077:有限の生命と引き換えに無限の仏法を請う
2007年のある日、かつて長庚医学院のある先輩を知っていた、ということを突然思い出しました。しかも、長庚に勤めていた時、蔡秀佩医師と知り合い、蔡医師に、いつか一緒にあるリンポチェに拝謁しに行こう、と非常に心を込めて誘われていたことを思い出したのです。この考えは私の心中に深く根を下ろしていましたが、しばらくの後も、蔡医師は臨床に忙しく、しかも因縁が十分でないためか、私達は何度も約束しながら、その約束が実現することはありませんでした。
2007年五月、私は全身性血管炎を再発しました。西洋医学、東洋医学、民間療法とすべて効果がなく、その後、肉と卵に深刻なアレルギーがあることを初めて知りました。そのため、食事を完全に菜食にしましたところ、突然「リンチェンドルジェ・リンポチェにお会いしなければならない!」との思いが噴出して来たのです。この時私は、蔡医師の都合や、リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁するため私に付き添ってくれるか等と端から聞いていません。私は、蔡医師に電話で住所を教えてもらい、自分で逸仙路の寶吉祥宝石店へ向かいました。初めて「寶吉祥」の三文字を目にした時、非常に古い名のようだが、兼ねてから知っていたような感覚を抱きました。何度か待たなければなりませんでしたが、ようやく因縁が満ちて、信徒に開示中のリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁が叶いました。そして、永遠に忘れられないその折に聞いた一言が、その後の私の一生を変えたのです。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示なさって言いました。「仏法とは孝行なり」。この言葉は、私に強い印象を残し、しかもその時私は、「人として生涯で最も大切なのは『孝行』である。『仏法』もまた然り」と思いました。その瞬間私は自分に言い聞かせました。「私の人生を遺憾なくするには、その唯一の条件は『仏法』と『孝行』の二つを学ぶことだ」と。この後、私は心中で「リンチェンドルジェ・リンポチェの開示の一字一句すべては、我が一生に必要な智慧言語であり、宇宙の真理である」と思い定めました。なぜなら、初めてリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した時、すべての概念は空となり、リンチェンドルジェ・リンポチェが開示下さる仏法のあらゆる字句を吸収し、受け入れることができたからです。2007年より、每日曜日午後には殊勝法会に参加する機会を持て、リンチェンドルジェ・リンポチェが衆生に一切の仏法を開示なさるのを聞きました。そしてそれらは、私の生活における最大の重心となって行きました。
2008年1月6日、正式にリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依致しました。新たな生命がここに始まり、心中でリンチェンドルジェ・リンポチェに深謝し、敬うことを理解し始め、そして、リンチェンドルジェ・リンポチェが開示下さる仏法を每日の生活に取り入れるようになりました。私は「仏法が無ければ、私という個人の存在価値と意義は無いにも等しい。つまり、幸運にもリンチェンドルジェ・リンポチェの弟子になれた私にとって、今生にはもう思い残すことはない。私は現在34歲で、この先の人生にはなお多くの未経験の段階があるだろうが、私は既にこの世に遺憾はない。なぜなら今生でリンチェンドルジェ・リンポチェという、この世で最も貴重な宝に巡り合えたのだから」と己に告げました。
尊貴なるリンチェンドルジェ・リンポチェは、宇宙において最も慈悲に満ち、最も真心に溢れ、最も価値がある尊い仏法と偉大な修行者の来し方を、絶えず衆生にお示し下さいます。今生で福に恵まれ、リンチェンドルジェ・リンポチェが衆生の解脱のためになされた事蹟、衆生を教化なさる大慈、大悲、大願力、大功徳をこの目で見ることができ、今世に未練はなく、求めるものもありません。この短い一生において、このような得がたい、尊い宝─リンチェンドルジェ・リンポチェに巡り合うことができたとは、私達はなんと幸運で福に恵まれていることでしょう。さらには言うまでもないことですが、リンチェンドルジェ・リンポチェは、常に法王に対して何も求めず、感謝の心をひたすらに抱き続け、衆生を見捨てず、宇宙で最も貴重な宝を衆生にお与え下さっています。リンチェンドルジェ・リンポチェのこのような慈悲を思うたび、私は感動で泣きたくなり、「今生でリンチェンドルジェ・リンポチェに巡り合う以上に貴重なことはこの世には絶対にない」と、心中毎回讃え、感嘆致しております。これまで生きて来た私の人生は、十分な価値があったのです。なぜなら、諸仏菩薩が賞賛なさる珍奇で貴重な宝─リンチェンドルジェ・リンポチェに、幸運にも皈依することができたのですから。私は何かを求めることをとうにやめました!ただ、リンチェンドルジェ・リンポチェの大願力に従い、将来は輪迴の大(苦)海を離れる福に恵まれることを望むだけです!
張惠綾
2009 年 02 月 03 日 更新