079:師恩報い難し

私は南部の農家に生まれ、そこで成長しました。父母は農業で生計を立てています。高校の時から家を離れて学業を修め、仕事をし、家庭を持ち、御正月や祝日に南部の田舎に帰るだけで、その他の時間は北部で生活しています。2002年の初め、父が心肌梗塞で突然世を去り、私は驚くのと同時に子供である自分が親孝行を尽くせなかったことと、父がもう傍にいない悔恨の念を感じていました。ですから、私は、父に対して尽くせなかった親孝行を全て母親にしようと考え、私達は、南部の田舎から連れて来た母親と一緒に暮らすことになりました。母は20年余り前に左の腎臓の切除時の輸血で、C型肝炎に感染しており、年齢に伴い、肝臓硬化が酷くなり、食道静脈の拡張と蛇行により大量吐血を二度引き起こし、集中治療室に入ったことがありました。

その頃、妻は既にリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依していました。自分達には助ける力がないと感じた時、私達は共にリンチェンドルジェ・リンポチェに助けを求めました。慈悲に満ちたリンチェンドルジェ・リンポチェは、次の日の午後、病院へ赴き母を加持して下さいました。これにより母は順調に退院することができました。退院後、私は再検査の為、定期的に母を病院へ連れて行きましたが、数ヶ月後、医師はもう再検査に来なくていい、状況に変化が見られたら救急治療室に直接行くようにとはっきり言いました。これは私達が見放されたことを意味しました…。それを聞いて私の心は谷間に落ちたように沈みこみ、無力さに、自分の母さえも面倒の見られない親不孝だと感じました。この時、妻ははっきり私に言いました。「お母さんと私達を助けることができるのはリンチェンドルジェ・リンポチェだけです。」そこで私と妻は宝石店で再びリンポチェの助けを求めました。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲を以って私に、皈依したかどうかをお聞きになりました。私は「いいえ」と答えました。小さい頃から家族は養豚、養家鴨、養鶏を営み、農薬を撒く等、殺生業の重い罪は嘗て途切れたことがなく、お正月や祝日には鶏や家鴨を数限りなく殺して来たことが私の記憶の中にありました。これらの殺生業の下、母は全く福徳の果報なくリンポチェの助けを得られなかったのですが、リンチェンドルジェ・リンポチェは変わりない慈悲の心で私達に出来る限り法会に参加し福徳を積み重ねるように仰りました。

最初、私達家族全員は、先ず施身法に参加し、後に家族全員で日曜日の法会に参加するようになりました。母も法会に数回参加した後、生活の重心ができたように見受けられました。母は幼い頃から一般の礼拝はしていましたが、法会に参加後、母の考えが徐々に変化し、家族間の話題も徐々にリンチェンドルジェ・リンポチェの教えに集中するようになりました。母の身体にも重病者の様子は見られず、肝臓硬化による腹水も生活には影響を与えていませんでした。親しい友人達は私達が母の面倒をよく見ているからだと言いましたが、私達は、これら一切がリンチェンドルジェ・リンポチェの御加持によるものであると感じ、リンチェンドルジェ・リンポチェの助け無くては本当にどう歩いたらいいのかわかりませんでした。2006年8月、母は自分から進んで皈依することを望みました。私は、母が拠り所を見つけたこと、自ら求めていた拠り所を探し出したことが分かりました。2007年4月、リンチェンドルジェ・リンポチェがネパールでの閉関数日前に、母は呼吸困難の為に国軍松山病院に入院しました。しかし、母が胸中常に忘れなかった事は、リンチェンドルジェ・リンポチェの閉関前の施身法に参加することであり、母は施身法開始の2分前に逝きました。私と妻と三人の子供は、母の往生前に施身法に参加する為に道場に入りました。そしてその後、リンチェンドルジェ・リンポチェに母の往生を伝えてくれるよう法友達に頼みました。母は、他の兄弟姐妹の見守る中、人生の最期を完走したのでした。また、母もまたリンポチェの殊勝なる「ポワ法」を速やかに得ることができ、私達は母がこのような大きな福徳を授かり、リンチェンドルジェ・リンポチェの助けにより浄土に往生できたことを喜びました。私達は道場から急いで病院に戻り、母の安らかな面持ちを見て、頭頂部の温かいサハスララチャクラに触れてみました。また、身体は柔らかく体温がまだ感じられました。私は母がリンチェンドルジェ・リンポチェの助けによって既に浄土に往生したことが分かりました。不思議な事に、私達7人の兄弟姐妹とその家族には愁傷感はなく、笑いと言葉がありました。リンチェンドルジェ・リンポチェは以前、「亡き者の済度ができれば、気持ちが良く、家族もまた悲哀に陥ることなく、只、懐かしさが残るだけである。」と説かれたことがありました。正にそうでした!これら一切は、リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝しなければなりません。リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲と加持により、母の最後の二年間に仏法を聴聞でき、臨終の時は、リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝なる「ポワ法」を得て浄土に往生できたのです。

私は皈依する前に、胸が息苦しくなる問題で暫く悩み、どんな治療を受けても効果はありませんでした。しかし、皈依後、薬なくして治癒され、心からリンチェンドルジェ・リンポチェの恩恵に感謝しております。

私の父が突然に死去してから、人生の生老病死に対し恐怖感、無力感、不安定感を感じていました。しかしリンチェンドルジェ・リンポチェへの皈依後、私は答えを見つけ、自分が何を求めているのかを理解しました。これら一切は、リンチェンドルジェ・リンポチェの弟子に対する恩沢であり、弟子である私は、その恩に感謝し続けながら、永遠にリンチェンドルジェ・リンポチェに従い仏法を学ぶことと、教えに基づく行動をとり続けることを発願致します。

チベット仏教直貢噶舉教派 リンチェンドルジェ・リンポチェの弟子 涂文財

2009 年 02 月 02 日 更新