私達一家をお救い下さったリンチェンドルジェ・リンポチェ
2004年のある日、睡眠中に電話の音で起こされました。姉からの電話で、姉は非常に慌てた声で、父が運動中に転び、深刻な状態だと伝えられました。既に病院に送られたとのことですが、詳しい状況は分からず、私に家に戻って来るようにと言いました。私は、寝ぼけた頭で、恐らく骨折したのだろう、と思っていましたが、すぐに2度目の電話があり、父の状況は思わしくなく、既に救命措置が施されている段階で、私にすぐに家に帰って来るように、とのことでした。タクシーで病院に到着した時には、父の胸部には機械が据えられ、既に二本目の強心剤を注射した、と言うのです。私は、気が動転し呆然と立ち尽くすことしかできませんでしたが、年長の親族の薦めに従い、父を家に連れ帰り、後事のための用意を始めました。
最初の二週間はほとんど毎日泣いていました。父の死があまりに突然だったので、大変な衝撃を受け、また父があの世でどのように過ごしているかと心配ばかりしていました。葬儀社が連れてきた法師は、自分がどれほど優れた能力を持つかを力説し、また、帰って来た父を見たし、父の顔色はなかなか良かった、と言いましたが、私はやはり安心できませんでした。仏寺で「初七日」を行うようになり、父の名で供養を行ったところ、いくらか気分も晴れましたが、やはり不安を拭い去ることができず、「本当に意味があるのだろうか?父は無事に済度できただろうか?」との疑問が心中渦巻いていました。そんな折、友人の紹介で、リンチェンドルジェ・リンポチェの存在を知りました。しかも、法会に参加し、父の済度ができると言うのです。面識のない兄弟子のご協力を頂き、リンポチェに拝謁し、父の済度をお願いしました。
リンチェンドルジェ・リンポチェは、父の名と干支をお尋ねになった後、父が気に掛けている事をお告げにました。それを聞き、私は驚愕しました。なぜならそれは家人でなければ知らないようなことだったからです。私は、たとえようもない信心を感じ、「リンチェンドルジェ・リンポチェは本当にお救い下さる。ただ適当に出鱈目を言っているのではない」と確信しました。私は、リンチェンドルジェ・リンポチェに父の済度をお願いしたところ、リンチェンドルジェ・リンポチェは即座に応じて下さり、費用は一切かからないから、施身法への参加を申し込むように、とおっしゃいました。さらに「来年には子供に恵まれるだろう」と仰せになりました。私は「本当だろうか?」と思いました。家族が子供の誕生を待ち望んでいることは知っています。にも関わらず、私達夫婦は結婚後、 既に十数年になりますが、妻に妊娠の兆候が現れたことはありませんでした。殊勝なる施身法に参加後、非常に神秘的だと感じ、それ以来、父について心配することはなくなり、父が今どこに行っているのか、と聞き質そうとも思わなくなりました。ただ、生前の父と過ごした生活を懐かしみ、また、施身法と日曜日の法会に毎回参加するようになっていました。
法会に参加してしばらく後、妻と共にリンチェンドルジェ・リンポチェにお礼を申し上げに参上しました。リンチェンドルジェ・リンポチェは、身体の注意すべき点について妻に告げ、また妻に対しても、来年子宝を授かるとおっしゃいました。2005年の2月から3月の間、妻は珍しく風邪が抜けきらず、身体の調子も良くありませんでしたが、リンチェンドルジェ・リンポチェの仰せを思い出し、通院や薬の服用を控えていましたところ、果たして、しばらく後、妻が妊娠していることが分かったのです。妊婦検診も異常なく、リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁し感謝を申し上げますと、リンチェンドルジェ・リンポチェ自ら妻に加持下さり、妊娠と出産が順調に行くよう祈ると共に、貴重な甘露丸を服用させて下さいました。長い間願って来た子を持ちたいという思いが、リンチェンドルジェ・リンポチェの大福報加持のお陰で叶えられました。リンチェンドルジェ・リンポチェへの感謝は言葉では言い尽くせません。
出産前、妻は無痛分娩を望んでいました。 私もいつも冗談で、「お前の感覚神経はたぶん他人の三倍あるんだろう。だから少しの痛みでもすぐに大騒ぎするんだろうな」と妻に言っていました。妻も、初産の陣痛はとても辛く、しかも長い、との人の話しを聞くに付け、やはり心配していたようです。その日朝四時頃、妻は大量に破水しましたが、陣痛がありません。病院に着いた時点で、看護婦は子宮口が既に指二本分開いていると言いましたが、九時半までで、妻にとって唯一の痛みは、看護婦が内診する時の痛みでした。医師は、「羊水がもうほとんど流れ出てしまっているのに陣痛がない」と心配し、私達は「もし、これ以上陣痛が無いようなら帝王切開にする」と告げられました。するとこの時、ようやく妻にゆっくりと陣痛が訪れました。最初の一時間は我慢の範囲だと言っていましたが、十時半になると、妻はひどく痛がるようになり、無痛分娩を希望しました。しかし、既に子宮口がほぼ全開しているので、注射の必要はない、と診断され直接分娩室に送られ、しばらくの後、健康な赤子が生まれて来ました。妻にとって、初産の陣痛はわずか二時間にも満たないものだったのです。お礼を申し上げに拝謁すると、リンチェンドルジェ・リンポチェは非常に長い時間を掛けて子供に加持を下され、私と妻の求めに応じて命名下さいました。リンチェンドルジェ・リンポチェは大いなる慈悲を以って「進徳」と「聖徳」という二つの名をお告げになり、私達に選ばせて下さったのです。妻の出産時のこと、子供に対する加持と命名、リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲と大能力に深く深く感じ入りました。
もしリンチェンドルジェ・リンポチェのお慈悲とお情けがなければ、父に対する家人の悲嘆は、これほどの短期間に懐かしさに変わったでしょうか?もしリンチェンドルジェ・リンポチェの大福報加持がなければ、十数年待ち焦がれた子宝に恵まれたでしょうか?もしリンチェンドルジェ・リンポチェのお慈悲と加持がなければ、初産の陣痛が二時間に満たないということがあり得たでしょうか?もしリンチェンドルジェ・リンポチェの私達家族に対するお恵みがなければ、弟子は心安らかにいられたでしょうか?もしリンチェンドルジェ・リンポチェの開示がなければ、仏法の殊勝と有難さを知ることができたでしょうか?もしリンチェンドルジェ・リンポチェの諄々たる教誨がなければ、人生の目標と「貪、嗔、癡」を切り離すことができたでしょうか?大慈大悲の金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェには心よりの感謝を捧げます。
寶吉祥仏法センター弟子 周汝敬
2009 年 02 月 04 日 更新