032:人生は無常なり
2008年5月23日午後、母が風邪で入院したことを知らされました。姉は「仕事が忙しいのだから、慌てて帰って来ることない。ただの風邪なんだから」と言います。心中「やはり一度帰らなければ」と思いましたが、私は5/27に日本へ行き、5/29には殊勝なる「京都道場開光法会」に参加する予定でした。そのため、5/24正午、兄弟子達と共に空港に赴き、法王と上師リンチェンドルジェ・リンポチェが日本へ発たれるのをお見送りし、その後、実家に帰ろうとしていました。
車を待っている時、姉の電話を受けました。母の病状が突然悪化し、医者は母が危篤状態であると告げ、家族に、母の転院に同意するよう、母を直ちに別の病院のICUに移すよう要求している、と言うのです。私は空港の建物を背にして立ちながら、突然全身の力が抜けて行くのを感じました。無力感に襲われる中、心にはただ一つ、「今母を助けれるのは、上師リンチェンドルジェ・リンポチェしか無い」という思いだけでした。ICUに飛び込み、生涯で初めて、恐れと不安でいっぱいの母の目を見ました。私の心は乱れましたが、幸いなことに上師リンチェンドルジェ・リンポチェと菩薩の加持のお陰で、落ち着きを取り戻すことができました。いつも持ち歩いている甘露丸を一個、直ちに、母の口中に入れ、上師リンチェンドルジェ・リンポチェに母に加持下さるよう祈りました。母には、何も恐れず、すべてを上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお任せすれば大丈夫だと伝えました。母はうなずき、自分も上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお助け下さるよう祈ったと言います。私は母の手を握り、母を元気付けるよう努めました。
傍にいた姉が言うには、母の血圧は一時200余りまで跳ね上がり、心拍数は減り、非常に危険な状態だったのに、ほんのわずかな後に、私が測定器を見てみると、ほとんど正常に戻っており、母はゆっくりと回復して行きました。私は「これらすべては上師リンチェンドルジェ・リンポチェのお慈悲、加持のお力があったからこそ起きた奇跡だ」と確信していました。医師が必要だと言っていた、恐ろしい気管切開も、母の病情が安定したため、不要となりました。実は私は、5/27の日本行きの短縮を申請するつもりでしたが、兄弟子のお言葉を聞き、この考えを打ち消しました。一切の衆生に代わり法会に参加する、という、当初の思いをどうして忘れることができるしょうか?
帰宅後、母は大丈夫だと確信しているかのように、心は平穏でした。このように精神修養を積み、また心では、必ず母のために供養し、母の福報を重ねよう、母の苦しみを軽減し、孝順を尽くそうと願っていました。そしてこの時正に、上師リンチェンドルジェ・リンポチェがしばしば弟子達にご開示下さる「人生は無常」、「真の孝行は仏法を学ぶこと」を深く体得し、「仏法を学ぶこと以上に重要なことなどない!」と思いました。特に、田舎暮らしの両親は既に年老いて、仏法を学ぶ機縁に恵まれていないことを思い、「自分が父母の分までさらに精進を重ねねばならない」との思いを強くしました。上師リンチェンドルジェ・リンポチェが、霊験あらたかな加持力をお授け下さることを深く感じ、不断に弟子をご加護下さる上師リンチェンドルジェ・リンポチェに、厚くお礼申し上げます。上師リンチェンドルジェ・リンポチェのご健康、ご法体の安泰、仏法事業の円満かつ順調な歩みに、御仏のご加護が得られますようお祈り申し上げます。
現在母は85歲になり、日常生活に何の支障もなく、炊事さえ自身で行うことができます。すべては上師リンチェンドルジェ・リンポチェが、弟子にお授けくださった恩徳と感じ入り、ご恩返しの術も見つからない中、ただただリンチェンドルジェ・リンポチェの教誨を守り、自身の行為を改めることに努力し、教えに従い日々修養して参りたいと思います。
寶吉祥仏法センター弟子 張瑞珍 97.12.12
2009 年 02 月 02 日 更新