感恩の心
金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感恩する。
2003年1月、私は現在の医学で治療することができない疾患の一つ──『網膜視黄斑部血管増殖』に罹り、黄斑部(macula)の出血で、台南新営から台北へ来て医者にかかり、医者は治療に力を尽くしたが、両眼の視力は元々あった1.0から下がって、ほとんど見えないようになった。しかし、この機縁で紹介を経て、2005年10月に逸仙路にある寶吉祥宝石店でリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁し、法会に参加することになった。翌(2006)年6月にリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した。私の目もその時から安定した。
私が法会に参加し始めると同時に、糖尿病から腎臓衰弱を誘発して、三年間ぐらい血液透析(Hemodialysis)治療をしていた義理の父が急に体調を崩し、持続的に入院した。初めは胆石、次は肺積水と胃出血で……。私は彼にリンチェンドルジェ・リンポチェが衆生を助けた事績を話したが、義理の父は信じなかった。でも、彼は私が『成仏の道』のDVDをテレビの上に置くことは邪魔をしなく、時たま好奇心でリンチェンドルジェ・リンポチェと法王の写真を見ていた。義理の父の病状はこのように私が7月末インドへ法王の誕生日のお祝いに出発する前夜までは、奇跡的に安定していて、8月の大法会の後では、迅速に回復した。
2007年9月に義理の父は大腸と直腸が交わる所に良性腫瘍が出来、排便に影響が見られたので、切除手術を受けることにした。手術前、義理の父がとても緊張していたので、私はリンチェンドルジェ・リンポチェの記録映画のDVDをすべて持ち帰り、彼に毎日順番に見させ、録画の中のリンチェンドルジェ・リンポチェの様子をしっかり覚えるように言った。手術をする前日、私は病院まで見舞いに行ったが、義理の父は非常に緊張していた。私は彼にリンチェンドルジェ・リンポチェを心に浮かべ、自分自身をリンチェンドルジェ・リンポチェに委ねるように励ました。
義理の父の手術はとても順調で、回復の情況もとても良かった。私達は中秋の節句の後、義理の父に家で休養させるつもりだったのだが、中秋当日、義理の父は血液透析をやっている最中、突然調子が悪くなり、翌朝ショックを起こして、昏睡状態に陥り意識を失った。医者は急ぎ義理の父をICUに送り込み、超音波の検査で、急性心筋梗塞を発見したが、義理の父はちょうど手術及び血液透析をやったばかりだったので、普通の心筋梗塞の治療方法は適用出来なく、救急機器で彼の生命を維持することしか出来なかった。私は夫に、義理の父に続けて病気の苦しみを我慢させるよりも、宝石店に行って、リンチェンドルジェ・リンポチェに義理の父が浄土に往生出来る様お願いした方がいいと言った。病院から嘉義太保に行き、台湾高鉄に乗り、北上して、宝石店に到着したのはすでに夜7時半で、リンチェンドルジェ・リンポチェはもうお帰りになったので、私達はリンチェンドルジェ・リンポチェの画像の前に跪いて、リンチェンドルジェ・リンポチェに義理の父が浄土に往生できるように祈った。
義理の父の遺体は翌日の明け方に家に送り返された。呼吸器の管を抜く時、義理の父の口は大きく広がり、目も大きく開いていた。私は前リンチェンドル ジェ・リンポチェが、家族の人が他界した場合、彼のために六字大明呪を唱えるようにと開示した事を思い出した。そこで、リンチェンドルジェ・リンポチェのDVDを義理の父の頭上に置き、大声で義理の父にリンチェンドルジェ・リンポチェをしっかり覚え、リンチェンドルジェ・リンポチェに従って浄土にいくように注意した。8時間後、義理の父は目を閉じ、口を結び、頭のてっぺんは暖かく、体はとても柔軟だった。火葬後、その頭蓋骨の上に1つの丸い穴を発見した。これらはすべてリンチェンドルジェ・リンポチェが往生者の為に法を修めた後の瑞相だった。義理の父が済度を得たことについて、すべてリンチェンド ルジェ・リンポチェのお助けに感恩しなければならない。
弟子陳碧蘭 叩首感謝
2009 年 02 月 05 日 更新