078:リンチェンドルジェ・リンポチェは仏法で私の婚姻の苦しみを解消した
尊き金剛上師 リンチェンドルジェ・リンポチェ御前で頂礼!
リンチェンドルジェ・リンポチェは仏法を教え授かり、仏の真理を教え導き、また加持をなされて私の一切を変えられました。まず、リンチェンドルジェ・リンポチェ及び諸仏菩薩が、此処に弟子に機会を与え、この事のお話を出来る事に感謝します。
2006年のある日、私の目上の方が、その後私の人生を変えた尊者リンチェンドルジェ・リンポチェに引き合わせた。その時の私はもうなす術が無く、生きる事に対して何にも希望を持てなかった。其のしこりは婚姻に対しての無力感だった。リンチェンドルジェ・リンポチェと会った当時、私は唯一人の一般信者に過ぎず、リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲と大能力をよく知らなくて、唯自分が今後今の婚姻を続けるべきか、離婚するべきか、この手に負えない難題を解く事が出来るのか等を知りたいだけだった。はじめは離婚できるかどうかという質問を出す勇気がなかったので、その代わりに、私は合わせ続けたのに、なぜ問題は依然として存在し続け、改善されないのかと伺った。リンチェンドルジェ・リンポチェは当然私の考えを知っていた。いきなり私に:「結婚した時私に良し悪しを問うたか?今更何で私の裏書を求めるのだ?仏教は六波羅蜜、六度万行を行うのではないか?其の第一は布施である。何故彼を布施しないのだ。主人を布施し、他人が主人の世話をしてくれていると思えばいい!」と訓戒した。その後リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く私を加持なされた。私はそれから宝石店を出たが、当時はリンチェンドルジェ・リンポチェの気心が分からなかった。不思議なことに、心の中のわだかまりが幾分軽くなり、それほど苦痛だとは感じなくなっていた。
リンチェンドルジェ・リンポチェのお慈悲は、私に法会と施身法、即ち月一回、法界の中で済度が必要なあらゆる衆生のために行う済度法会に参加させて下さった。暫く経って私も定期共修法会に参加していた。ほとんど毎回、法会が始まる前に「佛子行三十七頌」(仏の弟子の行い37項目)を唱えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に必ずこれを覚えて実行しなさいと訓示した。私はこの前福報が足りないので早めにリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依できなかったが、リンチェンドルジェ・リンポチェはずっと前に「佛子行三十七頌」の解説をしたことがあった。そして私にいつでもそれを実行させるため、リンチェンドルジェ・リンポチェは日常生活の中でも、私に毎日自分が仏弟子のやるべき行為をやったかと反省するようにと諭した。
在家弟子が仏法を生活に適用すれば即ち修行であると上師は開示された。リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子たちに仏法を解き明かした録音を持ち帰って聞くようにさせた。リンチェンドルジェ・リンポチェは菩提道を行くものは肉体さえ捨得るのに、いわんや身外の物?と開示さている。しかし、頭の中で考える事と、実際に行う事は往々にして大分距離がある。心の中の欲念は、夫は私の夫だ、なぜ布施しなければ成らないのだ?と反発する。だが上師の開示を聞いた後、私は「前に悪因を植えなければ、後に悪果は無く、夫婦の因縁と人の間の因縁は、何時しか起こり、又何時しか消えさる。良く楽しい事は消え去るが、悪く苦痛な事も一様に消え去る。もしそれに執着すれば自分を煩悩、即ち貪、瞋、愚に陥らせて抜け出す事が出来なくなるであろう。」と言う事を了解した。リンチェンドルジェ・リンポチェは「仏菩薩はいつも衆生に手を広げているが、衆生は仏菩薩に手を広げているだろうか?」と開示したことがあった。そして私はリンチェンドルジェ・リンポチェが衆生に手を広げている仏菩薩だと思っている。私は毎週上師に親しく近づいて上師の開示を聞いた。リンチェンドルジェ・リンポチェは止めどもなく衆生に必要があれば、色々な方法で済度した。往生した衆生には尚更勿論の事だった。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示して曰く、「往生した衆生の苦しみは、普通の人には想像も就かないので、上師はどんなに疲れていても、他界する人があると聞けば、因縁に従って助けを差し出す。」
私は世々代々会い難い上師に、今世で会うことが出来たのだ。
主人は前には納得しなかったが、今私は自宅で荘厳な祭壇を供奉出来、またリンチェンドルジェ・リンポチェに従って聖地を巡礼する事が出来る様になった。今日に至って私はやっと上師を堅く信ずれば、恐れる事など無いと知った。上師の慈悲と衆生を済度する心は、私が話した事では、その万が一にも及ばない。弟子は懺悔し、毎日上師の長寿と健康、そして法輪が常に廻る事を祈るしかない。
上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝。
諸仏菩薩に感謝。
アチ護法に感謝。
法界の一切衆生に感謝。
阿弥陀仏。
弟子李慧琦
2009 年 01 月 21 日 更新