082:リンチェンドルジェ・リンポチェの大福報が私達一家をお守り下さった
皈依の日時:2003年1月11日
2002年8月、叔父(叔母の夫)は、リンパ性白血病により瀕死の床にありました。徳蘭兄弟子のお導きで、リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁し、栄民総医院で叔父に加持下さるようお願い申し上げました。リンチェンドルジェ・リンポチェは、叔父とは面識がなく、初めて会って加持下さる時、「どんなことを生業にしておられる?私にはそなたが木の葉を掃き集めているのが見える。木の葉を燃やすことで多くの生き物を焼き殺してしまった。今日在るはその業報だ」と仰せになりました。(抗がん剤を打っていたため、叔父は全身に赤い発疹があり、まるでアリが全身を這っているようで、またその痒さはたとえようもないと言います。)叔母が、2時間後には叔父の腿の赤い発疹がかなり消えていたと言うので、私は驚きました。三ヶ月後、叔父は骨髓移植を行いましたが、それに伴う痛みは、同病の人に比べはるかに軽かったと言うことです。しかも、病情も抑えられ、今日まで健康に生活しています。リンチェンドルジェ・リンポチェには感謝至極でございます。
この一件以来、私のリンチェンドルジェ・リンポチェに対する敬意と認識は一層深くなりました。そして懺悔の録音テープを取り寄せ何度も聞き、7~8回聞いた後、テープ内のリンチェンドルジェ・リンポチェのお言葉の意味が、ようやくはっきりと分かりました。「それを他人の過ちだと思う時、それこそは自己の過ちだ」と私は折々に思い巡らしております。
夫は2002年11月に皈依致しました。徳蘭兄弟子に励まされ、また夫の勧めもあり、2003年1月、私も寶吉祥仏法センターに皈依しました。皈依後、私は菜食を食すようになりました。夫は菜食をとることに対して強い思いがあり、絕対に清淨でなければならないと言うので、多くの方にご協力頂き、私達は先ず卵と乳製品を禁じない菜食とし、ゆっくり進むこととしました。
色々な方からお話を頂き、子供も一緒に菜食をとることになり、2003年7月には皈依致しました。皈依後、私達一家は一緒に法会に参加し、リンチェンドルジェ・リンポチェの仏法を一緒に拝聴しております。子供は私達父母を思いやってくれるようになり、以前私は子供の学業、行いで度々ヒステリーを起こしていましたが、今ではそれも少なくなり、家庭の雰囲気はとても穏やかになりました。
けれども、毎日仕事を終えると心身ともにぐったり疲れており、家に帰りソファーに倒れ込むと、夫に水を持って来させ、子供には家事を手伝わせていました。そして夫と子供がすぐにそれに応じないと、夫は思いやりがない、子供は言うことをきかないと怒っていたものでした。しかしある日、私は突然「夫も疲れているのだ。子供も勉強で大変なのに違いない。なぜ私は彼らの身になってやれないのか。自分でやればいいのだ」と気がつき、考えを変えることができたのです。
父は72歲の時、浴室で転び腰椎を粉砕骨折しました。痛みが激しく横になれず、さらには起き上がれなくなり、三軍総医院に検查入院しました。医者は「すぐに緊急手術をしなければ下半身不随になる。このような脊椎骨折は、癌の脊椎への転移によると考えられ、さもなければこうはならない」と言いますが、検査をしても癌は見つかりませんでした。
手術の前夜、放射線科の医師が父の手術部位付近に膿疱ができているのを発見しました。これでは手術は無理で、先ずCT検查を行い、膿疱を抽出し、細菌を培養する。さらに、炎症を抑える治療が必要であるため、三ヶ月後でなければ手術できないと言うのです。父の痛みは尋常でなかったため、この結果は受け入れがたいものでしたが、医者の言うとおりにするしかありません。家に帰り、抗生物質を服用する治療を始めました。(検査でも膿疱の原因菌は見つかりませんでした)
父はあまりに長く病床にあったせいで、背中に床ずれができたため、ベッドを離れ歩くことにしました。ところが、歩き回っている内に、階段の上り下りができるようになり、痛みも和らいできたようで、二ヶ月目には歩いて外出できるようになりました。病院に行けば医者の前で歩いて見せ、しかも強い痛みもない様子を見て、医者は「全く不思議だ。大手術も金属ピンも必要ない。骨セメントを注入し、腰椎を2節開いて神經を圧迫しないようにすれば、疼痛は軽くなり、下半身の麻痺も軽減されるだろう」と言いました。
父は今でも自分で電動車に乗って友人を訪ねおしゃべりしたり、用事をこなしたりすることができます。さらには自転車で近くの公園に行き、日本に旅行に行くことすらできるのです。
これらはすべて、リンチェンドルジェ・リンポチェのお慈悲、加持のお力によるものです。リンチェンドルジェ・リンポチェは皈依した弟子だけでなく、その家族にまでお心を配って下さいます。しかも、最良で、最も慈悲深く、痛苦を最もよく軽減し、最も円満なやり方で。リンチェンドルジェ・リンポチェには感謝の申し上げようもございません。
リンチェンドルジェ・リンポチェの仏法講釈を拝聴し、仏法事業を発揚なさるリンチェンドルジェ・リンポチェを拝見すれば、「命など、金など要らぬ。ただ衆生だけだ」という思いが伝わって来ます。菩薩でないと言うなら、なぜにこのような慈悲の心をお持ちになれるのでしょうか。リンチェンドルジェ・リンポチェは、インドのヂャンチュウブリンという人里離れた辺鄙な地で、完全なる無私の心で、ただ衆生のために閉関下さります。正に活菩薩であられるのです。
必ずやリンチェンドルジェ・リンポチェに従い、しっかりと仏法を学びます。自己を一切省みず、常に衆生のために尽くされる大修行者、リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依できるとは、これこそ私の福報です。
リンチェンドルジェ・リンポチェの正知正念は、ただ仏法のため、衆生のためのご努力であり、必ずやリンチェンドルジェ・リンポチェに従い、教派を護持し、仏法を学んで参ります。
第四組 羅月卿
2009 年 03 月 20 日 更新