063:リンチェンドルジェ・リンポチェへの感恩
1993年、当時、私はたったの四歳でした。父は知力を司る神経失調、鬱病及び躁鬱病になり、更には医者に診てもらった時に注射を間違われ、アレルギー性ショック反応になりました。そしていつも薬を飲んでいるので体がぼろぼろでした。そのような縁故によって父は働くことができず、私たち一家は経済的な柱を失っていました。母は毎日父と子供の世話をしなければならず、体も丈夫ではありませんでした。家庭全体が混乱の中にありました。父は当時あらゆる医者に救いを求め、人があそこは医者の腕がいい、またはあの民間治療が効くと言われれば、たとえそれが何処であってもそこへ赴き診てもらい、病気が治る事を願ったと私に話してくれたことがあります。台湾中のほとんどのところへ行きましたが、やはり治ることはなく、医者は何が原因なのかさえ探し出すことができませんでした。その後、私たち一家は母の実家に引っ越しました。当時の私がなぜ引っ越したのかなどわかるはずもなく、ただ従兄妹と一緒に遊んで楽しかったということだけを覚えています。後日、父は自分がある日、万一のことがあった時を心配し、私たちが母の実家に住めば、祖母が私たちの面倒を見てくれることを考えたからと父から聞いて知りました。
このように数ヶ月が過ぎましたが、私たち一家はまた元のところへ戻りました。その時、父は仏に救いを求めるためにあちこちで聞いていました。私たち一家は父に付いて一緒に探し回りました。このような放浪生活が7,8年前後続いたある日、父の友人がリンチェンドルジェ・リンポチェに会うように紹介してくれたのです(当時父の友人は既に皈依していました。)。父はリンチェンドルジェ・リンポチェの一字一句が心の中に沁みこみ、その場で鼻水まで流して泣いたそうです。リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲によって、父は法会に参加することができました。その後、父は母、兄そして私を連れ、一同にリンチェンドルジェ・リンポチェに会い、法会に参加できるようにお願いしました。そしてリンチェンドルジェ・リンポチェのお陰で私たちは法会に参加できたのです。2004年8月22日、私たち一家は一緒にリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依し、それから私たち家族のすべての状況が変わったのです。父はリンチェンドルジェ・リンポチェが加持をしてくださったお陰で体全体がずっと良くなりました。
兄は生まれたときからアトピー性皮膚炎があり、小さいときからずっと両親は兄を連れて様々な医者に診てもらっていましたが、どんなに高価な薬を飲んでも効果はなく、血色が悪い状態でした。リンチェンドルジェ・リンポチェの加持のお陰で、兄は薬を飲まないにも関わらず皮膚の状態は前よりずっと良くなりました。そして私自身もリンチェンドルジェ・リンポチェのお陰で大きな変化がありました。中学の時、私の成績はいつも後から数えた方が早いくらいのもので、どんなに努力してもどんなにいい成績が取りたくても出た成績はいつもと同じでした。特に数学はどんなに努力して聞いても理解することができませんでした。高校に上がった時、その時の夏休みに私は皈依していましたが、その後私自身でも信じられないのですが、成績が明らかに進歩し、数学も不思議なことによくなりました!以前はどうやっても理解できなかったのに、今はわかるようになったのです!同じものなのに、どうしてこんなに大きな違いあるのか、わかりません!
リンチェンドルジェ・リンポチェの加持と助けに心から感謝します。リンチェンドルジェ・リンポチェに出逢えたからこそ、父母の体は以前と比べてずっとよくなりました!リンチェンドルジェ・リンポチェに出逢えたからこそ、兄の皮膚は改善しました!リンチェンドルジェ・リンポチェに出逢えたからこそ、私たち一家の今日の生活があります。リンチェンドルジェ・リンポチェに出逢えなかったら、今私たちはどんな生活をしていたかと思うと想像もつきません。リンチェンドルジェ・リンポチェの大きな御恩、大きな徳に心からの感謝を捧げます!
弟子 劉庭瑛
2009 年 02 月 24 日 更新