021:信じればこそ(信心)

私の会社は1990年に創立した総合グループでした。経営責任者(執行長)は密教の出家した上師で、私は、不動産の仲介部門を担当していました。しかし、会社は1995年、執行長の多角経営が原因で最終的に能力が及ばずに兼務できなくなった故、株を分けて自営することになり、会社の職員も60数名から、私と代表取締役の肩書きを持つ楊さんの二人だけになりました。この時は、私の人生の中で最も落ち込み、最も力のない時で、会社は閉鎖し、口座にはお金がなく、更に職員の給料は百余万も未支払い、労働健康保険の未支払い分も百万以上に上り、友人には500余万の借金をし、また、二つの家のローンは800余万もありました。このような苦境の下、私は仕方なく台北の家を売却し、借家に移りました。何とか新竹の先祖代々の家は保留し、巻き添えを食うことはありませんでした。

その頃、私の高校時代の友人が私の問題と状況を知り、熱意から、リンチェンドルジェ・リンポチェに指導と鞭撻を戴く為に、私を伴い謁見を求めてくれました。リンチェンドルジェ・リンポチェは非常に慈しみと親しみを込めて承知し、その後、私の会社に赴き修法とお清めを行って下さいました。上師リンチェンドルジェ・リンポチェは修法を終えた後、私は家に帰ってから一日の間、手に痛みを感じました。驚愕すべきことに、会社には大きな力を持つ餓鬼王が潜んでおり、力が極めて強い為、説得するのが非常に困難でした。リンチェンドルジェ・リンポチェが尽力して私を助けてくれたのと同時に、リンチェンドルジェ・リンポチェの衆生に対する慈悲を感じ取り、御言葉及び行為に対する強烈な信心が呼び起こされました。

リンチェンドルジェ・リンポチェは、会社の為に修法とお清めの他、会社のレイアウトを調整して下さいました。また、業務上の事では、特別に、指導鞭撻を与えて下さり、私に元のオフィスにいてそこを離れてはいけないと説かれました。裏口や不正な手段でお金を儲けてはならないとも仰りました。リンチェンドルジェ・リンポチェは私にはヤクザ兄弟の暗黒勢力が存在することが分かっていたのです。私は口には出しませんでしたが、不正な手段、邪道な事には精通していました。例えば、高利貸、取り立て、無理な手配等。リンチェンドルジェ・リンポチェは私に正しい道を歩かなければならず、二度と前の道に戻ってはならないと強く説かれました。また、今から7ヶ月の間は1円も利益がなく、もしかしたら借金して乗り越えなくてはならないかもしれないと、はっきり私に告げました。その時、私は無一文であっただけでなく、山のような負債を抱え、会社の300余坪の賃貸金だけでも毎月20万5千元で、その上その他の管理費用を加えると極めて大きな負担でした。しかし、私はリンチェンドルジェ・リンポチェの御言葉通りに行い、別の考えはありませんでした。これら一切は自分の果報であることを信じていました。当時、リンチェンドルジェ・リンポチェは私にある教示を授けて下さいました。「あなたが最も酷い状況である時、それは即ち、あなたが起き上がる準備をしている時でもあります。ただ、あなたの準備が整ったかどうかというだけです。」この期間、収入を得る機会はありましたが、不正手段を採らなければならず、私はリンチェンドルジェ・リンポチェの教えに依って、このようなビジネスを放棄していきました。7ヶ月が過ぎ、果たして、一円の収入もありませんでした。7ヶ月を耐え忍び、私は次の半年以内に、続けて大きなビジネスを受注し、損失分を殆ど全て埋め戻しました。2000万の収入によって、債務の600余万と税金の100余万を返済し、更には、数百万の現金まで貯金するに至りました。リンチェンドルジェ・リンポチェの御指導御鞭撻の御蔭で、私は先に衆生の負債を返し、忍ぶ事を学んで、このような福報に恵まれたのです。

当時、法王の認定をまだ戴いてなかったリンチェンドルジェ・リンポチェは、私を弟子とすることを認めてくれず、ただ身をもって私達に、どうすることが正しいのかという事を教えてくれました。リンチェンドルジェ・リンポチェはこのように、厳格、慎重に戒律を守る偉大な修行者であり、私達の学びの模範です。一年近い時間の間、ただ単に上師リンチェンドルジェ・リンポチェに対する完全な信心を持ち、懐疑せず、教えに依る行動を採りさえすれば、あなたの問題は、必ずや解決する道があるのです。今回の経験を経て、私はリンチェンドルジェ・リンポチェを深く信ずることの大切さを実感し、更に、修行者の戒律の重要性、及び、貪、瞋、痴、名聞、利養、欲望の恐ろしさを理解しました。最も大切な事は、恩恵を感謝する心です。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て、「何故、このような短い時間内に、貴方は、再起することができたのだろうか。当時、貴方は以前の上師に対する恨みはなく、弘法事業に協力しようという正念の功徳が存在していた。」と話された事がありました。リンチェンドルジェ・リンポチェは、彼に感謝しなければならないと仰り、更に、「度量が大きければ、福も大きい」と説かれました。この件により、私は、大きな衆生の負債を返済することができました。嘗ての上師は、以前、私に仏法を教えてくれ、仏法に触れたことで、私は戒律の重要性を知り、私の悪を為す機会を減らしてくれました。また、このような事件が発生したが故に、私はリンチェンドルジェ・リンポチェのような良師、善知識に出会うことができたのです。

リンチェンドルジェ・リンポチェの恩沢と教示を思い出すと、胸中のリンチェンドルジェ・リンポチェを賛嘆する心が時間と共に消失することはありません。特に、戒律の重要視に対し、リンチェンドルジェ・リンポチェは、身体で行いを示しています。当時、リンチェンドルジェ・リンポチェは、私から1円の供養も受け取らず、無限の協力と助力をもって人生と事業の谷間から私を救い、新たな出発をさせてくれました。同様に、この期間、私は、リンチェンドルジェ・リンポチェが他の人からも供養を受け取らないことを知りました。リンチェンドルジェ・リンポチェの服の上のポケットには1円のお金も入っておらず、時には弟子との食事を承知して下さり、一緒にブッフエ・レストランで食事を取る事もありますが、一回100元にも満たず、適当に食べて一食が終わります。行為、思想の正しくない者がいた時、リンチェンドルジェ・リンポチェは先にこの事を知り、私に支払わせ、その人には支払いの機会を与えませんでした。また、リンチェンドルジェ・リンポチェの仏教を学ぶ過程は、私達と同様に信徒から始まり、一歩一歩順序に従い上って来ました。1999年4月、法王によって高座に座る認定を受けた後、信徒の皈依と皈依弟子による供養を受け入れ始めました。これは完全に、経典、法王の教えに基づくもので、宗派の戒律、儀軌に依拠して為される行為であり、こうしてこそ今日の果位と成就が得られたのです。その当初、リンチェンドルジェ・リンポチェは、弟子にある考えを特にお示しになりました。それは即ち、「上師と弟子は、最初はお互いに三年間観察をしなければならない。弟子は如何に上師を見たらよいのか、上師が高座で説くのが人生の無常、因果を深く信じることの道理であるかどうかである。」というものでした。将来において、私は、必ず一つ一つ改めることができると信じています。慢心、謙虚さの不足、心の広さの不足、繊細さの不足……等の悪習慣を。ただリンポチェについて、毎日、《37の菩薩の実践》の教えに依って行動すれば、必ずや悪習慣は改められ、正真正銘の仏弟子となれることだろう。

徐孝炎

2009 年 05 月 03 日 更新