086:ロザケア皮膚炎
この生涯において、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに巡り合うことができたとは、どれほど得がたい福報と因縁でしょうか。なぜなら上師の開示があったからこそ、私の命の炎は再燃したのです。私は欲張りで、負けず嫌いで、自惚れやで、非常に傲慢な人間でした。「貪瞋癡慢疑」とは正に私の姿に違いありませんでしたが、上師に皈依した後、初めてすべては自身の過ちであったと悟ったのです。
小学四年生で近視になり、メガネを掛けるようになりました。高校の時にはおしゃれが気になり、コンタクトレンズを使い始めましたが、夜遊びで遅くなり、コンタクトレンズをしたまま寝てしまうこともありました。ある日の深夜、目に刺すように痛みを感じ、急患に駆け込みました。危うく角膜損傷は避けられましたが、その後は飛蚊症とドライアイになってしまいました。2005年には、大胆にもレーシックによる視力回復手術を受け、眼の乾燥はさらに進みました。毎日4~5回目薬を点し、温湿布も必要で、そうしなければ深刻な痛みと焼け付くような感覚が残り、非常に不快でした。
1997年春、ある日の午後でした。突然両頰がリンゴのように赤くなり始め、それが何週間も続きました。どうもおかしいと思い、皮膚科に掛かったところ、アトピー性皮膚炎と診断されました。医者は「大丈夫ですよ。ステロイド薬を塗れば治ります」と言いましたが、その後断続的に8年余りもステロイド薬を使用していました。痒くて眠れない、早く治してしまいたい、との思いで、ステロイド薬を服用もしていましたが、2005年には健康食品を誤飲したことで、その2日後に、顔面にいつもよりさらに大きい痘が現れました。刺すような痛みと焼け付くような感じを伴い、両頰はさらに醜くくなってしまい、外出時にはマスクを着用するような有様でした。会社の同僚を驚かせたくなかったためです。最後には皮膚科に掛かり、「酒さ(ロザケア)皮膚炎」と診断されました。現在の医学では根治できない病とのことで、ステロイド薬を使用するしかないとのことでした。当時はとても悩み、諦め切れずに台湾中の東洋医学、民間療法医を尋ね歩き、神仏に祈りましたが、最後には絶望してしまいました。
長期間のドライアイと顔面の皮膚炎で、日常生活でもう十分に苦悶していましたが、その上さらに、その頃産婦人科で左右共に3~4cmの子宮筋腫が見つかりました。私の結婚生活は、当初から3年毎に離婚の話が出ていましたが、毎回息子がまだ小さいということで、我慢するしか仕方がありませんでした。内心、息子が満18歲になったら、離婚しようと思い定めていました。こんな状態で、人生は私にとってあまりに辛く、苦しく、けれども毎日の生活にも立ち向かって行かなければならないため、気丈に振舞っていました。
2007年2月6日の夜、リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁致しました。跪いたその瞬間、この目がリンチェンドルジェ・リンポチェを捕らえたその刹那、突然無意識の内に涙が溢れて来ました。心では、リンチェンドルジェ・リンポチェは必ず私をお救い下さると感じていました。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深くも「どうしたのだ?」とお尋ねになられたので、私は私の身体に加持下さることと、法会への参加をお許し下さること、「懺悔」の仏法録音テープを下さるようお願い申し上げました。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に満ち、また厳粛な様子で「魚を食べ続けるかね。肉を食べ続けるかな」と仰せになられましたので、即座に「今夜から菜食に致します」とお答え申し上げました。リンチェンドルジェ・リンポチェは加持下さると共に、病を得た原因について開示下さいました。リンチェンドルジェ・リンポチェは、私の求めすべてにご同意下さったのです。私は非常に興奮し、感激に包まれ、明日もう一度来て皈依をお願いしようと思いながら宝石店を後にしました。翌2/7、再びリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁し、皈依を申請することにご同意頂きました。そうして2007/4/14の皈依法会において、私はようやくリンチェンドルジェ・リンポチェの弟子となりました。
3/29に産婦人科で子宮筋腫を検査したところ、左右共1~2cm小さくなっていました。
4/5 ~4/8はちょうど春休みでした。私はこの時、リンチェンドルジェ・リンポチェの大きな慈悲と細やかなお心遣いを悟りました。この期間中に私を家で休息させてやろうとなさったのでしょう。4/10、顔面の解毒が順調に進んでおりましたので、感謝と懺悔を申し上げに、急いでリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁に上がりました。リンチェンドルジェ・リンポチェは、甘露丸を一粒下され飲むように仰せになり、私に加持下さいました。私は慟哭していました。自身で為した罪業の一切は自身で引き受けなければならないのに、なぜ、いったいどんな徳が、どんな能力があり、この大修行者に福報と体力を費やさせ、私を救い加持下さるようにできたのか。この上もなく勿体なく、慚愧の思いでいっぱいでした。
最もうれしかったのは、皈依する前でしたが、リンチェンドルジェ・リンポチェがネパール閉関の際、見送りの一行に私を加えて下さったことです。初めて上師について出国する。なんと有り難い福報でしょうか。その後、巡礼のために出国する機会があれば、私はそれを大切にし必ず参加するようにしています。
皈依して一年余りが経ち、改めて上師に感謝が募る日々です。上師にお目に掛かることがなければ、私が生まれ変わることもあり得ませんでした。
今では病気をすると、懺悔し業を消す機会に恵まれたと、かえってうれしく思います。結婚生活も独立し、すべて円満に進んでいます。これらはすべて上師がお与え下されたものです。上師は絶え間なく私達を開示下さいます。人の一生は短く、時間は限られているのです。この生涯で仏法を学ぶ因縁を大切にしなければなりません。輪迴の苦しみから逃れ、生死を解脫するため、私はしっかりと上師に従い学習し、戒を守り、十善法を為して参ります。此れではじめて、今世で生死輪廻から逃れることが出来ます。
2008/12/22 第2組 劉麗珠
2009 年 04 月 01 日 更新