039:末期がん患者も、痛みなく逝ける
尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェと諸佛菩薩を恭しく敬う:
新しく皈依した弟子の芷苓は、最近、法会に来るとき、いつも車椅子に乗っていて、とても痩せた女性です。彼女は先週の金曜日(2007年6月29日)午前2時に亡くなりました。私は彼女がリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁を求めたときから、亡くなったときまで、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに慈悲の力で加持され、見守っていただいた話を分かち合いたいと思います。金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを感謝します。
芷苓兄弟子は今年の三月上旬に肺がんを患ったので、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁を求め、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示と同意を得て法会に参加し始めたのです。そして、リンチェンドルジェ・リンポチェがネパールのラプチ雪山に閉関修行する前に開催された皈依法会に参加し、その法会でリンチェンドルジェ・リンポチェの弟子になりました。芷苓はリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁を求める前に、一年間半くらい化学治療していました。初めて彼女に会ったとき、彼女は痛みに耐えられず、しゃがみ込んで立つことすらできないがりがりに痩せている人でした。
この四ヶ月間、彼女はほとんど自分一人で台南からバスに乗り、往復でおよそ8時間かけて、法会に通っていました。たったの一回だけは肺に水がたまっていて体が弱すぎたので参加できませんでした。一般の状況によれば、末期がん患者はこのような長時間のバス移動に耐えられるはずがありません。しかし、芷苓兄弟子は「リンチェンドルジェ・リンポチェのほかに、誰を信用していいのかわかりません」と言いました。リンチェンドルジェ・リンポチェの加持と彼女自身の固い信念があるからこそ、万難を排して台北まで法会に参加し続けられるのでしょう。そして、慈悲なリンチェンドルジェ・リンポチェも彼女が法会に参加したいという願いを、何回も叶えてあげました。彼女は一回も倒れることもなく無事に往復しました。リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲の加持と見守りのおかげで、小椅子、甘露丸、車椅子、それから最後の三週間、往復移動中にずっと彼女の世話をしていた兄弟子、またいつも彼女を励ましていた沢山の兄弟子たちが、彼女にとって必要な物、人と事、次々と現れてきました。芷苓兄弟子は亡くなる日まで、法会に通うたびに、感謝と感動の気持ちで心が満ちました。
先週水曜日の朝、芷苓兄弟子は左手と左足を急に動かせなくなったため、緊急入院しました。私たちが「リンチェンドルジェ・リンポチェのことを常に観想し、リンチェンドルジェ・リンポチェを信じてください」と彼女に伝えました。彼女も「はい」と言いました。その日、何人かの台南に住む兄弟子たちが甘露丸を持って成大病院に彼女の見舞いに行き、そして彼女の主人にリンチェンドルジェ・リンポチェが衆生に尽くした様々な不思議な話を分かち合いました。翌日の朝、芷苓兄弟子の主人から「脳検査でがん細胞と血塊が発見されました」という電話がありました。医者に状況が不安定と判断されたから、ICUに移してもらいました。芷苓は私たちに自分の状況を知ってもらいたいから、主人に「兄弟子たちに伝えて」と頼みました。リンチェンドルジェ・リンポチェが巧みに按配したおかげで、彼女の親戚たちに亡くなった後に注意しなければならないことを伝える余裕がありました。本当に感謝しています。
入院して二日目の午後四時、芷苓兄弟子の姉から「芷苓が半昏迷状態に陥っていて、楽観出来ない。どうすればいいですか」という電話がありました。しかし、私たちはやはり芷苓兄弟子の家族に、「芷苓兄弟子の耳元でリンチェンドルジェ・リンポチェを観想するように言い、またリンチェンドルジェ・リンポチェと自分の法名をずっと繰り返して言ってください」と伝えました。その日の午後6時半に、私は寶吉祥宝石店でリンチェンドルジェ・リンポチェの写真に頂礼をし、芷苓兄弟子の状況を告げました。また、リンチェンドルジェ・リンポチェに芷苓兄弟子を見守ってくださいと告げました。そして、宝石店の兄弟子も私に「リンチェンドルジェ・リンポチェが芷苓兄弟子の頭上でを加持している様子を家族が観想するように伝えてください」と頼みました。珠寶店を出てバスに乗っていたとき、芷苓兄弟子の友人から「さっき芷苓が昏迷中に何を伝えようとしていたから、芷苓の家族は紙とペンを用意し、芷苓が家族に握られている手で紙に乱れた字をいくつか書いていたが、芷苓の家族は「皮」と「刀」の二つの字しか見出せなく、芷苓がもしかして『リンチェンドルジェ・リンポチェ(漢字で“仁波切”)』を書こうとしたのだろうと思ったが、どうすればいいかわからないんです」という電話がありました。私は携帯のスピーカを通して芷苓兄弟子に「大丈夫!リンチェンドルジェ・リンポチェを観想して!リンチェンドルジェ・リンポチェがあなたを連れていくから」と言いました。そして、芷苓兄弟子の家族がリンチェンドルジェ・リンポチェの写真を芷苓兄弟子に見せると、酸素マスクまでずれるほど頭を大きく左右に振り続け、目はうつろになっていた芷苓兄弟子は、急に意識が取り戻したように、頭を振り続けているにもかかわらず、焦点の合わない目で、リンチェンドルジェ・リンポチェの写真を、じっと心を込めて見つめていました。そして、芷苓兄弟子の気持ちもだんだん落ち着いたようでした。芷苓兄弟子の家族と友人はとても不思議に感じ、感謝しています。
約二時間後、芷苓兄弟子の血圧が下がって完全に昏迷状態に陥りました。翌日の午前2時くらい、芷苓兄弟子の姉から「リンチェンドルジェ・リンポチェが芷苓を連れて行かれました!芷苓はリンチェンドルジェ・リンポチェに連れられて行きました!」という激動した電話がありました。芷苓兄弟子の姉は「芷苓が亡くなる前に、私はずっと芷苓の手を握っていました。芷苓がずっと拒否していて、怖がっていて、死にたくないという気持ちが強く感じられました。それは多分芷苓がまだ幼い子供が二人いるからだろうと思います。私はどんなに説得してもだめでした。それで、私はリンチェンドルジェ・リンポチェの御影に頂礼をし、リンチェンドルジェ・リンポチェに芷苓を連れて行ってくださいと願いました。そして、芷苓はやっとこの世のことに執着無く、安らかに亡くなりました。きっとリンチェンドルジェ・リンポチェのおかげです。芷苓はとても頑固だから、リンチェンドルジェ・リンポチェのほかに、芷苓を連れて行ける人はいないでしょう!」と語っていました。
芷苓兄弟子が亡くなって何十時間後、芷苓兄弟子の姉は芷苓兄弟子を葬斂する前に芷苓兄弟子の手に触れました。手はまだ柔らかく、冷たかったが、頭のところは冷たく感じませんでした。顔色も往生する前より随分よくなりました。芷苓兄弟子を安らかに往生させたリンチェンドルジェ・リンポチェの加持と助けに感謝しています。
芷苓兄弟子が往生後の七日目、芷苓兄弟子の義理の姉の一番上の姉が夢の中で、一人の老いた修行者が彼女に仏法を学びなさいと言いました。そして、とても明るいところに沢山の門が現れてきて、門の中に色んな仏像がありました。それから、芷苓兄弟子が大きな花畑の真ん中に座っている姿が見えました。そこにいる芷苓兄弟子は昔からずっとしていたデミ・ムーアの髪型をしていて、凹んでいた頬も膨らんでいて、今とても楽しくて幸せで、全ての痛みもなくなったと言いました。この光景を見た彼女はすぐ一つ一つの門の中に入り、仏像の前で礼拝していました。彼女たち(芷苓兄弟子の姉・芷苓兄弟子の義理の姉の一番上の姉・芷苓兄弟子の親友たち)は、芷苓兄弟子をこんなにすばらしいところを連れて行って下さったリンチェンドルジェ・リンポチェに、とても感謝しています。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが衆生に対するご恩に、とても感謝しています。
芷苓兄弟子の話は、リンチェンドルジェ・リンポチェは不思議な福徳と衆生に恩恵を与える力を持つ事が、今一度証明できたのです。芷苓兄弟子がリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁を求めたときから、入院する前までは殆ど一人で行動していました。体が痛くて弱いにもかかわらず、法会に通っていました。法会に参加するたびに、精神状況はどんどんよくなっていき、倒れたことも、失禁したことも、末期がんに怯えて叫ぶ声も、一回もありませんでした。その上、彼女は最後の何ヶ月間でも、家族の負担を増やす事はなかったし、入院して二日と経たず、苦しみから解かれました。リンチェンドルジェ・リンポチェの加持と按配がなかったら、末期がんの患者はこんなに安らかに逝くことができないのでしょう。リンチェンドルジェ・リンポチェが衆生を見捨てず、生前から死後までずっと見守ってくださり、衆生の苦しみを受け止め、衆生を助け、衆生の福報を積み、大修行者の慈悲の心と知恵を十分に現されています。リンチェンドルジェ・リンポチェを信じれば、リンチェンドルジェ・リンポチェの助けを頂き、苦しみから離れることができることを、もう一度証明できました。
後記:
2007年8月、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがネパールのラプチ雪山での閉関修行を円満に終了して台湾に戻りました。そのとき、芷苓兄弟子の姉は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁を求め、リンチェンドルジェ・リンポチェに「芷苓をいい境界を連れて行ってください」と願いました。慈悲なリンチェンドルジェ・リンポチェが、今月台北アリーナで寶吉祥仏法センターが主催された「チベット仏教直貢噶舉教派岩伝阿弥陀仏無遮大超度法会」で、芷苓兄弟子を超渡すると彼女と約束しました。彼女も感謝の気持ちを込め、うれしく帰りました。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに本当に感謝しています!
弟子 黄幼紅 尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを恭しく敬う 更新日付:2008年12月12日
2009 年 03 月 03 日 更新