070:縁起

2000年10月(36歳)、田淑君兄弟子の紹介で、私は初めて逸仙路の寶吉祥宝石店へ行き、尊貴なるリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見しました。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く弟子である私に素晴らしい施身法に参加させてくださいました。その後、同年12月1日、私は尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依しました。恥ずかしいことに皈依した後も弟子である私は未だ上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教えのように、教えを実行することができず、毎週金曜日の施身法には参加していますが、日曜日の合同修行法会は参加することが少なく、一回行くと三回休むという状態です。たとえこのようであっても、上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、弟子である私に対し、いつも絶えることなく手助けをして下さいます。

私は24歳の時、リューマチ性関節炎に罹りました。最もひどい時は全身の関節が腫れて痛み、少しも歩くことができませんでした。その後はコントロールできるようになりましたが、やはり薬で再発を抑えている状態でした。途中、薬物の依存を断ち切ろうとしましたが、約半年後また左ひざの関節が腫れ入院しました。このようにずっと薬の服用をしていれば、明らかに薬が体に及ぼす悪い影響はあるだろう…、更にたとえ薬を飲んでいても関節の痛みの問題はあるのです。ただ、日常生活への影響が軽くなる程度なのです。

皈依して二年後、一度健康診断をしてもらったところ、右の卵巣に約四センチの腫瘍がある事がわかりました。しかし、これは上師に初めて会った時、上師は直ぐに私に卵巣に問題があると指摘されていたのです。弟子である私は、当時その事に懐疑的でした。今思うと、悔やまれてなりません。その時から私は覚悟を決めました。これから本格的に菜食を始め、更に関節炎の薬も一緒に断ち切ってしまおうと。そして今日まで、腫瘍は小さくなっただけでなく、関節痛の問題も起こらなくなり、たとえ、五体投地してもまったく問題ありません。

自ら体得する

信ずることは全ての功徳の母であり、現在のような末法時代に身を置く私たちが、何と幸いな事にこの因縁と福報を得て、法に依って修行し、実修実証する尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依することができました。上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教えは一字一句すべてが仏経正典に依るもので、ただただ衆生のために祈っておられます。

私たち凡人はこの世に於いて、常に世俗に絡まれて苦しみ、いつも訳の分からないことに囚われ、菩薩と上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教えと助けを忘れてしまいます。しかし、菩薩とリンチェンドルジェ・リンポチェはいつでも私たちに対して手を差し伸べていて、私たちがともすると道を間違えてしまい、輪廻を解脱できない事を何より恐れています。

弟子である私は、実はその他の道場へ行ったことがありませんし、またその他の徳のある修行者に付いたこともありません。しかし、寶吉祥に入って上師リンチェンドルジェ・リンポチェの私たちに対して諄々と教え諭すのを耳で聞き、リンチェンドルジェ・リンポチェが私たちの目標で、慈悲はすべての衆生に対して少しの区別もしないことを目で見ました。上師リンチェンドルジェ・リンポチェが私たちに厳しいのは実は深く期待しているからで、それはまるで慈母に厳父が加わったような各種の方法で私たちのような物にならない弟子を助けてくださいます。私は特にいつも上師リンチェンドルジェ・リンポチェが厳しく諭された時、感動の涙が止まりません。それは厳しさの裏に隠されたものを深く感じるからで、上師リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子たちに心をかけ、慈悲をかけ続け、上師リンチェンドルジェ・リンポチェは未だ嘗て一人の弟子も見放したことがありません。

「人身は得難く、仏法は聞き難く、上師は会い難し」、私たちはどんな大きな運と宿世の因縁によって今生で三者をすべて得ることができたのでしょう!もしもどうすればいいのかわからずに輪廻を断ち切らず、六道をいつまでも彷徨っていたら、いつ終わりがあるのでしょうか?尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに付き、教えに基づいて行動していれば、累世一切の因習を断ち切り、今生で或いは輪廻を解脱することができ、仏恩と上師の御恩に一万分の一でも報いることができるのです!

弟子 黄恵文  敬撰

2009 年 02 月 24 日 更新