083:恩怨解かる
私の子供の頃から、母と母方の祖母、私の三人の間には、複雑な恩怨がありました。母方の祖母は、私を非常に可愛がっていたため、何から何まで私を一番に考え、私が苦労したり傷付いたりするのを、気に掛けていました。また私の祖母に対する愛は、母へのそれより勝っており、そのため力の及ぶ限りは祖母のために尽くし、祖母が少しでも具合が悪いと、大騒ぎして医者を回り、おいしいものを買って来て、温泉に連れて行き、と言った具合でした。
けれど、私は母の気持ちを考えたことがなかったため、母と祖母との間には確執が生まれ、私はかえって母にしばしば反抗するようになりました。母に対して子供としての孝道を尽くさず、母の言行に文句をつけ、母も私の行為を受け入れようとはしませんでした。リンチェンドルジェ・リンポチェの法会がどんなに殊勝であるかと、何度も母に話しましたが、私が自身を完全に変えられていなかったため、母は仏を学ぶ事に参加しようとはしませんでした。
私達三人の複雑に絡み合った恩怨は、何も言わなくとも、上師はご存知でした。私は一度戒を破ったため、陞座リンポチェに法会への参加を禁止されたことがありました。当時私は非常に辛く、法会の度に門外に跪き許しを求めることしかできませんでした。およそ半年の後、リンチェンドルジェ・リンポチェは私を数秒間見つめられましたが、それによってようやく、私を法会に参加させて下さるよう、リンチェンドルジェ・リンポチェに頼むよう、娘に告げることができました。
リンチェンドルジェ・リンポチェは、私に代わり、母が許しを請いに来るよう仰せになりましたが、私は母が応じてくれるとは想像だにしませんでした。普段孝道を尽くしていないばかりか、母に対して乱暴な口をきいていたため、私が何を言っても、母は一切受け付けてはくれませんでした。
ところが、まるで奇跡のように、母は私にいくらか文句を言っただけで、渋々ながらも私の求めに応じてくれたのです。私が犯した過ちのために母が辱めを受けるのを目にし、私はひどく申し訳なく思いましたが、リンチェンドルジェ・リンポチェの下で仏を学ぶ事はどんなに重要であるかと思い直し、母に対して感謝と懺悔の心が湧いて来ました。リンチェンドルジェ・リンポチェは母に対して気軽な様子で「仏を学ばせないのではない。母に孝行を尽くしていないからだ」と開示なさいました。その時、生涯で数度しか涙を流したことのない母の目から涙がこぼれて来ました。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲を湛えて母に笑い掛け、私に母のいうことをよく聞くようにと仰せになりました。
小さい頃から、母と手を繋いだことのなかった私ですが、泣きながら母に謝り、私達母娘は街中で抱き合い泣きました。リンチェンドルジェ・リンポチェはかつて「修行の証量を備えた修行者が開示する言葉は、人の意識の中から考えを変えられる」と開示なさったことがありました。リンチェンドルジェ・リンポチェの口中から発せられる言葉が私達にもたらす衝撃は非凡なものです。これこそリンチェンドルジェ・リンポチェの不可思議な攝授力なのです!
後に法会において、リンチェンドルジェ・リンポチェは私に「母に口答えを致しません。母の粗をあげつらうことは致しません」と懺悔を発露するよう、再びお命じになりました。
これ以降、私は母に対して反抗せず、母を敬い、母の立場になって考えられるようになり、母と祖母にもゆっくりと、しかし極めて大きな変化が訪れていました。母と祖母との間の恨みは消え、お互いを思いやる気持ちを取り戻して行ったため、祖母は晩年、心に怨みを抱くということはなくなりました。
すべては尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの大智慧、大悲大願のおかげです。私達家族の十年来の恩怨を解消して下さり、孝道とは仏を学ぶ者にとって、根本とも言えるほど重要だとお教え下さったのです。上師の恩徳に深く感謝申し上げます!
鄧淑卿 2008.12.12
2009 年 03 月 25 日 更新