084:上師リンチェンドルジェ・リンポチェの涙

第一部~澄淨の大慈悲力

2005年、台湾大学の体育館で行なわれたチベット仏教の「阿彌陀仏無遮超度大法会」に友人に誘われ参加ましたが、それは私にとって初めて参加する大規模な仏教法会でした。二階に座っていた私は、イタズラ好きで落ち着きのない当時11歲であった息子が、周囲に迷惑を掛けることのないよう気を配りながら、自分は好奇心を抑えられず、会場中央にある極彩色の壇城上に目を奪われていました。すべてが新鮮に感じられたのです。

司会が法会の開始を宣言すると、全参会者が起立し合掌して、主法であられる上師リンチェンドルジェ・リンポチェを法座へとお迎えします。迎接の楽の音が鳴り響く中、私は胸が震えるような感動を味わい、知らず知らずの内に両の目は涙で満たされていました。スクリーンに映し出されるリンチェンドルジェ・リンポチェは、すっくりと細身のお姿で活き活きとしたお心が伺われ、その特に親しみを感じさせる広東語なまりの中国語で、ユーモアに溢れる挨拶のお言葉が、マイクを通して伝わって来ます。そうして、私があの瞬間に感じた激しい心の揺れは、あっという間に慰撫されたのでした。幼い息子に訝しく思われないよう、探し物をする振りをして、私はこっそり涙を拭きました。

法会が一段落した際、リンチェンドルジェ・リンポチェは、参会者すべてに集まったお供えの一部を一緒に頂こうとお誘いになりました。それは長く座っていられないお年寄りや子供達に、いくらかでも食べることで法会に参加し続けられる体力を養ってもらおうとのご配慮でした。会場内の静かで荘厳であった雰囲気は徐々に騒がしくなり、場内でボランティアとして立ち働いていた兄弟子達は、忙しくお供えをみなに手渡していました。みなで食べたり飲んだり、おしゃべりしたり騒がしく、まるで休み時間の学校のようなにぎやかさです。ところが、参会者達が楽しく談笑している時、法座に端座しておられた陞座リンポチェは、突然激しく慟哭なされたのです。満場の喧騒は一瞬にして凝結しました。リンポチェは涙を拭われ、場内の参会者に向かって苦しげにお話し下さいました。「衆生が六道で絶え間なく輪迴しているのを見るに付け、その輪迴の痛苦を感じ、衆生のことを考えると辛い……」と。私はもはや抑えようのない感動に襲われました。この慈悲深き修行者は私と全く面識がないにもかかわらず、なぜこれほど誠実に、寛容にお心を寄せて下さるのでしょうか?この利己的で自分勝手で、欲しい物には強引で、名利の追求に心を奪われ、自分は良い人間だとうぬぼれていながら、その実、心の中は汚れ切っている私なのに。

この瞬間、人生の目標に対する自分の無知と無力に初めて気づきました。既に40歳に近かった私は、小学五年生の息子とどこも違わなかったのです。これが初めて上師リンチェンドルジェ・リンポチェをお見かけしての印象です。

林慕屏

2009 年 04 月 01 日 更新