074:次々に現れる奇跡

尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに頂礼

リンチェンドルジェ・リンポチェの私の家族へのご恩徳を思えば、何世代にわたっても報いることは出来ないと思います。祖母は、リンチェンドルジェ・リンポチェのポワ法を受け往生出来ました。「先天性双股関節骨脱臼」で、「一生車椅子の生活になるだろう」と診断されていた姉(艾芬)は、今では元気に歩き回っています。これらはすべてリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝なる加持と修法のおかげです。上師リンチェンドルジェ・リンポチェに深く深く感謝申し上げます。

さらに、上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、兄(呉宗明)をもお救い下さいました。台北から百キロ以上も離れた台中で、兄が生活の糧としているトラックの部品が破損しているのを見通されたのです。おかげで兄は、直ちにそれを修理することができましたが、もしリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深き加持がなければ、と考えると恐ろしくなります。リンチェンドルジェ・リンポチェは私達一家をお助け下さいました。どのように感謝申し上げたら良いか分かりません。

私自身も、子供の頃からアトピー性皮膚炎で、季節の変わり目には、毎年ステロイドの注射が欠かせない状態でした。注射を打たなければ、四肢の関節部分がかゆくて眠れず、ひどい時には血が出るまでかき続けることもありました。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依し、殊勝なる施身法に参加して以来、現在まで既に十年近く、かゆみに悩まされることはなくなりました。リンチェンドルジェ・リンポチェのお力によって、私はステロイドの副作用と決別することができたのです。

しかし、父は非常な頑固者な上、私達子供も教えに従わなかったので、なかなか父をリンチェンドルジェ・リンポチェにお引き合わせする因縁がありませんでした。けれども、リンチェンドルジェ・リンポチェが祖母にポワ法を施して下さった時、父もポワ法の殊勝なる力を目の当たりにしました。祖母は息を引き取ってすぐに保冷ボックスに入れられ、保冷ボックスで4時間近くを過ごした後、インドで閉関されておられるリンチェンドルジェ・リンポチェにポワ法を修めて頂くことができました。姉が電話で、リンチェンドルジェ・リンポチェがポワ法を修められた、と伝えて来てすぐに、私達は祖母の額に触れました。保冷ボックスに4時間余りも入れられていたので祖母の額は冷たく、しかし次に、梵穴に触ると熱いのです。しかも、冷たさと熱さの対比が非常にはっきりしていました。こうして私達は、祖母がリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝なるポワ法を授かったことを知ったのです。この際、親族達に祖母の梵穴に触れさせ、彼らに「死後4、5時間も冷蔵されていた」ことを告げました。梵穴が熱いとは、常識的に考えられないことで、リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝なるポワ法の功徳がなければあり得ません。このような経緯があり、私達は父を説き伏せ、ついにリンチェンドルジェ・リンポチェに礼を尽くさせることができました。けれども父は、リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁しながらも、口を開こうとはしません。私達は仕方なく、リンチェンドルジェ・リンポチェに、父に加持下さるようにだけお願いし、祖母に対するポワ法について感謝申し上げただけでした。後に、リンチェンドルジェ・リンポチェは姉に「そなたの父は死を待って救われるが良い」と仰せになりました。それを聞いて、姉はひどく悲しみました。けれど、それはリンチェンドルジェ・リンポチェが無慈悲だからではありません。父自身に、菩薩のお導きに手を差し伸べようとする因縁が欠けているからなのです。私達は幸いにもリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依することができました。リンチェンドルジェ・リンポチェはさらに、「心を込めて仏を学ぶ事に努め、上師を信じ、菩薩を信じれば、家族のために心を乱すことなく、仏を学ぶ事に集中できるよう、菩薩が家族をも守って下さる」と私達におっしゃいました。

リンチェンドルジェ・リンポチェの仰せは、すべて真実です。なぜなら我が家では、それが証明されているからです。ある日の深夜3時頃、目覚めた父が突然激しく嘔吐を始めました。救急に連れて行ったところ、胆嚢の炎症で直ちに手術が必要、との診断でしたが、私と兄は心中、リンチェンドルジェ・リンポチェに祈っていました。そして父には甘露丸、甘露水を飲ませ、「夜が明けたら、日曜日の共修法会に参加するのだ。そうすれば、父はきっと大丈夫だ」と考えていました。外は徐々に明るくなって行きました。ちょうど日曜日だったため、「診断書は月曜日にならないと確認できず、手術も月曜日まで待たなければならない」と医者は言います。「それなら先ずは入院手続きを行い、一先ず様子をみよう」ということになり、私達は父に「法会に参加するため台北に行くが、安心して身体を休めるよう。リンチェンドルジェ・リンポチェが必ずお救い下さるから、心を安らかにするように」と告げました。父は「分かった」と言うので、私達は台中から台北へ行き法会に参加しました。その日の法会には、リンチェンドルジェ・リンポチェはご不在でしたが、仏法の録音テープを聞きながら、私達は「リンチェンドルジェ・リンポチェが必ず父をお救い下さり、この難関を無事に切り抜けさせて下さる」と信じていました。

法会終了後、父から電話がありました。父は兄に「ゆっくり運転しなさい。自分は大丈夫だから、急がなくて良いから」と言うのですが、その後本当に、何でもなくなってしまったのです!医者は、父は「急性胃腸炎なので、手術の必要はない」と言いました。結局父は、5日間入院しただけで元気に退院しました。すべてはリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深き加持とお助けの賜物と、心から感謝しております。父は手術を免れることができ、リンチェンドルジェ・リンポチェがおられるおかげで、我が家はこれまでさまざまな困難を乗り越えることができました。人生は無常です。もし何かあった時に支えが無かったら、と思い、人は恐れます。けれど、リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依することができた私達は本当に幸運です。リンチェンドルジェ・リンポチェの門下で、安んじて仏を学ぶことに精進できます。私達はどうしてこれほどの福報に恵まれたのでしょうか。上師リンチェンドルジェ・リンポチェの恩澤に感謝申し上げるほかございません。

もう一つお話しを致しましょう。それは十年ほど前。ある日同僚が、泣きながら休暇を取りたいと言うのです。私が「どうしたの?」と聞くと、彼女は「舅が今朝運動のために自転車に乗って出かけたところ、後から追突され、脳漿が流れ出て来るほどの大怪我を負ったので、急いで病院に行かなければならない」と言うのです。私は、彼女にちょっと待ってもらい、甘露丸を取って来て彼女に渡しました。けれども彼女は「舅は昏睡しており、しかも全身を震わせているため手、足を縛っているから、飲ませられない」と言います。私は彼女に「大丈夫、口の中に入れさえすればいいのだから」と言いました。翌日同僚が「御礼の金包み」を持って来て、「甘露丸に感謝したいので、上師に供養したい」と言います。私は台北に赴き、リンチェンドルジェ・リンポチェに事の次第を報告申し上げましたところ、リンチェンドルジェ・リンポチェは、「彼らに福報があるように」とお供養をお納め下さいました。こうして数日が過ぎ、同僚の舅は普通病棟に移り、あれから既に十年になりますが、頭は今もはっきりしているとのことです。同僚は、舅について語る度に不思議な甘露丸のことを話し、「野球のボールのような痕が残っていても、舅の頭は溢れ出る生命力に輝いており、あんなひどい怪我をした人にはとても見えない」と言います。そして彼女達はこれを「奇跡」と呼んでいるのです。

しかも、彼女達家族は、リンチェンドルジェ・リンポチェにお目にかかったことさえなく、ただ一粒の神秘な甘露丸のご縁だけ。後に私は、リンチェンドルジェ・リンポチェにこの奇跡について報告申し上げしました。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示なさって仰せになりました。「負傷者に甘露丸を渡した人が、リンチェンドルジェ・リンポチェに万全の信心を抱いていたため、甘露丸に効果があったのだ」と。リンチェンドルジェ・リンポチェは、お目に掛かったことのない弟子の同僚にまで、同じように加持下さり、救いの手を差し伸べて下さいました。誠に勿体無いことでございます。

数年が過ぎたある日、その同じ同僚が「甘露丸が欲しい」とやって来ました。「どうしたの」と聞くと、彼女はまた涙を流し、「わずか4歳の、二番目の妹の息子が脳膜炎にかかり、病院は危篤だとして、心の準備をしておくよう」に告げて来たと言うのです。私は「そこまで来たならもうダメだ。急いで逸仙路の宝石店に行き、リンチェンドルジェ・リンポチェに救いを求めなさい」と言いました。

彼女は、妹と妹の夫に急いで行くように言い、私は電話で姉に、彼らをリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁させるよう協力を頼みました。彼らは非常に敬虔に、リンチェンドルジェ・リンポチェのお越しを目にし、跪いて、息子をお救い下さるよう願いました。リンチェンドルジェ・リンポチェは、慈悲深くも甘露丸を下さり、病床の子供に飲ませるよう仰せになり、あくる日には、病室でその子に加持下さいましたが、翌日子供は目覚めるやいなや、「白い服を着たきれいなおばさんが会いに来た」と言ったそうです。リンチェンドルジェ・リンポチェは「それはアチ護法の力だ。子供の父が宝石店を出た後、 リンチェンドルジェ・リンポチェは道場に戻り、子供のために修法したからだ」と開示なさっておっしゃいました。

リンチェンドルジェ・リンポチェが病院に到着なさった時、迎えに出た兄弟子(その人は長庚医院の医師でした)は、リンチェンドルジェ・リンポチェを見つけるやいなや、公衆の面前で、リンチェンドルジェ・リンポチェに対して頂礼を三度繰り返したのです。子供の父はそれを目にし、家族はさらに強い恭敬心を抱くようになりました。リンチェンドルジェ・リンポチェは、法座におられる時のみ法衣を身に纏っておられ、平時は、修行人であられることも、その果位も、衣服からは分からないのです。リンチェンドルジェ・リンポチェは、彼らの福報が十分でないことを理解され、子供に加持を下された後、笑って「この子はとても美しい、見るだけで好きになる。」と仰せになりました。さらに、リンチェンドルジェ・リンポチェは父親に、子供に代わり施身法に参加するよう、また子供が病を得た因果について「そなたらが旅行でシンガポールを訪れた時、子供が食べた雞肉にウィルスが潜んでおり、それが脳に至ったためだが、今はもう大丈夫だ」と告げられました。リンチェンドルジェ・リンポチェは続けて、「家の庭に樹がないか」とお尋ねになり、彼らが「あります」と答えると、リンチェンドルジェ・リンポチェは、「今度見に行きましょう」とおっしゃいました。その後、子供は無事に退院しましたが、彼らもいなくなってしまいました!

ある日、弟子達がリンチェンドルジェ・リンポチェと食事を共にしていた時、リンチェンドルジェ・リンポチェは私を見つけられ、お情け深くも、「あの脳膜炎にかかった子供の家族はどうしているか?」とお尋ね下さいました。その時、私はあまりに有難く、また申し訳ない思いがいっぱいで、一言も発することができませんでした。翌日改めて宝石店へ赴き、リンチェンドルジェ・リンポチェに「弟子が至らなく、お教えに従い実践がなされていないために、彼らを仏を学ぶ事に導くことができませんでした」と懺悔申し上げました。

リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に満ちた様子で、「それはそなたとは関わりのない事。彼らの福報が不十分なだけだ」とおっしゃいました。時が過ぎ、脳膜炎に罹った子供は四年生になりました。一年後の検査で医者は「まったく不思議だ!脳膜炎を患らいながら後遺症がないなんて、奇跡のようだ!」と言い、その後は検査が不要となったそうです。世界には奇跡と呼ばれる事例が多くありますが、その家族に二度も訪れたとは。それなのに、福報が十分でないためにリンチェンドルジェ・リンポチェの弟子になることは叶わない。そう考えると、私達寶吉祥の弟子達は、なんと幸福なことでしょう。このように偉大な大修行者を頼りとすることができたのですから。

さらに2年前、私の例の同僚は、甘露丸が欲しいとまた言い出しました。今度は学業を終えて米国から帰って来たばかりの一番下の妹が、29歲という若く美しい盛りの年齢で、肺腺癌が見つかったと言うのです。私は、彼女の父母をリンチェンドルジェ・リンポチェに会わせました。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈愛を湛えた様子で、「どうしたのか?」とお尋ねになり、彼らは、「娘が肺腺癌なのです」と答えました。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示なさって、「そんなに娘が大事なのか?救急車上の病人でも、家族はリンチェンドルジェ・リンポチェに加持を求めて連れて来るのに、なぜ連れて来ないのか?」と、さらに「リンチェンドルジェ・リンポチェはそなたらを二度救った。三度目はないのだ。自身で解決するが良い」とも仰せになりました。こう言いながらも、リンチェンドルジェ・リンポチェはやはり娘の名をお尋ねになり、真言を唱えて下さいました。そして父親に、「娘はここ数日は痛まないだろう。母親は、父親の体調に注意するよう」とおっしゃいました。彼らは下がった後、リンチェンドルジェ・リンポチェが別の人に開示なさるのを聞き、次の日に法会があるが、月曜日にはインドに向かい、閉関をなさることを知りました。こうして、リンチェンドルジェ・リンポチェが、非常に性急に彼らに娘を連れて来なかったことを問い質した理由を知ったのです。父親は再度、リンチェンドルジェ・リンポチェに「日曜日の法会に参加させて頂きたい」と願い出、リンチェンドルジェ・リンポチェはお許しになったにもかかわらず、彼らは姿を見せませんでした。娘が入院を嫌がり、日曜日は一時帰宅したいと言ったためで、つまり彼女は法会に来る気にはならなかったのです。こうして一ヶ月も経たずに、その娘は不帰の客となりました。

リンチェンドルジェ・リンポチェは度々おっしゃいます。「因縁がなければ済度できない、縁があれば福報が不十分でも、教えに従えば救われる。死から救い出すのではないが、少なくとも彼岸には行ける」と。リンチェンドルジェ・リンポチェの教誨のお言葉はすべて真実なのです。上師の加持と助力に厚謝申し上げます。

リンチェンドルジェ・リンポチェはすべての衆生に対して等しく慈愛をお持ちで、自己の利益などお考えになったこともありません。それどころか、しばしば自費で飛行機に乗り台中の病人に加持にお向いになりながら、報いを求めず、それをひけらかしたりなどもなさいません。すべては衆生のためであり、衆生を生死輪迴の苦しみから解脱させるためなのです。人生は無常であり、この世のすべては苦しみです。上師には巡り合い難く、仏法は聴聞し難いと言います。今現在の努力を惜しまず仏法を学び、寶吉祥仏法センターの兄弟子達と共に精進して参ります。

最後に再度、上師リンチェンドルジェ・リンポチェの恩澤に感謝申し上げます!

寶吉祥仏法センター弟子 呉碧芳 謹具

2009 年 03 月 22 日 更新