011:縁結びの施身法
私は、元々高雄に住んでいましたが、1999年に台北に引っ越しました。台北には友人がおらず、知り合いは詹月彩さんだけでした。私達は、別の宗派の道場で知り合いになりましたが、そこは上師に会う機会はあまりありませんでした。
詹月彩さんは、今はリンチェンドルジェ・リンポチェについて仏法を学んでおり、リンチェンドルジェ・リンポチェが修法により常に衆生救済している出来事を熱心に話してくれました。私は、主人が既に他界していることと、リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見したいことを告げました。金曜日の午後、彼女は寶吉祥にいましたので、私は電話を掛け、いつ、リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見させてくれるのかと聞きました。月彩さんはリンチェンドルジェ・リンポチェに私の希望を報告すると、暫くして、月彩さんは電話で、上師は、「御主人は病気ではなくて、息が詰まって亡くなった」と仰ったので、月彩さんは、「彼は癌で亡くなったのであって、上師が言ったのは間違っている」と答えると、リンチェンドルジェ・リンポチェは、「彼女の御主人は病気ではなく、息を詰まらせて逝ったのであって、まだ中有にいる」と話されたそうです。月彩さんは、また電話を掛けて来て、今日金曜日には施身法があるので、その法会に参加するよう言いました。私は、台北に来て二ヶ月半で、台北の道はあまり詳しくありませんでしたが、バイクに乗って頭を捻って、月彩さんの所に辿り着き、彼女は私を民生東路の道場に連れて行ってくれました。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く、私達の到着するのを待っていて下さり、私達が道場に付き着席すると、早速、修法を始められました。
修法を終えるとリンチェンドルジェ・リンポチェは、「あなた方が金の紙を燃やす時に使う丸い物は何と言いますか?」と聞き、謝さんが「あれは金炉と言います。」と答えると、続いて、リンポチェは、「世界の中でただ中国人だけが金紙を燃やします。実はそれは亡き者は使えないもので、手に取ることもできません。紙のお金を燃やして亡き者に捧げるのは、その人の嗔恚心を煽るだけです」と説かれました。台北に来る前、私は精神病のように大小様々な廟、御宮を遍く訪ね、神通力者に救済を求め、毎日、蓮の花を折っては、大悲咒の紙を燃やし、地獄のような生活を送っていました。二日目、月彩さんは、私を伴いリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めました。私の最初の一言は、上師への問いでした。「主人は亡くなって四年が過ぎました。どうして未だ中有にいるのでしょうか?」リンチェンドルジェ・リンポチェは、自分が嘗て200年の亡霊にあったことを話され、また、主人は既に済度されたと仰いました。私が主人は今どこにいるのか尋ねると、「観音菩薩と共に去りました。」と答えられました。主人の写真を取り出しリンチェンドルジェ・リンポチェにお見せすると、リンチェンドルジェ・リンポチェは、「そうです。この人です。彼は昨晩、観音様と一緒に行きました。」と仰り、続いて、「小さな女の子も亡くなったのですか?」と尋ねられました。「はい。十歳の時に亡くなりました。」と答えると、リンチェンドルジェ・リンポチェは、「彼女が逝く時、小花のズボンを穿いていましたね。」と聞かれました。また、「土葬だったのですか?」との質問に、私は「はい。」と答えました。リンチェンドルジェ・リンポチェは、「彼女はずっと御墓を見守っていました。」と話されました。その後、私は法会に参加し始め、欠席したことはありません。
その年の10月24日、私はリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依しました。皈依してから概ね一年が過ぎたある「施身法」の終了後、リンチェンドルジェ・リンポチェは、切腹自殺した者が来たと仰いました。リンチェンドルジェ・リンポチェが高座から下りた後、私は、リンチェンドルジェ・リンポチェに尋ねました。切腹した亡霊は男性ですか女性ですかと。リンチェンドルジェ・リンポチェが「男性である」と答えられたので、私は更に、「その人の顔の形は、私に似ているのではないですか?」と尋ねると、リンチェンドルジェ・リンポチェは肯定し、並びに、私の父はそのように臨終したのかをお聞きになりました。私はそうだとと答えました。十五歲の時、父は他界し、既に四十年余りの月日が経っていました。リンチェンドルジェ・リンポチェは、嘗て、「自殺した者は、手を伸ばしても五指の見えない暗闇の地獄にいる」ことを説かれたことがありました。今日、幸いにリンチェンドルジェ・リンポチェについて仏教を学べた御蔭で、父と姑もまたリンチェンドルジェ・リンポチェの済度を得ることができました。リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲は、自身の福徳と生命を、衆生の全ての苦しみと取り替えることなのです。
仏教を学ぶ時には正しい上師について学ぶのなら、時間を浪費することはありません。高雄の四年間、長寿仏法の法門を学んだだけでしたが、そこで詹月彩さんと知り合い、因縁が実り、尊貴なる金剛上師に出逢うことができたのです。私は、非常に真面目に、この機会を貴重なものとして寶吉祥で仏教を学んでいます。皈依後は教えに基づいて行動をとり、百パーセント仏菩薩を信じ、リンチェンドルジェ・リンポチェを信じ、懐疑心を持ったことはありません。
台北に越してきた時、大陸で商業に従事していた息子は、台湾に戻って日も浅かったのですが、山のような債務を抱えており、一生懸命に自分の事業上で努力を続け、大部分は返済し終えました。2003年息子と友人は、共同でパソコン業を起こし、現在で一年余りになりますが、会社の業務は既に軌道に乗りました。2004年5月、嫁が、体重4,360gの孫娘を自然分娩で出産しました。これらは全て、仏菩薩の庇護と加持があってからこそ、こんなに順風満帆なのです。2002年年初は、旧暦の年末でありましたが、私は浴室で倒れ、肋骨を一本折ってしまいました。更に十年前、私は事故を起こした事があったので、寒波が来ると身体に痛みを感じていました。しかし、衆生の苦しみを代りに受け取るよう、リンチェンドルジェ・リンポチェが常に教示されていた御言葉を思い出した後、身体の痛みは軽減され、完治に至りました。それから今迄、私の身体は二度と痛まなくなりました。リンチェンドルジェ・リンポチェについて仏教を学び始めてから、生活も改善され、息子、嫁、娘、娘婿も皆、親孝行です。これら一切は全て、諸佛、諸菩薩、護法神の御恩、及び金剛上師の御加持の御蔭です。心より感謝致しております。
弟子 陳秀香
2009 年 04 月 26 日 更新