042:リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲の知恵で大腸癌末期の母を助けてくださった
尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェと諸佛菩薩を恭しく敬う:
母は2008年9月20日に亡くなりました。リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲の加持に感謝します。二年前、母は健康診断で偶然に大腸癌末期だと診断されました。町内の活動や仕事で活躍していた母にとっては、疑いなく大きなショックでした。そのとき、母はリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を請い、リンチェンドルジェ・リンポチェは母に「菜食をして、それから法会に参加しなさい」と情け深く開示されました。そして、母は暫く法会に参加し続け、その間に精神状況もよくなり、その上、顔色も一般の健康な人よりよくなりました。
恥ずかしい事に、娘として私は行いを改めず、母に佛菩薩の慈悲を深く感じさせる事無く、信心も持たせられませんでした。そして、たまたま母が尿道感染を起こした折、やはり西洋医学の病院で化学療法を受け、菜食も続けるのを止めてしまいました。何回かの化学療法の後、リンチェンドルジェ・リンポチェと佛菩薩の慈悲の加持のお蔭で、特に耐えがたい痛みはなかったのですが、母の体は大きな傷害を蒙った事が明らかになりました。髪は抜け、食欲は衰え、吐き気などの他に、体力もヘモグロビンの濃度も下がりました。外に出かける事は出来なくなり、お腹にも水がたまり始めました。
母は亡くなる一ヶ月前に、ひどい腸閉塞のため入院しました。入院期間中人工瘻管の手術を受けました。母の苦痛とやつれる様子を見て、父と弟は治療について意見が分かれ、父は只西洋医学を信じているのに対し、弟は母の痛みを少しでも軽くさせたいと思い、リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を請いに行きました。リンチェンドルジェ・リンポチェは私たちに「そなた達の父はそなた達が私のところに来るのを知っているか」とお尋ねになりました。弟は「父は信じていないので言いたくなかったです。ただリンチェンドルジェ・リンポチェに母の苦しみを減らしていただきたいとお願いに参っただけなので、父に言う必要はないと思いました。」と申し上げました。リンチェンドルジェ・リンポチェの大知恵と大慈悲力は、辛抱強く弟に「佛に助けを求めるには知恵が必要で、あせってはいけない。佛菩薩は衆生を助ける際、円満に済ませて後遺症を残さない。この世には秘密など無く、今日もしそなたの母に加持した後、そなたの母がすぐ亡くなったとしたら、そなたの父はきっとこういうことになったのは全て佛菩薩のせいだと思い、果ては仏を誹謗するかもしれない。表向きは母のために佛菩薩に助けを求めに来たのだが、却って父が仏を誹謗する因を作ってしまう。此れはえせ親孝行だ。仏に助けを求めに来るのなら、仏菩薩は必ず衆生を助けることを信じなければいけない」と開示されました。そして、リンチェンドルジェ・リンポチェはまた弟に「そなたの父は西洋医者だけを信じているなら、そなたの母に今回の化学療法を受けさせなさい。七日か九日くらいを経ってから、また主治医に化学療法は一体癌を治せるかどうかをそなたの父に直接話してもらうがいい。そなたの父が本当に諦めたら、そのときまたもう一度ここに来させてくれるかどうかを父に聞きなさい」と開示してくださいました。
リンチェンドルジェ・リンポチェの大知恵に感謝します。それから七日後、私達は主治医に会うことが出来ました。不思議なのは、元々西洋医学で母を治療しなければならないと確信していた主治医は「化学療法はだめかもしれません。もしできれば、苦しませずに、安寧病室に移して、往生する前の準備をしてください。」と言いました。主治医者がこんな話をするなんて思いもしなかったのです。父はやはり化学療法を続けるべきだと言い張っていましたが、ついに私たちが母をリンチェンドルジェ・リンポチェに会わせ、自ら加持をお願いする因縁を得ました。母は亡くなる四日前、看護師に新しい服を買って来る様に頼み、供養を用意して、リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見するのを待っていました。またリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見することの準備のため、一旦家に帰って後事を託すことができました。
その日の夜、リンチェンドルジェ・リンポチェは腹水がたまって体の不自由な母を見ると、優しく「もし不便だったら跪かなくてもいいよ」とおおせて下さいました。しかし、母はやはり跪き、リンチェンドルジェ・リンポチェに苦しみを軽くするように加持していただきたいと頼みました。リンチェンドルジェ・リンポチェが「そなたの欲望を満たすために加持するわけではなく、そなたが安心して、何事も放すように加持するのだ」と、もう一度優しく開示してくださいました。それから、リンチェンドルジェ・リンポチェは暫く金剛杵で母を加持していました。そして、母にも9月26日の施身法法会に参加しなさいと伝えました。加持が終了した後、母がリンチェンドルジェ・リンポチェに供養すると、リンチェンドルジェ・リンポチェは元来信衆の供養を受け取らないのだが、母に佛菩薩と縁を結ばせるために受け取られました。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝します。その日の夜は母が入院して以来初めて安らかに眠れる夜でした。
ところが9月20日に母の体調が急転直下で悪くなり、その日の午後4時52分に往生しました。弟子である私が自分の行動を慎んでなくて、その上、父も三宝を敬わなかったせいで、リンチェンドルジェ・リンポチェから殊勝なポワ法を貰うことが出来ませんでした。しかし、慈悲深い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは施身法法会で母を済度してくださいました。その日はたまたま母の初七日でした。リンチェンドルジェ・リンポチェの知恵と慈悲を讃えます。リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生を捨てなく、衆生が苦痛のときも、佛菩薩を必要とするときも、リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生に恐れがないように加持してくださいます。
施身法の後、喪中でしたが、家の中では母を懐かしむ気持ちこそあれ、悲しむ気持ちや恐ろしいと言う雰囲気はありませんでした。特に父は妻を失って沈み込むのではないかと思いましたが、そうでもありませんでした。私と弟にとってはこれが一番の慰めでした。全ては上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持のおかげです。今振り返って考えてみると、私がリンチェンドルジェ・リンポチェに母を済度してくださいと頼んでいたとき、リンチェンドルジェ・リンポチェは私に軽く「そなたの父はなぜそなた達に母をここまで連れて来させたのか」と聞きました。そのとき、私は自分の苦しみに執着し、上師の恩徳と加持を全て忘れてしまい、なんと何も答えられませんでした。私は大きな過ちを犯してしまったのです。自分が苦しんでいたときは上師の助けを求めて、加持を得てからは上師の恩徳をすっかり忘れてしまいました。これはまさに恩知らずでした。母を加持してくださった話を皆さんに伝えることをきっかけに、ここで上師と諸佛菩薩に心から懺悔します。弟子が弟子らしくなく、上師の恩徳を常に感謝できなくて、自分の心の悪さには言葉を失います。この機会を通じて、諸兄弟子とこの話を分かち合い、皆さんが上師の恩徳を忘れないように願っています。阿弥陀仏。
皈依弟子 蘇娉玉
2009 年 05 月 23 日 更新