多くの人にも夢が有ったと思う
多くの人にも夢が有ったと思う。諺に「人は夢ゆえに偉くなる。」と言う。主人が在世の時、いつも共有の夢を描いていた。私達は同じ会社で働いていたので、将来の夢を叶えるために、共有の目標を決めたり、子供の将来に対しても期待があったり、退職後の生活を計画したりした。全ての計画は計画通りに進められていたと思われたが、突然の事故ですべでの夢と希望が細々に砕かれた。この事故は私達の心に傷をつけただけでなく、元の計画にも混乱を招いた。人生の一番重要な段階にこんな取り返しのつかない変化が起るとは。まるで神様の戯れのようだった。2005年5月の末、主人が仕事中に突然倒れた。病院側は蜘蛛膜下出血という診断をして、別の病院で精密検査を行うよう勧めた。病気を治すために、病院を三つ換えた。主人が未だ意識が有った五日間に、会いたい人と会い、そして食べたい物を食べる事を求め、そして心残りな人と事を言い残した。
当時、私達は台北栄民総病院が脳外科の権威だということを信じていたので、今回の手術に楽天的な考えを持っていた。しかし予想に反して、手術後の第六日目、主人は再び出血し、昏迷に陥ったので、病院側は管を挿すなどの治療を施し、呼吸を維持した。医者は二度目の出血では、意識は戻らないと言った。苦しさのため、主人は目と口を大きく開け、体は絶えなく震え足掻いていた。その場に居合わせた人達は如何する事も出来ず、ただ涙を流すばかりであった。こんな苦しい時に同僚の友達の紹介によって、寶吉祥芸坊にいる修行者にお目にかかる事になった。その日私達は永らく待ったが、兄弟子は「リンチェンドルジェ・リンポチェは病院で病人達を助けているので、直に帰って来られないかも知れません。」と言われた。残念な気持ちを持ちながら芸坊を出た時、兄弟子の一人が「誠心誠意仏菩薩に祈れば、必ずお目にかかれます。」と丁寧に言われた。果せるかな、途中で「リンチェンドルジェ・リンポチェは栄総にいて、病室でご主人に加持を為されるとの事です」と兄弟子からの電話があった。嬉しくて改めて希望が燃えた。すぐ病院に戻った私は リンチェンドルジェ・リンポチェにお目にかかった。これは仏菩薩のお陰だと思った。リンチェンドルジェ・リンポチェからの加持を受けた夫は足掻きを止めた。この時、リンチェンドルジェ・リンポチェは「子供の時のご主人は腕白なので、お寺に遊んでいただけでなく、神様を尊敬しなかった。という訳で、脳の瘤はその時から出来ていた。」と言われた。皆は疑惑の面持ちであったが、ちょうどその時主人の子供の頃の友達が病院に見舞いにやって来た。確かに主人と一緒にお寺へ行って、供物を食べたことがあったが、誰がやったのかは忘れていた。
リンチェンドルジェ・リンポチェは私に「施身法」と「共修法会」に参加しなさいと言った。そして、私に1粒の貴重な甘露丸を下さった。リンチェンドルジェ・リンポチェの助けに心から感謝の気持ちを持ったが、このような貴重なものも、赤の他人に与えると言うことに本当に驚いた。
主人の病気は治らない事を知ってはいたが、幼稚園にいる子供及び妊娠三ヶ月の赤ちゃんのことを思っていたら、恐怖や悲しみがこみ上げて来た。リンチェンドルジェ・リンポチェも私の悩みをはっきりご存知なので、「ご主人は法会に参加したので、債務がすべて返済されました。ご主人の一生は苦しみに満ちたものだった。安らかにこの世を去らせることは彼にとっても悪くは無いだろう」と丁寧に言われた。リンチェンドルジェ・リンポチェにお会いしてからただ五日間の短い時間だったが、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示により、主人を苗栗の実家へ連れ戻す決心をした。
六月十日、看護士が主人の命を維持していた管を取り去った時、主人の37年の生涯は終わった。家は伝統的な客家方式で後事を行った。其れであったが、リンチェンドルジェ・リンポチェを思い出し、夫を阿弥陀仏の浄土へ導いてくれると祈っていた。その時、リンチェンドルジェ・リンポチェは中国への飛行中だったが、四時間ぐらい経ってから、「リンチェンドルジェ・リンポチェはご主人を済度してくれました。早く頭のの梵穴が暖かいかを確認してください」と兄弟子からの電話が有った。私は派出所で調書を書いていたので、家族の人が リンチェンドルジェ・リンポチェが法を修めてくれた事を確認をしてくれた。現場で読経していた人達が阻止をしたが、家族は梵穴に触ってみた。確かに暖かいと確認した。リンチェンドルジェ・リンポチェは「主人の遺言で、あなたからもらった札入れの中にはキャッシュカードが残っている。」と伝えて下さった。主人が未だ気に掛かる事があって、去り難いとは思いも依らなかったが、一番よかったのは、リンチェンドルジェ・リンポチェは主人を浄土に導いてくれた事だった。
その後、主人を直ちに阿弥陀仏の浄土へ導いてくれた非常に珍しい秘法は『ポア法』だと知った。チベット仏教の教義によると修法者に大供養と大佈施をし、また大福報と大因緣がある人が始めてこの法を得ることができる。この法を行うため、修法者は通常死者のそばにいる。なぜなら、修法者は死者の魂を前に招いて済度をし、自分の福報と能量を使って死者を済度する。その時中国にいた リンチェンドルジェ・リンポチェが、千里以上も離れた苗栗にいる主人の遺体に法を施し成功され、色々な瑞相を起こし、あまつさえ主人が気に掛けていた事まで、はっきりお分かりになられた。このようなことによって、『ポア法』の不思議さを深く感じた。仏法の力をよく感じ、それから心から感謝の気持ちが湧いてきた。
リンチェンドルジェ・リンポチェは主人のために済度をした事に対して報いを求めることもなく、 真面目に仏を勉強することが リンチェンドルジェ・リンポチェに対する最大の恩返しだと諭した。リンチェンドルジェ・リンポチェは「悉く仏菩薩のお陰だ。」 と言った。私達はただの凡人なのに、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の福報と力を捨てて私たちを助けてくれて、このように何も求めず自己を捨てて他人を救う慈悲心こそ仏菩薩だ。
年は流れ、リンチェンドルジェ・リンポチェにより開示された「全ては因果だ。」「一切は因縁による。」という事が、だんだん分かってきた。困難に遭っても、執着の心は薄らいだ。リンチェンドルジェ・リンポチェの辞書には「私」という文字が無い。衆生が求めれば、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆の願いを叶えてくれた。弟子たちに対しても公平な慈悲心で臨み、分け隔てが無かった。リンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏法を学ぶことが出来るのは、前世から積んできた福報で、リンチェンドルジェ・リンポチェの弟子として教義に従い、リンチェンドルジェ・リンポチェに追随して、成仏の道へ進みたい。
陳靜婷
2009 年 01 月 23 日 更新