054:舌癌になった弟、死ぬ前にようやく懺悔
何年かの前に、仕事の関係で空軍總病院感染科主任-謝從閭医師を知ってから、五年くらい前に、リンチェンドルジェ・リンポチェに会いました。だだ、チベット仏教と接触する機会があろうとは考えていませんでした。謝主任にチベット仏教とリンチェンドルジェ・リンポチェを紹介され、当日謝主任と一緒にリンチェンドルジェ・リンポチェに会いにでかけました。初めてリンチェンドルジェ・リンポチェとお目にかかったとき、普通の法師あるいは自分は先生だと吹聴するリンポチェとの違いが感じられました。剃髪は知れおらず、首にかけて念数珠もなく、中国服も着ていません。彼は普通の人間と一緒です。ただ、リンポチェのお顔は優しくて深く慈悲に満ちていました。あの時、ほんとうはリンポチェにおねがいすることなどありませんでした。ただ、リンポチェが仏法の通り修行する修行者かどうかを知りたいだけでした。そして、リンポチェに“因果はありますか?因果とはということですか?”と聞きました。そしてリンポチェの開示を聞いた後、自分を心服させるリンポチェを探し当てたと思いました。だから私は毎週日曜日の法会に参加し、八大成就法のひとつ『施身法』を知るようになった後、毎週金曜日と日曜日も法会に参加するようになり、リンポチェに従って皈依しました。
リンポチェに皈依して5年ほど経ち、リンポチェの修行が益々進歩しているを見ました。また、リンポチェが苦労して病院で苦む患者の加持に行き、縁がある者にはポワ法を修法して最期を見送り、さらに毎金曜日5、6百人に施身法を修法しました。これは、衆生のためになら自分の利益も顧みないリンポチェの心の表れです。リンポチェを手伝わねばならないのに、いつもリンポチェのお世話になるばかりで、弟子として私は恥ずかしいと感じていました。
去年の10月に、弟が舌癌になり、手術を行う前に弟をリンポチェに会いに連れてゆきました。リンポチェは弟の舌を見ると:『あなたは、肉を食べすぎました。精進料理を食べることを約束し、酒を飲まず、たばこを吸わなければ、あなたに薬草を持って来て病症を癒すことができます。さもなければ、手術で取り除いても、すぐまたガンが出て来るし、それを再び除いてもまたすぐに出て来ます。そうなると私でも助けることが出来なくなりますよ』その時、弟はリンポチェに約束しようとしなかったので、リンポチェは弟に帰って考えてみるように言いました。リンポチェの開示を受けて私は皈依してはいたが、上師の教法に従わず、弟に精進料理を食べるよう説得できず、法会への参加を納得させることもできなかった。弟は舌の手術を行なった。医師は、舌の周りの癌細胞の全てを取り除き、安心してくたさいと言った。術後、完全に治癒したと思った弟は精進料理を食べようとせず、私もいろいろな方法を試したが、弟を法会に参加させることができなかった。
しかし1ヶ月後、弟の舌がまた痛くなってきました。癌細胞が再発したのです。そして、もう一回手術を行いました。今度は医師も理由を説明できずにいました。2回目び手術を行った後、放射線治療を受けなければなりません。2ヶ月の苦難を経て、弟は70キログラムから、51キログラムにやせてしまいました。電気療法を終えや後、弟の痛みは増え、このため台湾大学付属病院へ移ることを決定しました。医師は舌の切片手術を行い、舌の下がすべて癌細胞となっており、必ず人工舌に交換せねばならないと言いました。しかしこれは難しい大手術で、舌をすべて切り取らなければなりません。毛細血管の縫合を行い、また気管を切り開く手術も行なわねばなりません。先に電気療法をしていたことから、毛細血管の手術に失敗しました。舌が変色したところ、弟は手術室へもう一度返し手術を受けました。この時、私は手術室の外に弟が出るのを待つ勇気がありませんでした。そして辛さのなか、きっとリンポチェが弟に加持を求めてくださると思っていました。そうすれば、弟が引き続き生きていくことができるかに関わらず、少なくとも苦痛は軽減されるでしょう。翌日、リンポチェは台湾大学付属病院まで弟の加持に来てくださいました(弟の気管が切り開かられ話をすることができない)。加持が終わって、リンポチェはこうおっしゃいました。『あなたの弟は、この一生で阿弥陀仏に行ける縁がないので、人間に生まれ変わることができればまだましなほうだ。でもあなたの弟は懺悔の心がないから、死ぬ前は苦しむでしょう。あなたの弟は、男の子を一人人口流産したことがありますか』私は『はい』と答えました。リンポチェは『彼がベッドの脇に立っています。それから、あなたの弟は娘と母親を心配していますあなたのお父さんは、毎日彼のことを言うことを聞かない、と叱っていたようですね』とおっしゃいました。私は『はい』と答えました。それから、リンポチェは『商売で、あなたの弟は相手から2、3の品物で支払いを受けていますが、まだ納品していません』とおっしゃいます。私が『商売の事はよく分かりません。弟に聞いてみます』と答えました。その結果,弟には二つの未完成のビジネスがありました。そこで、リンポチェのおっしゃるように、速やかに弟の会社に知らせました。弟は話しができないが、リンポチェは弟が何を思っているのか、何を心配しているのかを知っていました。リンポチェ:『あなたの弟はもうすぐ亡くなります。よくはなりませ』私は弟の病状をはっきりと理解しました。弟が初めてリンポチェに会った時と同じであれば、弟が阿弥陀仏の浄土へ行くのを手伝うこともできずたいへん哀れなことになります。リンポチェは弟が懺悔しないれば、第1に三悪道に落ち込んで、第2に死ぬ前に必ず苦しむことを知っていました。
リンポチェは深い慈悲であの期間の法会において、私のせいで弟がこのようになってしまったと、私を叱責してくださいました。家に帰った時に、ずっと泣いていました。私は大成就修行者に従って仏法を学び、リンポチェを尊敬する心と信じる心と懺悔の心が足りませんでした。この5年に学んだことはまったくムダで、自分の弟さえ助けることができなかったのです。ましてや両親と衆生の役に立つことなどできません。翌日、病院に行ったとき、弟に必ずリンポチェに懺悔をしに行くように伝えました。当日の午後、弟と一緒にリンポチェに会って、自分の犯した罪悪をリンポチェに懺悔した。リンポチェは弟に懺悔の心が生まれたことを見て取ると、すぐに施身法に参加することを許可してくださいました。その上、法会で時壇城前に横たわって、弟の体で諸仏と菩薩と六道眾生を供養して、弟に福を累積してくださいました。いつも弟子が皈依していなければ、リンポチェは供養を受け入れません。しかし、リンポチェは弟に福を累積するために、弟の供養を収めて、さらに弟を加持してくださいました。これはリンポチェが衆生を三悪道に落ち込むことのないよう、大慈悲と大知恵を表したからなのです。
弟は8月に亡くなりました。施身法に参加した後に、ほとんど痛くなかったようです。弟の願いどおり、帰宅しました。弟は死ぬ前、苦しみを受けておらず、リンポチェのご恩にどうやって応えればよいのかわからないほどです。私の例と同じように、リンポチェは弟子達を自分の子供同様に考え、いろいろな方法で違う衆生を教えいるのです。ただひたすら見返りを求めずに与え続けています。今度、もしリンポチェが私の過失を教えてくださらなければ、弟は今も病気に苦しんでいるかもしれず、あるいはさらなる三悪道に落ち込んでいたかもしれません。幸いにも、偉い成就者に従い仏法を学ぶ縁に恵まれたかと思うと、リンポチェが弟を助けてくださったご恩に報いることなどできそうにありません。私はリンポチェの教え通りに仏法を学び、リンポチェの負担を軽くし、リンポチェを心配かけないようにせねばなりません。そうすることで、はじめてリンポチェに付き従い、より多く衆生に利益を与える道を歩むことができるのだと思います。
徐淯萱 2004年10月
2009 年 03 月 03 日 更新