017:リンチェンドルジェ・リンポチェの大いなる徳のお力

数年前、親切な同僚の紹介で、私は寶吉祥仏法センターで催された大規模な行事に続けざまに幾度も参加した。その中には、2001年5月の金剛舞の公演、2002年6月に行われたチェ・ツァン法王が主催された桃園ドームでの万人大法会、2002年8月の「金剛手菩薩」法会などがある。私は仏の教義やチベット仏教について全く知らなかったこともあり、何度も法会に参加したのだが、内容や意義については殆ど理解し得なかった。ただ、自己の生死を司ることができる「ポワ法」に対しては、羨望と好奇心をそそられた。もしも「ポワ法」を会得することができれば、重病を患ったり死に直面したりした時でも恐れる必要はなさそうだ、と思ったのだった。後々、上師リンチェンドルジェ・リンポチェの元で仏の教えを学んでから、八大成就法の一つである「ポワ法」を修めるのは、福徳が足りず業が重く因縁浅き私達にとっては口で言うほど簡単ではないとういうことを思い知ったのだが。

リンチェンドルジェ・リンポチェの「金剛手菩薩」についての勉強会へ私を誘ってくれた同僚の忍耐強さには感謝したい。この会で私は始めてリンチェンドルジェ・リンポチェにお目にかかったのだ。午後の勉強会に3回出席したが、それまでと同じように内容はよく掴めなかった。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェが幾つかの要点をご説明下さったことは覚えている。徳を積んだ上師に皈依し仏法を修めて、はじめて意義があるということ、仏教の基礎を学ぶために、「懺悔心」「慈悲心」「菩提心」についてのリンチェンドルジェ・リンポチェの講話の録音テープを聴くこと、である。「しかし『皈依』とはどういう意味なのだ?よく解らない!面倒くさそうだし今のところ必要ないだろう!だけどまあ学び始めたのだから続けてみるか!」私はこう思っていた。講義が終わった後、録音テープを借りに、リンチェンドルジェ・リンポチェと信者との接見の場である宝石店に行った。何故だかよくわからないが私はびくびくして、店の外でかなりの時間逡巡してから中に入った。テープを借りた後はそそくさと逃げるように帰って来た。後から考えてみると本当に恥ずかしいことをしたと思う。なんと、私は上師に頂礼をすることすら忘れていたのだ。本当に礼を欠いた行いだった。

家に帰ってから、暇をみつけて「懺悔」のテープを聴き始めた。リンチェンドルジェ・リンポチェが時に講釈し時に真言を唱えるという内容だったが、私には内容が全く理解できなかった。と、奇妙なことが起こった。耳を傾けていると突然涙がこぼれて来たのだ。更に聞いていると涙が止まらなくなり、私はなんと激しく泣き出していたのだ。ひとしきり泣き終えた後、はっと我に返り驚き慄いた。私は小さい頃から泣くことや、ましてや大泣きすることなど殆ど無かった。一体何が起こったのか?リンポチェが講義して真言を唱えて、わからない、一体どうして私にあんな事が起きたのか?次の日の夜、もう一度テープを聞いてみた。同じ事がまた起きた。本当に不思議なことだ、何か理由があるに違いない。

3日目の朝、真っ先に例の同僚に皈依について聞いてみた。同僚曰く、皈依するにはまずリンチェンドルジェ・リンポチェにお会いする必要があるとのことだった。また、精進料理を食べなくてはならず酒も飲めないそうだ。数十年も肉を食べ酒を口にしてきた身で、それらを直ぐに絶つなんてことはとても難しそうだと思った。同僚はとにかくリンチェンドルジェ・リンポチェの指示を仰ぐように!と提案した。

覚悟を決めて、リンチェンドルジェ・リンポチェに会いに行った日、寶吉祥宝石店に着くと、相手をしてくれた兄弟子が何の用事かと聞いてきた。私は、上師に皈依したいのだが、肉も酒も駄目になるので悩んでいると告げた。兄弟子は精進料理はどれ程優れたものなのか、飲酒はどれ程悪いことなのか、等を私に説いた。私も全くその通りだと分かってはいるが、それが出来そうにないのだ。その後、リンチェンドルジェ・リンポチェにお目にかかった。何の用事なのかと、上師はとても優しく私に尋ねた。私は、菜食に徹するのは難しそうだと思うとはっきり上師に申し上げた。上師は、精進料理の健康への好影響を詳細にお話になった。菜食は自分を取り巻く悪縁を減らすことに繋がり、精進料理を食べない人が発する気は寺院では好まれないとの事だった。上師が仰せになったことは、先程兄弟子が言っていた事と殆ど同じ内容だった。しかし、不思議なことに、兄弟子の説明を聞いていた時は、理解はできてもやはりとても難しそうだと思われたのに、上師のお話を伺っていると、気持ちが俄然晴れ渡り、「成程その通り、実行するのに全く問題なさそうだ」と思うようになった。さっきは聞こうと思っていた「禁酒」の事に関しても、問題が無くなって聞く必要も無くなった。そこで、皈依をお認め頂けるかどうか直接切り出した。兄弟子が言うように一定の準備期間が必要になるだろうと思っていたが、意外なことに、なんとリンチェンドルジェ・リンポチェは直ぐにお認め下さったばかりか、その場で兄弟子に「この方を皈依させてあげなさい。」と指示されたのだ。私はこのようにして、望外の喜びと共に上師リンチェンドルジェ・リンポチェの下に皈依し上師の弟子となった。また、上師のお言葉を頂いたあの時から、私は、菜食に徹し酒も絶つ生活を始めた。少しの困難も無く、心の葛藤も環境の障害も無く、全てはあたかも当然の如く進んだ。

あの時、何故だか分からなかったが、同じようなお話なのに他の兄弟子が話してくれた時は、道理はわかっても出来そうに無いと感じられた。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェの口を介して告げられると、直ぐに長年の生活習慣の軛を脱して、まるでそうするのが当然かの如く自然に(菜食・禁酒が)出来るようになったのだ。皈依した後に段々と分かるようになったのだが、自分が幸運の中に在る時はそうと気づかないもので、あの時私が巡り会えたのは、修行によって至高の高みに達し、想像出来ないくらいの徳力を具えた大上師だったのだ。あの時、上師は表面上私に当然の道理を説いていただけに見えたが、実際は私に加護を与え救いを差し伸べられていたのだ。本当に感動的なことだ。上師は、その無比の慈悲力を以って、私に害をなす衆生に対し功徳をお与えになり、私から苦しみを被った冤親債主の心を動かし、暫し私への邪魔を為さぬようお鎮めになって私に今一度チャンスをお与え下さったのだ。だからあの時あの瞬間リンチェンドルジェ・リンポチェの説く仏の教えが私の心に響き、殊勝な加護を得て、リンチェンドルジェ・リンポチェの下に皈依する御縁に恵まれ、師から仏法を学ぶことが出来るようになったのだ。

上師リンチェンドルジェ・リンポチェの様に偉大な徳力を備えた方は、この世に二人といないだろう。私は皈依した後、リンチェンドルジェ・リンポチェが「仏法は聴聞し難く、良師は巡り逢い難し」と常々仰せになるのを聞いた。あの当時、私は偶然の機縁に導かれて、なにやらよくわからないながらも、偉大な徳識を備えた高貴なる善知識に出会うことができた。今から考えてみると本当に冷や汗ものだ。あの時の機縁が無かったら、私は未だに、輪廻の苦海に深く陥り、幾たびかの劫を経て、苦海から助け出してくれる善知識に会う機縁を再び得る事が出来るかどうかも分からなかったであろう。私にあの素晴らしい機縁を生かすチャンスを与えて下さった尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持に感謝しております。リンチェンドルジェ・リンポチェのご指導の下、仏の教えを遵奉し、いつか自利利他の行いを実践できるような人間になりたいと思っております。

寶吉祥仏法センター 弟子 賴典章

2009 年 02 月 16 日 更新