088:感恩リンチェンドルジュ・リンボチェ

2006年10月末、退勤して帰宅した後、一緒に住んでいる父が、家事を終えたばかりだがちょっと気分が悪いと言いました。

秋の夕方は涼しくなるので、父に汗ばんだ服を着替えて、暖かい服に着替えなさいと言いましたが、一、二分ほどして振り返ってみると、服を着替えていた父が突然震え出しましたので、ひやりとした恐れに襲われました。

すぐさま父をベッドへ連れて行き、119番に電話をかけ救急車を呼びました。

救急救命士は着くなり、父が熱が出ていることに気付きました。台大病院の急診検査の後、父は胆嚢炎に罹っていることがわかりました。医者の提案と父一個人の決定のもとで、次の日に胆嚢を手術して胆嚢を切り取ることを決めました。

事の発生から急診まで、私はずっと父の傍で看護して、常に尊き金剛上師の加持を観想していました。

父の手術は順調でした。手術後父の腹部20センチ以上の傷口は、持病の糖尿病の影響を受けることなく、回復は良好で普通の病人と同じ状態でした。ただ痰が胸に詰まり、順調に咳き出すことができず、手術後の睡眠に影響しました。

リンチェンドルジュ・リンボチェの加持に感謝するため、兄と姉と共に宝石店へ行き、リンチェンドルジュ・リンボチェに感謝し、施身法に参加を申し込みました。

その晩リンチェンドルジュ・リンボチェ上師は私に、平素上師の功徳を称え広めていないので、家族が信じないのだと開示なさり、並びに藤の棒で私の頭を加持してくださいました。

更に、兄と姉が施身法に参加したいなら、今後は菜食しなければならないとおっしゃいました。姉はその日から菜食を初め、今まで続けています。

その日私が宝石店を出て、台大病院の父の病室に帰ると、父は熟睡していました。看護の妻の話によると、父が痰を吐き出した時間は、ちょうどリンチェンドルジュ・リンボチェが私の頭を藤の棒で加持してくださった時だったことが分かりました。その同じ時間に、父は苦しんでいた痰を吐き出したのです。

2007年2月の初め、ボーナスを貰ったのを良い機会として、私は父を日本へ遊びに誘い、祥楽旅行社の京都への旅行ツアーに参加しました。

月の夜、私達二人は琵琶湖の温泉に浸かりましたが、私の心は無限の感動に包まれていました。

父は二十数年間糖尿病の宿病を持ちながら、腹部大手術の三ヶ月後、日本へ来て温泉に浸ることができたのです!尊き金剛上師リンチェンドルジュ・リンボチェの加持のお蔭でなければ、これは不可能な事だったのです。

弟子 黄騰逸

2009 年 03 月 20 日 更新