030:リンチェンドルジェ・リンポチェの庇護の下で重い報いも軽くなる
私は斗六に住む弟子洪也雲。2006 年、金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが主催した阿弥陀佛大超渡法会に参加した数日後、重大な交通事故に逢った。事故が起きた日は大雨だった。私は自家用車を運転していたが、車が橋に近づいたとき、突然タイヤが滑って道路から飛び出し、車は3階ほどの高さから、橋の下に流れる渓谷にまっ逆さまに滑り落ち、車体は大破、エンジンカーバーは凹み、ドアは歪んで開けられなく、ガラスはすべて割れ、エアーバッグも破裂し、眼鏡、携帯、どれも破損した。車が橋の上から落ちた時、頭の中は真っ白で、咄嗟にリンチェンドルジェ・リンポチェを思い浮かべ、大声でリンチェンドルジェ・リンポチェと叫んだ。
車が谷底に落ちた後、私は30分もかけてやっと道端に這い上がった。事故が起った場所は非常に辺鄙な田舎で、行き交う車はほとんどなかった。雨は未だ降り続いていた。誰かが通り掛って助けてくれないかなと思い、心中リンチェンドルジェ・リンポチェを観想する。暫くするとトラックが一輌通り掛った。親切なドライバーは私を付近の警察局に連れて行ってくれた。事故を報告した後、病院で初歩的な検査を受けた。検査の結果は、第11と12胸椎に損傷があり、顔面はひどく腫れ、臀部と手足に大きな鬱血があった。医者は入院して暫く様子を見たほうがいいと薦めたが、私は断って家に帰った。さっきの恐ろしい事故で一命は取り留めたものの、心は未だ落ち着きを取り戻していなく、ただ上師に早く会って、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持と庇護、護法の助けで、重い報いが軽くなり、一劫を逃れた事を感謝したかった。
上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁すると、リンチェンドルジェ・リンポチェは思い遣り深く私に医者はどう言ったかとお訊ねになられ、甘露丸を賜り、加持をなされた。家に帰ると顔の鬱血はすぐ引いたが、胸椎の傷はそう簡単に治るものではなく、人の手を借りずに寝ることも、首を上下に動かすことも出来ず、やむなく寶吉祥漢方診療所で医者に見てもらい、漢方医の細心の看護の下で、漢方を処方して貰った。体内の傷は徐々に良くなり、顔面の腫れも玉紅膏を塗った後は引くのが早かった。リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝とともに、この漢方診療所を開設して、私達が病になった時、良い医者に診てもらい、最良の漢方を使い、手の届いた治療が得られる事に感謝します。
この期間、私は胸椎に傷を持ちながら、祥楽旅行社の青蔵鉄道ツアーにも参加した。漢方診療所の漢方医郭先生は、私の為に漢方薬を準備してくれた。旅行の道程は遠い上に平坦ではなく、傷ついた背骨には酷であったが、ディクンティ寺に帰れると思うと、まるで家に帰るように喜びが心の中に満ちるのであった。そうすると、体の痛みは軽くなった。祥楽旅行社の手配に感謝、私にディクンティ寺に帰る機会を与えてくれた。また、同行した相弟子に感謝、道すがら私の荷物を運んでくれて、私の世話をしてくれた。
2007年旧正月、兎に角疲れ易いので、病院で検査を受けた。医者は劇症肝炎と胆汁過多なので、急いで入院して肝臓移植の手術を受けなさいと薦めた、時期を失うと治療が難しくなるとの事だった。私はこれは報いだと知っている。リンチェンドルジェ・リンポチェは前の車事故の際こう開示している:貴方は無数の鶏を潰したので、その報いを受けなくてはならない。それで私は医者に肝臓移植はしないが、通院して治療を受けると言った。医者は肝臓移植を受けなければ、通院しても治す事が出来ないと言ったが、私は医者に上師リンチェンドルジェ・リンポチェが私を救ってくれると返事した。医者は不思議に思い、どのリンチェンドルジェ・リンポチェですかと聞くので、私はチベット仏教直貢噶舉教派に皈依していて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは我が上師。インターネットで寶吉祥佛法センターのホームページを見れば分かると返事した。
医者は再度精密検査を受け、通院して治療を続け、民間療法等には頼らないように助言した。この時期、私はラダックに行って大法会に参加するのだが、医者は私の体がそんな旅行に耐え得る筈はなく、台湾に帰って来られない事を恐れて、私に行かないほうが良いと忠告したが、私は上師と諸仏菩薩に絶対的な信心を持っていたので、必ず帰ってきて此処に来ると約束した。結局私は何事も無く帰ってきた。ただ、リンチェンドルジェ・リンポチェの負担を増やしたのは心苦しい。
この時期に私は手足のひどい浮腫と腹水に悩まされ、行動は重ったるく、歩行が困難で、体の調子が非常に悪かった。しかし、五体投地の礼拝を行なう時は、調子が悪いと感じなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェの加持は、私が五体投地の礼拝を行なう事を可能にした。感謝。
現在肝機能検査値はほぼ正常で、服薬の必要はないが、定期検査は受けている。検査後のデータを見た医者は、とても不思議に思い、あなた方のリンチェンドルジェ・リンポチェは本当に偉い、得難い修行者だと賛嘆の辞を惜しまなかった。
今年の初め、聴力が落ちたので病院で検査をしてもらった。医者は鼓膜が破れたので、手術が必要だと言ったが、私の分厚いカルテを見て、先ず血液検査をするように手配した。血液は異常だと言う結果が出たので、手術は不可能だった。それで、血液腫瘍科に移り、精密検査を受けた。
腫瘍科の医師は私の知らない医学名詞を沢山述べたが、私が分かったのは私の造血機能が不完全で、血液が正常に凝固せず、傷口があれば、血が止まらない事だった。正常な人の鉄分の指数は12だが、私は3しかなかった。この様な状態ではいつショック、中風、心臓発作が起っても可笑しくなく、事態はとても危険なので、すぐ入院する事を薦めた。また、何処で肝臓移植をしたのかしつこく聞いたが、私は別に肝臓移植などしていなく、リンチェンドルジェ・リンポチェが治してくれたのだと答えた。私は医者に入院はしないので、お薬を下さいと頼んだ。今、私の鉄分の指数は5.9までに成っている。医者は、長時間を掛けないと、此処まで来ないと言っていた。
2年このかた、交通事故に始まって、肝臓、胆嚢、腎臓、鼓膜、造血機能異常と、この病気が治れば次の病気と、矢継ぎ早に病に罹った。私ははっきり此れは過去の悪業がなせる業であり、今その報いが来ているのだと分かったので、怨みも無く報いを受けた。
業力は変えることが出来ない、故に弟子は謹んで上師リンチェンドルジェ・リンポチェが懇々と諭す教えに従い、絶えず懺悔と自分の行いを反省修正し、慈悲心を修め、菩提心を発し、衆生に代わって法会に参加して、絶え間ない悪業の報いを軽くするばかりだ。
曰く:「人身は得難く、仏法は聞き難く、上師は会い難し」。今生縁が有って尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェにめぐり会えたので、弟子はこの縁を惜しみ、仏法を学ぶ事に力を注ぐ。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗てこう開示した:「弟子が仏の恩や師の恩に報いるには、上師に就いて良く仏を学び、生死を解脱して輪廻の苦海を離れ、自己を利益すると同時に他人に利益を齎すのが、恩に報いる道だ。」上師が苦労して弟子を教え導き、加持を賜るご恩に感謝。
願わくは上師が健康をよく保ち、法輪は長く回り、永らくこの世においでなさる事を。
寶吉祥仏法センター 弟子洪也雲
2009 年 02 月 19 日 更新