リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して本当に良かった
まだ信徒であった頃、上師の加持を受けたことがありました。以下に二例を記載致します。例一:ある韓国旅行のツアーで、ツアーコンダクターが足りなかったため、私が兼務することになりました(当時私は既に旅行業界を離れ十年近くになっていました)。わざわざ言わなくとも、チップも2日目にはきちんと揃い、チームを組んだツアーガイドも非常に優秀だったため、「次にツアーで韓国に来る時には、あなたを指名しても良いですか?」とすぐに彼女に尋ねました。果たせるかな、翌月また韓国ツアーに出ることになりました。韓国に着くと、ツアーガイドは非常に驚いた様子で、尊貴なる上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝するとばかり言っています(私は、前回の韓国ツアーで、上師リンチェンドルジェ・リンポチェの様々な功徳について、既に彼女に話してあったからです)。例二:会社規定の年齢を超えていたのに、意外にも採用されました。
妹の事で、家族は既に随分と長く心を煩わせていましたが、様々な因縁で、幸いにも上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁が適いました。初めて上師にお目に掛かった時に感じた上師の影響力と加持力は言語には尽くし難いものでした。施身法に一度参加後、上師リンチェンドルジェ・リンポチェに、每日曜日の共修法会と皈依に参加させて下さるよう懇請しました。そしてすぐに、食事を完全な精進料理に切り替え、主人と子供も、前後して私に続きました。舅は共修法会に参加してはいませんが、「動物性食品を料理しなくても良い。家で料理をする時は完全な精進料理としても構わない」と私に言いました(私は勤めているので、舅はほとんど外食しています)。私はそれを聞き、真に感動しました。しかも、婚家の伝統的な祭祀についても、舅は大部分の改変を受け入れてくれました。私に一体どんな能力があって、85歲の年長者の長年にわたる習慣を変えることができたのでしょうか?これらすべては上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持力なのではないでしょうか?
けれど、人は時に尊大になるものです。多くの信徒或いは兄弟子達が上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁していることは知っていました。みな病に苦しみ、或いは家族が他界し、救いを求めている人ばかりでしたが、それに引き換え私だけが何の問題もない状況でした。ところが、皈依して八ヶ月後にそれは起こりました。当時私は児童書の販売を生業にしておりました(セット販売の方式で、直売に属し、基本給はなく歩合給で、一万元から一万五千元の月収。四万元前後の収入がある月も、わずかにありました)。それによる収入は、私が以前従事していた旅行代理業の給与(月収約15~20万元前後)とは天と地ほどの差がありましたが、十時半出勤、十二時から三時まで昼休み、五時半退勤という生活を繰り返し、18年ほど続けておりました。以前の私は、生活費のすべてを簡単に負担できましたが、今は既にその能力はなく、それなのに、それを夫に話していませんでした。正直に話せば、夫に経済的な負担を感じさせるのでは、と心配していたのです。
けれども、こんな生活を続けることで、内心にもやもやが生じていました。ある日、MRTに乗っている時、「なぜ人は列車に跳び込むことができるのだろう?私だっては跳び込めない事はないだろう?」という思いが、突然浮かびました。ひどく辛くなり、知らず知らずの内に淚が流れ出て来ましたが、すぐに、「絶対にこんな考えを持ってはいけない」と強く思いました。普段出退勤の道すがら、私はたっぷり二時間も仏法のテープを聞いています。もしそんなことをしたなら、上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教誨に対して申し訳が立たない。「仏法を学べば餓死することはない」と上師リンチェンドルジェ・リンポチェはいつも仰せなのですから。上師リンチェンドルジェ・リンポチェはまた、「かつては、次の食事の当てもないほどの生活を送っていた。その頃、仏像を売るよう薦める人がいたが、どんなに飢えても仏像を手放すこと等考えられなかった。自殺者は、表面的には逝去した、と言えるだろうが、その自殺の場面は繰り返され、苦痛も繰り返される。真に解脫することはできないのだ」と仰せになりました。上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、「仏法を修めること、すなわち楽であり、遭遇する種々の問題は、身から出た錆だ。勇気を持って直視すれば、立ち向かえるものなのだ」ともおっしゃいました。「これも一つの過程であり、こうして仏法のテープを聞き続けなければ、私はこの関を越えることはできない。そして上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教誨にお応えすることはできない。また、上師リンチェンドルジェ・リンポチェが仰せのように、己の問題は必ず己で解決しなければならない。自分はこれまであまりに高慢であった。自分は何でも背負えると思い上がり、困難にぶつかっても家族には告げなかった。以前働いていた時にも、もしや雇用主の時間を盗んで、あんなにも多くの給与を得ていたのかもしれない。それなのに、自分の能力の賜物だと自惚れて、周囲を気遣うことを忘れていた」と私は思いました。上師リンチェンドルジェ・リンポチェは以前、「この世で多額の収入を得られたとしても、それはそなたが特に有能だからではなく、そなたの知識が特に優秀だからでもない。それはこれまで何代にもわたり積んで来た福報なのだ。福報を使い果たしてしまえば、何もかも無くなってしまうのだ!」とおっしゃいました。本当に自分は幸運です。前世でどんな徳を積んだのか、上師リンチェンドルジェ・リンポチェに巡り合うことができ、上師の加持と庇護を受けることができました。今生で、私の学仏の道が断裂せず、上師の教誨を守り続け、教えを実践して行けるよう願ってやみません。
弟子 李慧玲 敬礼
2009 年 02 月 03 日 更新