081:不可思議な皈依の縁起

皈依の縁起については、倉庫を賃貸した時から話を起こさなければなりません。この件については、二番目の姉の友人である許妙琪兄弟子に、深く感謝しております。

私は服飾の中卸業を営んでおり、夫婦かカップルが毎日市場へ行き小売を担当しています。そのため私は倉庫が必要で、賃料を負担するために、小売もできればさらに望ましいと思っていました。いろいろ探した結果、最終的に二ヶ所から選ぶことにしました。一つは、市場の傍で毎日多くの客が通り掛かるでしょうし、賃料も比較的安い。もう一つは、人気のないところで通り掛かる人は少なく、しかも賃料は割高でした。けれども私は、こちらの方が気に入っていました。特に地下室である点に魅かれていたのです。

仕事は始めたばかりで人手もないため、倉庫に一人で遅くまでいることもしばしばありましたが、なぜか、いつも一種訳の分からない不気味さを感じていましたところ、ある日、カップルの販売員が地下室に品物を補充に来ました。私は彼らに、女の子は階上の倉庫の番をし、男の子だけで地下室に商品を取りに行くよう頼み、自分は夕食を買いに行き、ついでに酒も持って来ます。彼らはいつもは喜んで私の言うとおりにしてくれますが、この時は、私に後で行って欲しい、と顔色を変えて拒否したのです。最初私は「階上でしばらく留守番するくらいどうってことはないのに」と思いました。

しかしこの時、この女の子が、自分はいわゆる陰陽眼を持っている、と言っていたことが突然頭を過ぎりました。それで彼女に、「地下室に何か変なことがあるから、彼を一人で行かせたくないんじゃないか」と尋ねました。彼女は「何も異常はない」と言いましたが、語気はわざとらしく、私が怯えないよう繕っているようでした。

その後、得体の知れない不気味さと恐れは、再三私を苦しめるようになりました。特に品物を整理している時には、新品の包みの辺りから、ネズミの死体の臭いが頻繁に漂って来ます。けれども、どんなに探しても見つからず、臭いもすぐに消えてしまい、このため、私はさらに強く怪しいと感じ始めました。さらには、警備会社の警報が度々鳴り、器材チェックに数人のエンジニアが訪れ、また何度も器材を交換しましたが、やはり同じ状況が起きました。けれどもおかしなことに、どこから湧いて来るのか分からない一見の客が、一度に何千元、さらには一万元を越えるほど買って行き、私達はその額の大きさに驚いているほどでした。しかし、客が出て行く度に、おかしいという思いはさらに強くなりました。なぜなら私達の販売価格は高くないため、一度に数千元の買い物をするためには、かなりまとまった量を買わなければならないからです。

私が販売していたのは中国服で、いわゆる唐風の綿入れです。そのため、寺廟関係者がよく団体で買いに来ていましたが、その日の夜も、数人の寺廟関係者が来ました。彼らはユニフォームにできるようなタイプの服を探しており、翌日には、住職を伴いまたやって来て、ユニフォームのオーダーについて話していました。私はその時、気持ちを抑えきれずに思わず「ここに何か普通でないことがないでしょうか」と聞きました。最初彼らは「何があるんですか?」と言っていましたが、私が倉庫を案内し地下室まで来ると、「ここにはたくさんの幽霊がいる」と言い、「とてもたくさんいる」と何度も強調します。しかも、私がこの倉庫を選んだのは、「幽霊があなたを招いたからだ。特に、この地下室を気に入るように仕向けたようだ」と言い、続けて「あなたを通して、彼らを救うべきだ」と言いました。その時、私は閃きました。「眼前にいるこの人達ではない」と。当然彼らは「料金を徴収するが、幽霊を立ち去らせることができる」と言いました。

このような状況に立ち至り、私は、重要なことなので家人に、特に二番目の姉に言うべきだと思いました。それでその後は、許妙琪さんの電話をしばしば受けました。許さんは、彼女の上師は私を助けられるから会いに行きなさい、と非常に熱心に言ってくれます。少し面倒にも感じましたが、私は大人しく、許さんの話を聞いていましたが、今こうお話ししていて、本当に申し訳なく思います。今では許さんにとても感謝しているのですから。この頃、私は別に霊媒師に会いに行ったところ、霊媒師も解決できる、と言うので、私はどうしたら良いか分からなくなってしまいました。ある面では、私はいわゆる頑固者です。それにおかしなことに、私はあの不気味さを恐れてはいながら、幽霊を追い出そうとは考えていませんでした。彼らは先住者なのですから、私が出て行くべきではないか、とさえ考えており、おかしなことですが、彼らを救おうと思っていたのです。どうしたら良いのか、具体的な考えはないながらも、いつもこんな思いを抱いていたので、私は別に倉庫を探し始めました。

その日家を出る時、玄関のドアを開けると、そこに子犬が居るのに気が付きました。ビーグルがそこに立って私達を見ており、なぜだか分かりませんが、その子犬を倉庫に連れて行き洗ってやりました。普段ほとんど休みを取っていなかったので、その日の午後はついでに休みにし、子犬と一緒に散歩しました。私と、付き合っていた彼女は相談して、許さんの師父に会いに行くことに決めました。そして逸仙路に向かったのです。

寶吉祥宝石店に着くと、中にたくさんの人がいるのが見えます。みな列を作り、非常に恭敬した様子で、また小声で話しています。これがその時の印象です。その日は許さんもおり、挨拶をしたところ、許さんがとても喜んでいるのが分かりました。私が、ようやく許さんの説得を受け入れたからでしょうか。そうこうする内に、みなは私達を列に割り込ませてくれました。私の番になった時、 リンチェンドルジェ・リンポチェ(当時は「師父」との尊称でした)の面前に跪いたところ、 リンチェンドルジェ・リンポチェがとても慈悲に満ちた方であるのを感じました。 リンチェンドルジェ・リンポチェは私に「どうしたのか」とお尋ねになり、私は倉庫の事をお話申し上げました。 リンチェンドルジェ・リンポチェは、法会に参加するようおっしゃいました。(当時私は、三次回参加すれば良いや、と思っていました)さらに私は、酒を飲まないよう求められ、私の彼女に、もし飲んだら報告するようにとおっしゃいました。法会への参加を申し込み、逸仙路を離れた翌日の正午、ビールを持って私に会いに来た人がいましたが、私は飲みませんでした。実は倉庫ではほぼ毎日飲酒しており、この事では彼女も不満を漏らしていました。それで彼女は「おかしいわね。そんなに大人しく、言うことをきくなんて」と言い、私も不思議に思っていましたが、その後、一切酒を飲んでいません。

初めて施身法会に参加した時、非常に良い感じを受け、胡坐をかいて座るのは痛くて大変でしたが、今後も参加しようと思いました。倉庫の幽霊がみな、 リンチェンドルジェ・リンポチェのお力によって救われるよう願っています。その時、私は彼女に「幽霊もすごいね。こんなにたくさんのルートを使って、 リンチェンドルジェ・リンポチェの法会に参加しているのだから」と言いました。後には私も、ある市場の中に店舗を借りることができたのです。

黃国棟謹んで書き上げます
2008年12月12日

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2008 年 12 月 12 日 更新