが良くは成りませんでした。中学校に上がると手足は一層潰爛し、グランドでの国旗掲揚にはほんの数回しか参加出来ませんでした。はなはなだしい時は国旗掲揚のときに卒倒し、教室に運び込まれました。高校の時はアルバイトをして、基隆の年取った漢方医に通い、その医者は私の脾臓は水を貯めているといいました。診察へはすべて一人で行ったので、これまで私の病状を知っている人はいませんでした。リンチェンドルジェ・リンポチェにお会いすると、リンチェンドルジェ・リンポチェは徹底的に私の医療カルテを検討し、私を助けてくださいました。一言も言わず、黙々と修行されて得た(功徳、福徳)で以って、私を助けて下さいました。大感謝!大感謝!大感謝!
12月中旬に日本トロッコの旅に参加しました。それはトロッコの上で施身法を修め、保津川の水難事故で亡くなった千年このかたの亡者を済度する法会の旅でした。台湾に帰ったあと、両腕の表皮は暗紫色に変色し、しかも皮膚脂肪の内で0.2センチほどの水分がたまりこれがかゆみを伴い、刺すような痛さで比べるものがありませんでした。漢方診療所の医師は私に脈拍の状態がすでによくなり正常になっていると言いました。5月から12月にかけて私の脈拍は弱くとても重い状況だったのに、正常脈に変わった後、この十数年来食物の味がわからない状況がす改善され、ついに美味しい食事を味わえる様になりました!これ等すべて、みんな上師のおかげです!
2008年正月は尤もひどい時期でした。25日間の平日のうち約20日間休みをもらいました。1週間のうち会社へ行ったのは1~2日で朝11時ごろに出勤、午後2時には家に帰っていました。両腕は穿山甲の表皮のようで、厚い重なりあった皮膚は、一皮一皮剥けていきました。痛たくて裸になり浴衣を着ました。朝晩それぞれ宝円膏薬を一瓶ずつ塗りました。ベッドには三枚のバスタオルを敷き、全身何度もこすって、こすって、こすりまくりました。昼間は働けず、夜は眠られず、ピンク色の皮のくずがベッドいっぱいに広がり、床中、部屋中に落ちました。私の仕事は業務係りで、意外にもその月の業績は100数万に達しました。また3ヶ月間不良債権はありませんでした。仏菩薩に感謝!この危難のころ、意外にも私は身を入れて養生することができました。会社の仕事も気にする必要はありませんでした。本当に不思議なことでした!私はこれは仏菩薩の力であると深く信じています!!!私は本当に幸せ者です!
2、3ヶ月の峠を越し、病状はゆっくりと落ち着いてきました。2008年5月に日本道場の開光式に参加して、台湾に帰った後はかゆみはなくなっていました。ちょうど端午の節句のころで季節は夏になりました。また痒くなったら我慢できないでしょう。再度私は仏菩薩に私を守っていてくださる御慈悲を感じました!ああ!人間世界の言葉では仏陀の恩と功徳の広大さを形容することはできません。
治療過程で、私の家族、兄弟姉妹、同僚、上司はずっと私の背後でいろいろ言っていました。甚だしきに至っては私は悪魔に魅入られたとか、漢方薬中毒だとか、また上司達は会議で私の在職を話し合ったのでした。これらの経験を通じて、やっと体得したのです。リンチェンドルジェ・リンポチェは私は不信仰者だと言いいながらも、実は私に信仰の心と、続発する非難に対する勇気をお与えくださったのです。深く上師を信じればずっとご加護が得られると深く信じています!もしリンチェンドルジェ・リンポチェがいなければ、私は生きていくことができなかったでしょう。金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに心から感謝の気持ちを捧げます。
治療過程中多くのお客様から、漢方医が言う脾臓は、西洋医学では膵臓と言い、この部位は治療しにくいと聞かされました。1部のお客様は膵臓病患者を見たことがあり、この患者の大部分は膵臓の切片を検査して、ようやくその病状が確認でき、検査の結果はすでに末期癌だったと話していました。私はなんて幸運なんでしょう!助かりました!病気の苦しみが過ぎ、とても長い期間の治療を通じて、私は心から知ったのです。漢方医学、西洋医学では私を救うことができなかったが、仏菩薩は私を救ってくださったのです!病気で苦しむ大衆を哀れみくださった上師に感謝します。私はこのように急速に健康体に回復したのです!
私は生まれ変わり、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに助けられたのです!
上師の恩恵は浩瀚広大で尽きることがありません!私のこれまでの生命は今ほど完全ではありませんでした。上師がいらっしゃるここが私の帰るところです。初めて幸福を感じました!私は努力して上師のお話に従い、自分を見つめなおす努力をするでしょう。
上師仏に感謝いたします!諸仏菩薩に感謝いたします!心より感謝の気持ちを捧げます!心より感謝の気持ちを捧げます!心より感謝の気持ちを捧げます!
弟子陳湘庭 啓上
2009 年 02 月 02 日 更新