090:尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンボチェの恩徳に感謝
私は話下手でありまた文章も不得意です。これから書くことでは、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンボチェが弟子の私を心こめてお導きくださったことをとうてい言い尽くせませんが、仏法の規範にかなう生活の堅持と厳格さで、私を保護してくださり、悪の道へ落ちないようにお導き下さいましたことを述べます。
尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンボチェに感謝を込めて、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンボチェを礼拝いたします。
私は諸佛菩薩のお取り計らいに感謝しています。罪深い私に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェとの出逢いを下さり、私にとってこの世で最も困難な三つの人生の大事を解決させて頂きました。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに出逢い、上師は私のためにこれから述べることをお助けくださったのです。
その一:一生苦労して来た父母が相次いでこの世を去るのを見守りました。両親は私の一生で一番関係の深い人ですが、どうしているのかも分らず、また両親のために何かしてあげる能力も私にはありません。しかし実際、私の父母は相次いで慈悲深き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのポワ法と施身法の済度を受けることができました。
その二:私が永遠に心に掛けているのは私の二人の娘で、いつも娘たちの人生は順調かしら?円満かしら?と心配していました。佛菩薩のお取り計らいに感謝するべきであり、2002年に娘たちが尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した後、慈悲深き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは私の心配をすっかり取り除いてくれました。
私達はただ子供に生命を与えただけであり、真の人生の意義と生命の価値は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが与えてくださったものだということを体得いたしました。娘たちの人生は無限の広がりをもっており、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝いたします。
その三:罪深い私は、三悪道の道に向かっているのを自覚することができなかったのです。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに出会い、私を浄土の方へお導きくださいましたことを、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝するばかりです。
その一の説明:1999年の母の日の前日、母は突然の病で癌の末期だと診断されました。一生家庭のために捧げ苦労した母は、これといった幸せを満喫することもなく、老いては病気に苦しむなんて、なぜ人生はこんなのだろうと当時の私は大変な苦痛を感じていました。
慈悲深き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、有り難い事に母が入院して第15日目に、病院へ行って母を加持してくださり、更に妹の盧宝蓮に、母は45日後に往生すると開示してくださいました。
当時愚かな私は顕教に皈依して御仏の道を学んでいるとは言え、未だに無常と死亡を受け入れることが出来ず、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの開示に対しても非常に不満を抱きました。(何故母はもう少し生き延びることができないんだろうと)同時に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに対しても、敬う気持ちにはなれませんでした。
そのため母が45日後に往生した当日は、16時間も苦しんだあとようやく、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのポワ法を得ることができ、その後で妹が私に母の頭頂の「百会」のツボに触れてごらんなさいと言っても、私はその気になれませんでした。
後で考えてみると、唯一私が感じたのは母の遺体のことで、葬儀社が迎えに来たとき非常に軟らかく、遺体を運ぶのに難しかったほどです。これは法を得た瑞相で、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが、私が母を妨げないように救ってくださったのです。
父、母、私達は皆尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの恩徳に感謝いたし、礼拝いたします。
その二:この世の父母にとっては、きっと子供たちのことが永遠の心配の種となっていることでしょう。私も例外ではありませんでした。佛菩薩のお取り計らいに感謝いたします。2002年の初め、私の上の娘黄蕓珊が花蓮で事故に遇いました。
尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェとの出会い、そしてリンチェンドルジェ・リンポチェの摂受力を讃えます。いつもは傲慢な娘が、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのおっしゃる事を素直に受け入れ、更に2002年4月28日に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依し、厳格なご指導の下で、この一生の中で更に恐ろしい災難を避けることができ、ひいてはもし悪道に陥ったらもっと酷い目に遭うことを常に自覚し、善の道を歩むことができるようになりました。
私の末娘黄凡郡はとても果報者で、姉の後にいつも従って、上の娘がリンチェンドルジェ・リンポチェに会う時には、彼女もくっついて行きました。毎回一家で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお会いする時、リンチェンドルジェ・リンポチェが末娘を可愛がりご加持をしてくださるのを感じました。
例えば:2004年、例により一家で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお目通りする時、リンチェンドルジェ・リンポチェ上師が末娘に「何かありましたか」とお聞きになりました。末娘はリンチェンドルジェ・リンポチェに「最近職場(劇団)を離れようと思っています」とお答えしました。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは末娘にまず二つの事をやり遂げてからここで御仏の道を学ぶのを続けなさいと開示してくださいました。その二つの事とは、
- 嘗てあなたを手伝ってくれたそしてあなたが好きだった同僚に自分で別れを告げて、感謝の意を表しなさい。
- あなたに何かと文句を言い、また嫌いだった同僚にも、別れを告げて、謝りなさい。
末娘は上師の言う通りしました。こういうことは私には彼女に教えられません。というのは考え付かないのです。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは私の心配事を取り去ってくださり、感謝で一杯です。
今年の9月、末娘は研修のため日本へ赴きました。その時も尊きリンチェンドルジェ・リンポチェのお世話になりました。娘が一人で重い荷物を担ぎ、慣れない日本へ初めて赴いた時、母として本当に何も手伝えず、心が痛んでいました。
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ上師は、人に頼んで飛行場へ娘を迎えに行ってもらうようにお取り計らいくださり、その後も娘がお金が足りないのではないかと心配してくださり、節約しすぎると健康によくないから、充分食べて、牛乳をよく飲むこと、安全に注意すること、自転車を乗りまわさないことなどを注意して下さり、更にタクシーに乗りなさいとお小遣いまでくださいました。生活上の細々としたことについて言い尽くす事ができないほど気をつかっていただきました。
私達一家は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを礼拝いたします。ほんとうにありがとうございます。
その三:罪深い私は、1999年7月、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深き母へのポワ法を自分自身の愚かさにより、感謝するどころか拒絶したのです。
妹(盧寶蓮)が私にリンチェンドルジェ・リンポチェ上師にお会いしましょうと言ってくれても、私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを一般の法師と見なし、御仏の道をもう少し学んでからにすればいい…と考えていました。「私はここで尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに身口意の懺悔を捧げます。そして、成仏する前、永遠に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依し、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教えに従い、教義に基づき事を行います。」と願をかけました。
2年半の時間を浪費した私は、2002年初め、上の娘の事故のお蔭で、再び尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに接することができました。諸佛菩薩の今回のお取り計らいに感謝いたします。私と娘の三人は2002年4月28日に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依し、それからリンチェンドルジェ・リンポチェ上師のお世話とご加護につねに甘えております。
私達はこの宇宙で最も幸せで幸運な人間です。私達には尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがいらっしゃるからです。更に多くの有縁の人々が、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのご加護と教えを受ける事が出来ますように願っています。
尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝いたします。
尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを礼拝いたします。
盧美連
2009 年 03 月 25 日 更新