066:愚昧なる弟子に下さった上師の大恩

2001年3月31日、私は尊き上師、リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した。以来私は、尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持とお助けを四六時中頂戴している。

皈依したばかりの頃、不妊症の私は2回も身ごもることができたが、上師への恭敬心と信心が無かったからだろうか、流産してしまった。2回目に流産した時、上師の元へ行き懺悔した。尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に満ちた様子で、原因は私が人の話を聞かず仏の教えを遵奉していない事だ、と仰せになった。これまでも上師は常々法座に座って開示してこられたが、私は上師の話に耳を傾けてこなかったので、業の力を変える事ができなかったのだろう。私は正に愚か者の生きた事例である。それでも尊き上師 リンポチェは私の如き愚かな弟子にも煩わしさを厭わず長々と教え諭して下さった。その時、尊き上師、リンチェンドルジェ・リンポチェのお顔に後光が差しているのを拝見した。まるで月光が照らされているかのように慈悲深く優しいお顔だった。この時の事を思い出すと、今でも涙が自然とこみ上げて来る。その後、上師は私の夫に漢方医の所に私を連れて行くこと、毎日一粒の甘露丸を私に飲ませることを指示され、爾後、私の体調は徐々に好転した。

2006年9月、今度は私の父が体調不良のため入院した。その時は家族も私も軽い風邪で直ぐに退院できるだろうくらいに考えていた。しかし人生は無常だ。父はその時から以後病院を出る事は出来なかったのだ。同年11月、父はこの世を去った。父が病に倒れたこの3ヶ月間、尊き上師、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持と助けが無かったら、医師でさえ診断不能の病気に罹ってしまった父は病苦に苛まれ続けただろうし、痛みが軽減することもなかっただろう。尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお助け頂いたからこそ、父は意識朦朧の状態から覚醒し得たのだし、上師の慈悲深い加持があったからこそ、妊娠後期の妊婦の如く太鼓の様に膨れ上がったお腹も一日で元に戻ったのだ。息を引き取る日の前日、父はベッドで横になって私達に挨拶し微笑みかけることが出来た。痛みで苦しそうな様子は微塵も見られなかった。あの日、施身法の修法が終わって病院に再び父を見舞うと夜の11時になっていた。父はまだ眠りについていなかった。私は父に言った「父さん、先に極楽浄土に行ったら私達を待っていて下さい。」父は微笑んで頷き返した。その微笑は、私が今まで見た事の無い様な、安らぎと安寧に満ちていた。翌日の正午、父は眠るように息を引き取った。我々子供達が、尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教えに耳を傾けず、仏の教えを遵奉していなかった為、上師にポワ法を修法して頂くに十分な福報を父に積ませることが出来なかった。にも関わらず、尊き上師 リンポチェは大いなる慈悲の心で父に加持を施され、父の意識を最期まで保たれ、最期は施身法によって父を済度して下さった。

尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁して懺悔したかつてのあの日、兄弟子の魏氏が私にこう言った。「リンチェンドルジェ・リンポチェは、貴方は小さなことに拘りすぎていると言っておられた。大礼拝をしない兄弟姉妹がいれば、貴方が代わってすることができるし、御主人はもう行われたのですか、とも言っておられましたよ。」その時、棒で叩かれたかのような衝撃を受けた。上師は一言で私の心がけの問題を言い当てられたのだ。そして、彷徨える衆生に対する上師のお心遣いは、所謂普通の人間の、千倍万倍も深いということを思い知り、私は羞恥の念に堪えなかった。

私は怠け者で愚かな弟子です。それでも慈悲深き上師、リンチェンドルジェ・リンポチェは、何の見返りも求めず、助けを差し伸べることを止めもせず、私を加護し続けて下さる。全ての方が、私を反面教師として、再び同じような過ちを犯さぬことを願っている。

寶吉祥仏法センター 弟子 李毅芳
2008年12月12日

2010 年 09 月 18 日 更新