089:感恩リンチェンドルジュ・リンボチェが文炫の命を救ってくださった

2006年8月10日の深夜、息子頼文炫は車事故に遭い、脳動脈が破裂し、脳の内部は大出血し、完全に昏睡状態で、脳内の血の塊は3.5センチに大きくなり、医師の診断ではすぐに手術しなければならないということでした。同時に私達に、助かるかどうかは保証出来ない、もし助かっても植物人間になる可能性があると告げました。

手術を待つ時間に、私達は宝石店へ電話をかけました。尊きリンチェンドルジュ・リンボチェ上師は阿弥陀仏大超度法会に備えて閉関中であることを知っていましたが、兄弟子達は私達の事情を伝えてくださいました。早朝の四時半、手術は終わりましたが、ICUへ送られて、未だ生死不明の昏睡状態でありました。

8月13日の大法会の後、道場へ戻りアチ護法を修めましたが、時間はほとんどありませんでした。兄弟子達は地下室へリンチェンドルジュ・リンボチェを迎えに行き、私は道場の上師の休憩室で上師の座布団を整えていましたら、突然非常口が開き、リンチェンドルジュ・リンボチェが現れたので、急いで坐っていただきました。

リンチェンドルジュ・リンボチェは:「息子さんはどうしたのですか?」とお訊ねになりました。私はすぐさま車事故と手術の過程を報告しました。リンチェンドルジュ・リンボチェは「息子さんは死ぬことはありません!あなた方の家は殺業が重すぎるのですが、息子さんは次第によくなってゆきます」と開示してくださいました。

リンチェンドルジュ・リンボチェの開示を聴き、私の心はずいぶん落ち着きました。

それから数日間、息子は昏睡状態が続きました。ある日突然病院から通知があり、息子の病状について説明があるとのことでした。

私が病院へ駆けつけた時、医者は汗だくになっていて、文炫のほうは全身浮腫み、体温は41℃もあり、尿はコーヒーのような色になっていました。文炫は横紋筋が溶け、筋肉の酸中毒で医師が緊急処置として大量の点滴をして体温をコントロールしようとしたので、体重が62キロから85キロまでになってしまいました。

同時に腎臓衰弱を防ぐために、24時間連続で腎臓の人工透析をしましたが、脳出血のために抗凝血剤を使用できなく、人工透析の機械は数時間で詰まってしまい、次々に何台も取り替え、その日の深夜になって病状はようやく少し落ち着いてきました。

実は、この時の病院の通知は危篤通知であり、医者はてんてこ舞いで施す術はすでになく、潅水、人工透析というのは最後の手段にすぎなかったのです。しかし、当時私が全然緊張しなかったのは、リンチェンドルジュ・リンボチェが息子が死ぬ事はないとおっしゃった事を、深く信じていたからです。

後で医者が教えてくれましたが、台大急診での重症には三名の権威ある医師が居て、三人合わせて60年以上の腕を持っていますが、これまでにこのような状況に出くわしたことはなかったということでした。

脳の外傷で手術を行うために、血止めは一番大切なことですが、同時に腎臓の人工透析を必要とする場合は最大の危機だそうです。人工透析は凝血により血の塊が発生するのを防ぐことが大事で、抗凝血剤を与えなければなりません。両者は互いに相反する条件を必要とし、脳を救えば腎臓が衰弱し、腎臓を救えば脳死状態になるのです。

臨床で言うと、脳が外傷を負った場合、横紋筋が溶けてくるのは、すべて緊急手術の時であり、殆ど救いようがないそうです。

台大病院では今までこれを救った例がないと医師に言われましたが、文炫のように脳出血の手術が治まった後に、横紋筋が溶ける例には出会ったことがないと言われました。

リンチェンドルジュ・リンボチェの大威徳力により不可能なことを可能にしてくださったことを讃え、リンチェンドルジュ・リンボチェが息子文炫の命を救ってくださったことに、ただただ感謝でございます。更に、リンチェンドルジェ・ボチェは今年息子が皈依できるようにしてくださったことに感謝いたします。生き返り、仏法を聞き、御仏の道を学ぶ機会に恵まれましたことを感謝しております。有縁の衆生全てが、リンジェンドルジュ・リンボチェの広大無辺の慈悲のご加護を受けられますように願っております。

頼典章

2009 年 03 月 20 日 更新