055:生命の意義を開く
もし尊い金剛上師 リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依しないれば、生命は多くの疑問と不安に満たされ、この一生もきっと無知のうちに過ごしてしまったことでしょう。
大学卒業後、出版界に順調に入って働きはじめました。会社では、何も知らない品物調達員を振り出しに、次第に経験を経て企画を扱うまでになりました。しかし、この期間、いつも早く外出して、遅く帰る生活を送っていました。時々夜中に疲れた体でオートバイに乗って帰る時には、毎日このようにあくせくと働くのは一体なんをためだろうか、と考えました。そして労働時間が長いため、いつも気力がなくなって疲れてしまい、親に心配をかけていました。自分の理想を堅持するため、家族と口論もしました。最後、家族が心を痛め、自分も苦しみました。このすべての堅持は、一体何のためだったのでしょうか。
何年か仕事をするうちに、自分で選んだ仕事に対して多く疑問を持つようになりました。これらを経験するのは何のためですか?人はどこへ行くのでしょうか?これが本当に私の求める生活ですか?心のなかで、疑問がますます大きくなってきました。この時、久しく会わなかった出版界の親しい友人・-惠晴さんに、自分の未来について不安定さと恐怖を感じたことを話し合いました。当日、友人は、リンチェンドルジェ・リンポチェに会いに、そして仏法を聞きにゆきましょう、と誘ってくれました。ここで、すべての解答が得られるというのです。しかしその時は縁が足りず、口から出任せに「時間がない」と言ってしまいました。2007年、5年間勤めた出版界を辞め、暫く休みをとることにしました。このに、麗菁さんは私をリンチェンドルジェ・リンポチェが主催した「チベット仏教直貢噶舉教派阿彌陀仏無遮大超度法会」に誘ってくれました。そして今度は何も考えずに、その場で承諾しました。法会が終わった次の日、すぐ友人とリンチェンドルジェ・リンポチェに会い、法会に参加したいと言いました。寶吉祥の宝石店へ行き、リンチェンドルジェ・リンポチェに法会に参加したい旨をたずね、リンチェンドルジェ・リンポチェは承諾を得た後に寶吉祥に入り、毎日曜日リンチェンドルジェ・リンポチェの開示をうけました。
リンチェンドルジェ・リンポチェは一度、親が健在ならば遠くへ行くべきでないが、現代に生きる人達は、仕事の関係で、必ずしも常に父母の傍に居るとは限らない。しかし、時々両親に電話をかけ、たまには家に帰えるよう法席で指示しました。また、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の最も苦しかった数年も、目上を悩ませなかったと語りました。当日、法会が終わった後、幼い時から、ずっと両親に心配させていることに思い至りました。体とか、仕事とか、両親を悩ませなかったものはありません。自分の仕事に対するいわゆるこだわりのため、父母と衝突したこともありました。そこですぐに決意して毎日家に電話をかけて、親の安否を気遣うようになりました。最初は家に電話をかけ、何を言えばよいかもわからず、両親も娘が何故に家に電話をかけてきたのか訝り“大丈夫?お金は足りているの?”と心配そうに聞いてきました。二回目、三回目、そして1~2月後にようやく余裕をもって両親とお喋りすることができるようになりました。両親も娘が家に電話をかけて近況を気にかけることに次第に慣れてきました。ある日、母が友人との間で、別に暮らしている子供が両親に電話をかけてくるという話題に言及した再、笑顔で「娘は毎日家に電話をかけてくるのよ」と言ったそうです。この時に、母の私に対する喜びと安芯を始めて目の当たりにしました。
この期間、再度宝石店へリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依の願いを伝えに行きました。当日、前にひざまずいたことを覚えています。リンチェンドルジェ・リンポチェが「何をしにきたのですか」とたずねるので、「リンチェンドルジェ・リンポチェ、皈依を求めたいです」と答えました。この時、リンチェンドルジェ・リンポチェは「今年はいくつですか。結婚はしていますか」と聞きました。「リンチェンドルジェ・リンポチェ、私は今年28歳です、まだ結婚していません」と答えました。この時、リンチェンドルジェ・リンポチェは「若くして精進料理を食べて、家族は心配しないですか」とたずねました。その時、頭の中が真っ白になりましたが、直ちに「しかしリンチェンドルジェ・リンポチェは仏法を学ぶことは両親に対して良いことだとおっしゃいました」と反駁しました。リンチェンドルジェ・リンポチェは「先に、法会に参加しなさい」と言います。私は「すでに法会に参加しました」を答え、心のなかでは何も言い返されないだろうと思っていました。しかし、リンポチェは私に完全に言い返すことができない解答を返してきました「しかし、私はまだ許可していませんよ。お帰りなさい」
あの時期、リンチェンドルジェ・リンポチェはいつも皈依の重要性を開示しました。いつも聞いたあと、皈依したいと、いつになれば私の順番がやってくるのか、と思いました。少し時間が経ったあるとき、リンチェンドルジェ・リンポチェは法席で開示して、要点は「人については、観察の必要があるといっています。それは、仏法を聞いた後に変化があったのかどうかを知りたいからです。金があるかどうかは、過去の累積した縁と福であり、重要なことではありません。もしかするとある人は、今家族が仏法を学ぶことに賛成していないかもしれません。しかし心から仏法を学びたいと思うのであれば、諸仏と菩薩はきっとお手伝いすることでしょう」と言われました。その時の私は失業状態で、次の仕事の目処も付いていませんでした。安定した仕事もないのに皈依を求めることを恥ずかしく思いました。より重要なのは、先に皈依することばかりと求めないことであり、軽率に伺いに行くこともよくないと感じました。当日法会が終わった後、恵晴さんは私に向って「さあ、皈依を求めるができますよ」と言いました。
リンチェンドルジェ・リンポチェの前に跪いて三回目のことです。隊列の中で立つと、前のみんなは皈依を願いが受け入れられるのを見て、とても緊張しました。そして、皈依の求めが再度に失敗することを恐れました。やがて、私に順番が回ってきました。先にリンチェンドルジェ・リンポチェ前に跪き、性急に「リンポチェ・・・」と口をついて出てきました。このとき、リンチェンドルジェ・リンポチェは丁度お菓子を口にした所で、出しかけた言葉を途中で止めて静かにリンチェンドルジェ・リンポチェをお待ちしました。その時、リンポチェは「何をしにきたのですか」と笑いながら言いいました。「リンポチェ、私はリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依する弟子になりたいです」と私は言いました。「他にもたくさん人がいるのに、なぜ私に皈依しなければならないのですか」とおっしゃいます。そこで「リンチェンドルジェ・リンポチェ、私は厳しく教えていただきたいのです」と言いました。この時、リンチェンドルジェ・リンポチェが頷きながら「登録しなさい」と言われました。このとき、緊張しすぎたことからまただめになってしまったのかと思いました。そしてもう一度法会への参加を登録するのかと思い、続けて跪きました。リンチェンドルジェ・リンポチェもう一回「皈依を登録しに行きなさい」と言って、やっと皈依が確定しました。
2008年から順調に日本の商社に勤めており、毎日決まった時間に会社へ出退勤するようになったことから、体と顔色も大幅によくになり、両親を安心させることができるようになりました。最も重要なのは、「上師に皈依をする」ことに対して、両親の態度が断固に反対から、今では同意するようにまでなりました。上師に皈依するようになったことで、未だかつてなかった安心と落ち着きを感じ、未来にも以前のような恐れの心を抱かないようになりました。毎週日曜日の共修法会にはリンチェンドルジェ・リンポチェが開示して仏法を聞き、リンチェンドルジェ・リンポチェの教えの慈悲と戒律を深く心に感ずるようになりました。更に、規則がなければ、人の行為や行動の規準となる手本がないことも知るようになりました。上師にいただいた全てに感謝しています。弟子は上師の教えに従い、たゆまず努力せねばなりません。随時随所に自身の体と口と意に注意して、自分の行為や行動を自律して、上師の教えを実践してまいります。
尊い金剛上師 リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝して。
弟子 黄馨慧
2009 年 03 月 03 日 更新