072:リンチェンドルジェ・リンポチェの恩惠

2002年、外祖母は身体の調子が悪く病院通いを続けていたところ、主治医である謝兄弟子の紹介で、寶吉祥に赴きリンチェンドルジェ・リンポチェに教えを請う事になりました。リンチェンドルジェ・リンポチェは、長期的に施身法に参加しリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依すれば、外祖母の体の不調は消えるだろう、とご指摘になりました。2003年初め、外祖母は、夜になると起き上がり動き回り、しかもたわ言を口走るようになりました。そのため、端午節の前夜、母と共に外祖母に付き添い、寶吉祥でリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁し、外祖母に加持下さるよう願い出ました。リンチェンドルジェ・リンポチェは、「加持の最中に、外祖母の傍に亡くなった眷属がいるのが見える」とおっしゃいました。その時すぐに施身法でそれら御霊を「済度」させて下さり、その後、外祖母はたわ言を言わなくなりました。

2003年9月のある早朝、外祖母は呼吸困難に陥り緊急入院しました。入院時から徐々に昏睡状態を呈するようになり、食事も鼻からの流動食に換わり、入院は二ヶ月半に及びましたが、入院の最終週になって、顔面痙攣の現象が現れるようになりました。間歇的に現れているだけではありましたが、痙攣の最中には祖母は白目を剥いて、呼んでも正常に反応せず、最後の三日間は、痙攣が全身にまで広がり、しかも頻度がますます高くなって行きました。筋肉弛緩剤、鎮静剤も全く用を成さないため、私はとても焦り、母、姪と共に逸仙路の宝石店に急ぎ、リンチェンドルジェ・リンポチェの教えを請いました。リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐに、「外祖母は生涯にたくさんのニワトリを絞めて来た。絶命時のニワトリはどのような状態であったか。外祖母の今の状態と同じであろう。因果応報である。死を前にして、この果報を受けなければ、地獄に堕ちて報いを受けることになるだろう!」と開示なさいました。さらにリンチェンドルジェ・リンポチェは「急いで帰って、外祖母をお連れ下さるよう菩薩に祈りなさい」とおっしゃいました。翌日は日曜日でした。法会時には携帯電話の電源を切っているため、一切のメッセージを受け取ることはできませんが、法会の終了時に電源を入れると、8通の未受信電話が入っていました。驚き恐れながらも、急いで病院に電話すると、外祖母が午後4時12分に亡くなったと言うのです。すぐにリンチェンドルジェ・リンポチェに申し上げ、外祖母のために「ポワ法」を修めて下さるよう跪いてお願いしました。しかし、私の因縁が不十分なため、その日はちょうどその年最後の法会で、リンポチェは翌日には「閉関」に行かれることになっており、法会後に弟子達は食事会を催し、リンチェンドルジェ・リンポチェの「閉関」の円満を祈ることになっていました。しかしリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深くも、外祖母が永眠した時間をお尋ねになり、落命時の祖母の顔色はどうであったかを電話で直ちに病院に問い合わせるよう、指示なさいました。弟子は速やかに仰せの通りにし、お答え申し上げましたところ、リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐに「外祖母は既に死出の旅に出た。瞑目時は、法会中において、正に『緑度母』を修持している時だったため、既に外祖母のために念誦している」と開示下さいました。

リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謝した後、妻と共に病院に急ぎ、母や家族と共に外祖母のために後事を執り行いました。外祖母の死に顔に対面したのは夜の八時で、事切れてから既に三時間が経っていましたが、外祖母の表情は穏やかで眠っているようで、不思議なことに、死者の相が全く出ていなかったのです。身体を清めている時には、まだ暖かく感じ、しかも生きているかのように柔らかく、衣服を着替えさせている時にも、硬直しているようには少しも感じられなかったため、非常に不思議でした。パーキンソン病で死去した父は、死後三十分で身体が冰のように冷たく硬直していたことが思いやられました。翌日リンポチェはさらに慈悲をお示しになり、空港までリンチェンドルジェ・リンポチェをお送りし、供養することを、弟子にお許し下さいました。外祖母の後事の処理についてお尋ねになり、「外祖母は不帰の客となった後も、頭部は冷たくとも、身体は暖かかった。これは天国に行けると、神がお示しになっているからだ。梵穴が発熱していれば、阿弥陀淨土に往生したことを表し、下方から亡き数に入るのは地獄に堕ちることを神がお示しになっている」と再度開示下さいました。さらにリンチェンドルジェ・リンポチェは、外祖母は生前念仏することがなかったため、上師から「ポワ法」を修めることがなかったことを感慨されました。

2000年に初めてリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁しました時、弟子は一時の強欲で、「社会に出てからというもの仕事が安定しない。一所で数年働いた後に、いつも仕事を換えてしまうのはなぜでしょうか?」とご教示を願い出ました。弟子は当時、まだリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依していなかったため、リンチェンドルジェ・リンポチェは、弟子に対して直接訓戒、叱責下さった訳ではありませんが、ただ弟子に「どのような性質の仕事なのか」とお尋ねになりました。弟子は実態をお答えしましたところ、「昨今世界全体で景気が思わしくない状況にあっても、現在勤めている会社は比較的安定しており、給与の不払い、或いはリストラ等の心配はない」とご指示下さいました。しかし、私は器量が小さいため、当時はその含意を体得できませんでしたが、その後、継続して法会に参加し、リンチェンドルジェ・リンポチェが仏法の考え方から社会における人としての道について説かれるのを聞き及び、今得られる「果」はすべて、過去に植えた「因」によるのだと初めて知りました。すなわち、今「植える」「因」は、後に得られる「果」となるのです。2005年、弟子は、より高い待遇が約束された仕事について知る機会を得ました。もともとは面接に行こうと考えていましたが、リンチェンドルジェ・リンポチェの普段の教誨を思い出し、自身が何代にもわたり重ねて来た悪業を思い、「今生でどうして福報を受けることができよう」と思い至りました。しかも、リンチェンドルジェ・リンポチェはいつも「人はあまりに貪欲ではいけない。どんな境遇にも安んじ、縁に従い日々を過ごすのが良い」と仰せになります。弟子は、転職の考えを即座に打ち消しました。2004年以降今日まで、世間では不況と言われ、規模の大小にかかわらず、企業の倒産やリストラ等のニュースが度々聞かれます。しかし、弟子が勤務する会社では、リストラや、減給、給与の遅配等は起きていません。そのお陰で、弟子は安定した状態で、リンチェンドルジェ・リンポチェについて仏法を学ぶことができています。事実がリンチェンドルジェ・リンポチェのお言葉の正しさを証明しているのです。

仏法を学び、時と機会に応じて死、人生の無常にどのように対処すべきか開示を受け、衆生の「離苦得楽」に助力される尊貴なるリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して、弟子はなんと幸せでありましょう。リンチェンドルジェ・リンポチェには感謝この上もございません。

寶吉祥仏法センター弟子賈湘臣

2009 年 02 月 03 日 更新